パネル討論会
「サステイナブル・ソサエティ」を求めて


パネリスト
  サンダルラル・バフグナ
  ペレズ・オリンドウ
  ベン・ボア
  アメディオ・ポステリオーネ
  宮本憲一

司会
  西村忠行
  ハーヴィ・シャピロ



西村  それでは「永続可能な社会」を求めて、パネル討論を始めます。シャピロさんと私とで司会をさせていただきます。何しろ「人類の未来をどうするか?」という壮大なテーマですから、細部にわたって論じつくすことはとても無理でしょう。時間のたりないところは、明日の分科会の討議で補足をしてください。ではまずボアさんから順に、自己紹介を含めて最初の発言をお願いします。



ボア  樹木や土壌は、地球の皮膚であると言ってもよいでしょう。皮膚がなければ人間は生きられないように、地球もまた、樹木や土壌を失えば死んでしまいます。地球が死ねば人類の存続はありえません。

一昨年、リオの地球サミットでは、世界が一つの転機にあることが確認され、劣化する環境をいかに管理するかの問題が話し合われました。そしていま94年、日本でこの集会が開かれています。私はこの会議を出発点にして、日本が生態学的にサステイナブルな社会に生まれ変わるのだと信じたいのです。

日本は経済大国です。日本がその産業のあり方、企業の運営の仕方を変え、健全な環境とともに生きる道を見つけることができたなら、この経済的・工業的な先進国は、同時に環境的にも先進国としての評価を確立し、世界の国々が日本に追随することになるでしょう。ではどのように実践をすればよいのでしょうか。

だがその前に、「生態学的に永続可能な社会」というのは、一体どういう社会でしょう?リオのサミットでは、環境的な問題と経済的な問題は、それぞれ独立してではなく、両者一体のものとして考えなければならないとされました。政府のレベルにおいても、自治体のレベルにおいても、そして企業も、コミュニティも、それらすべてが経済的なニーズと人間存在自体がもとめる環境的ニーズを、統合して考えなければならないとされたのです。

地球的なレベルにおいてはIUCN(国際自然保護連合)が、「永続可能性(サステイナビリティ)」について、世界各国でその実現に努力をしています。100か国近くの国々で、取り組みの程度の差こそあれ、その戦略がねられています。ここに戦略というのは、永続可能性の実現のために、どのような開発の道を選び、どのような開発の方向を捨てるかという選択を行うことです。

選ばれるべき開発の道は、つぎの3つの性格をもっていなければなりません。第1には社会的に望ましいものであること、第2には経済的にも実現可能なものであること、第3にいつまでもつづけられることです。つまり欲せられるもの、そして財政的にうまくいくもの、さらに自然と調和できるものと言い換えてもよいでしょう。

このような原則に適合するさまざまの行動が、IUCNの最近の報告「地球を大切に〜生きつづけるための戦略」((注)邦訳;かけがえのない地球を大切に〜新・世界環境保全戦略〜小学館)において提案されています。それはリオ・サミットで採択されたリオ宣言やアジェンダ21に引き継がれ、さらに国ごとの行動計画(ナショナル・アジェンダ)となり、また自治体レベルの行動計画(ローカル・アジェンダ)として、世界のすみずみから実践に移される態勢がようやくできつつあります。

ここで大事なことは、政府、業界、NGO、市町村が、たがいに協同・協調して、行動しなければならないことです。分かりやすい例を挙げましょう。「このプラスチックをどう廃棄するか」を問う前に、「こんなプラスチックの製品が必要だったのか」を問うのが、「永続可能性」実現のためには大切であることはお分かりいただけるでしょうか。そのためには、政府や業界にも、この問いかけが届かなければなりません。あらゆる主体の協力が欠かせないのです。

つぎに戦略の実践にあたっての、重要な2つの局面をあげましょう。まず行政による環境管理、開発管理の局面です。各国政府が、自らの権限のさまざまなレベルにおいて、これらの行動を準備する責任を負わなければなりません。つまりサステイナビリティ実現の戦略を練るのです。

第2には、法的な手段です。新しい環境法、すなわち「永続可能な開発」を実現するための法律をつくることによって、サステイナビリティを奨励し、実現することをめざすのです。世代間の公平を守り、生物の多様性を保全して地球生態系の健全性を確保する、未来的な法制度を確立しなければなりません。リオにおいて確認されたこの方向性を、すでに実践に移す国も現れはじめています。

「永続可能な開発」法には、その中に欠かすことのできないいくつかの要素があります。第1は、人々の参加のメカニズムがなければならないこと。社会のさまざまのレベルにおいて、環境がかかわっているさまざまな意思決定に参加しうることが重要です。あなたはそこで、コミュニティに対して問わなければなりません。「何が欲しいか」ではなく、「何が必要なのか」。すなわちわれわれのニーズが何であるのかを明らかにする必要があるでしょう。

法制に不可欠な第2の点は、世界の国々に、開発に際しての環境アセスメントを義務づけることです。現在までの経験に照らして、有効な環境影響評価法制をもつ国ほど、有効な環境管理を実現しているという事実です。世界の開発の先端を行く日本は、とくにこの点に留意をしていただきたいと思います。

「永続可能な開発」法について、さらに1点つけ加えましょう。環境がかかわるあらゆる意思決定において、各種の主体の中の個人、つまりたとえば企業の中の役職者、いろんなレベルの政治家、政府や自治体における官僚等、もし彼らが法において決められていることを順守しなければ、個人的責任を問われるというふうになっている必要があります。

最後に「永続可能性」に関する法律が、自然法をベースにしなければならないことを言っておきたいと思います。地球の声に耳を傾けるのです。地球が何をささやいているのかを知らなければなりません。バフグナさんが話されたように、自然との間に完全な調和の保たれた法律をつくらなければならないのです。



西村  ありがとうございました。つぎはポステリオーネさん、よろしく。



ポステリオーネ  イタリア最高裁で判事をしております。そこでは環境法を担当し、この10年間一生懸命にやってきました。また私は文書管理の担当者でもあり、最高裁のさまざまなデータベースの保管者です。ローマ大学の博士課程では、環境法を教えてもいます。また国際環境裁判所の設立を、熱心に唱えています。

「永続可能な社会」に関して、私の考えを簡単に申しましょう。3つのことがあります。まず「永続可能性(サステイナビリティ)」の概念が何であるかを定義しなければなりません。第2に「永続可能な社会」の原則づくりをしなければなりません。第3にはその実現のためのメカニズムをつくりださなければなりません。

「永続可能性」の概念にはまだあいまいなところがあります。私の考えるそれは生態学的なもので、地球の生命に関するものです。「永続可能性」を「経済発展」と混同してはなりません。後者、経済発展は外枠の存在しない、無限に膨張する性格のものですが、これに対して自然・地球には、本質的な限度があります。経済原則は何がサステイナブルであり、何がそうでないのかを教えてはくれないのです。経済活動には、自然が教えてくれている有限性の枠をはめる必要があるのです。

もっとも「永続可能な社会」というものは、私たちにとって全く唐突な概念であるわけではありません。私たちはそこを貫く多くの原則について、すでによく知っています。すなわち「平和の原則」「自由の原則」「平等の原則」「正義の原則」「連帯の原則」それに「簡素に生きるという原則」です。そしてここに「環境享受の原則」をつけ加えましょう。この原則は人類のすべてがもっている基本的人権の一つです。あるいはまた環境は、人類共通の資源であるといってもよいでしょう。ちなみに第1にあげた「平和の原則」は、もちろん自然のために必要な原則です。自然を手段にして戦争をしてはいけないというだけではなく、自然を保全するために平和を守らなければならないのです。

私たちの社会を永続可能なものにするためには、いまあらためてこのような諸原則を、全面的に、有効に、取り込んでいくすべを考えなければならないと思われます。そしてその際、おそらく最もむずかしいのは、環境の享受を基本的人権として守るという原則でしょう。ここにいう基本的人権は、もちろん情報を手に入れる権利、意思決定に参加する権利、すべての裁判所に提訴する権利など(各種のアクセス権)をも含みます。要するに環境にかかわる民主主義を実現することが大事なのです。

つぎに「永続可能な社会」のための経済的なメカニズムとの関連が忘れられてはなりません。現状では世界の経済は、自由な企業活動に基づく自由貿易主義を基本にしたそれでしかありえないでしょうが、しかもなお、そのあり方の根本的な改革が不可欠だと思われます。環境は経済にとって資源です。それゆえ自然や環境と折り合いのつく産業こそ奨励されるべきものであり、逆に折り合いのつかない産業は困ります。もちろん技術を介入させて強引に折り合いをつけていくという考え方もありえます。

環境をまもるための技術の開発は重要ですが、しかもなお現状では、そのような道筋はまだ発展段階だというべきではないでしょうか。

基本的な環境教育プログラムの問題も重要です。また倫理的・宗教的・文化的な社会手段も同じです。これらの手段が、開発が環境におよぼす影響を考えて、法制の中に位置づけられなければなりません。

最後に、国家主権の問題について述べておきたいと思います。リオ宣言が、自国の資源を開発する国の権利を、一つの原則としてうたいました。そのため国、あるいは 政府が、自国の開発や環境の問題は、単に自国の問題にしかすぎないと思い込み、それが地球環境保護の視点と対立することがあるのです。

また国家主権の強調が、国際的な規制・管理・保証のためのシステムをつくる上で障害になる面が出ています。人間の環境は地球全体でつながっています。各国が独立にそれぞれの環境をまもる努力をする、それだけで解決のつく問題ではありません。

環境と開発に関する法制度は、自治体レベルから地域レベルへ、国家のレベルを経て国際的レベルへと、統合・強化する方向性をもたなければならないのです。

もちろん国家主権の尊重自体は重要です。国家が自国の社会と国民に対して責任を感じる、そうした信念は尊敬にあたいします。だがこと環境と開発の問題に関するかぎり、国連における世界的協力のシステムを再構築することの重要性を叫ばざるをえないのです。そもそも基本的人権を与えているのは国家主権ではないはずです。国家は自らの枠組み以外のところにも非常に重要なことがあるということを認識しなければなりません。



西村  ありがとうございました。分かりやすくサステイナビリティとは何かということを説明してくださいました。ではつぎのパネリスト、オリンドウさん、お願いします。



オリンドウ  まず、このようなサステイナブル・ソサエティについての国際会議に参加できたことを感謝したいと思います。いままで環境についての会議にはたくさん出席しましたが、このような人類の生き残りのために、人類とその環境の保護を考えるための会議は始めてのことだと思うのです。

経済的な発展に憧れる世界は、これまで、生物の生命の基盤を破壊してきました。産業革命以前には、植生帯というものが世界に広がっていました。そこには生命が満ちあふれ、動物も人間も、植物も、みんな生き生きとしていました。北のツンドラ帯、北米のプレイリー、アジアではステップの草地には、無数の動物・生物の種が存在していました。だが産業革命にいたり、「経済的発展」という概念が生まれました。そして北半球の人口が増え、環境を死の淵に立たせることになりました。もはや北の諸国には、豊かで多様な生物はいません。アフリカのサハラ砂漠は、もとはといえば非常に豊かな草地でした。これを人間が破壊したのです。回復不可能なまでの圧力をそこに与えたために、サハラ砂漠は、いまや誰のためにも、何にも生み出さない土地になってしまいました。それは人間を拒否しています。

バフグナさんがおっしゃいましたが、動植物の種が消えて行きつつあります。いや消えているわけではありません。われわれが破壊しているのです。というよりも、それらの種をどう扱うか、その理解に欠けているというべきでしょう。われわれには、種をつくりだす力はないのです。

今日の熱帯地域には、日本の企業も含めて多国籍企業がたくさんきています。そして世界各地で失敗した原則を、アフリカでまた性懲りもなく適用しようとしているのです。「経済発展を!」「さらなる経済発展を!」これが彼らの錦のみ旗です。森林を切り倒し、それで経済発展をせよというのです。アフリカその他の第3世界で、彼らが言い、していることは何か。「われわれはすでに環境を殺してきた。だからここでも、あなたがたの環境を殺せ」と言っているのと同じです。アフリカの動物や、熱帯雨林の木材を、いつまでも運びだしたらどうなりますか。森林がなくなれば経済が破綻します。産業が動かなくなります。経済発展などもはや不可能です。われわれはどうすればよいのですか。

アフリカはどうなっているのかという質問をよく耳にします。中南米、ヨーロッパ、アメリカとの間が切れたら、どうなるのかということもよく聞かされますが、これは経済的な平等ということと強い関係にあると思います。会議にはコーヒーブレイクがつきものです。このコーヒーの原価は非常に安いものです。キロあたり1ドルもするものではないのです。コーヒーを買う工業先進国の人々は、1キロが50〜60セントの安いコーヒーを買って喜んでいるでしょう。しかしこれをつくっている人々は、これでは経済的に生活が成り立ちません。当然自分たちの回りの環境をこわし、コーヒーの木の数を増やします。将来医薬品や食糧に変わるかもしれない大事な植生が、いまコーヒーの犠牲になってこわされています。

こうして経済的発展途上国の生産者の生活も、国の経済も破綻してしまうのです。そうなれば先進国の経済もそれに依存しているわけですから、やがては破綻すると思います。環境は「生命の母」だといわれます。この人類の母は一人しかいません。共通の母が一人だけです。すでにわれわれはこのような母なる環境を大きく変えてしまいました。いろいろな北の生態学的地帯、プレイリーやステップやツンドラが、すでに破壊されました。そこで世界の各地にこうアッピールしたいのです。「第3世界・熱帯地域の森林だけは破壊しないでください」

「北」の国々では、産業による環境の汚染が深刻です。バフグナさんがおっしゃったのですが、いまわれわれは人類だけで地球上の資源の40%を消費し、しかも水や空気を未来のために節約しようという意識など全くもっていません。世代間の平等、つまり将来の世代と環境・資源を共有するということを行わず、逆に汚染をしています。世界はいま破滅の危機にあると思います。われわれは地球・生態系の生産システムをそのまま守りたいと思います。

皆さんに重要な事実を指摘しましょう。地球上には多くの消えて行く生物種があるということです。これはわれわれが、人類の生活の基盤そのものを破滅させつつあることにほかなりません。教育を受け、文明社会に住み、豊かな生活を享受しながら、われわれはなぜこのように単純に、自らの生活基盤を危機に陥れたりするのでしょうか。アフリカには、年寄りが若い世代に伝えるつぎのようなことわざがあります。若者が木の枝を切ろうとしています。自分たちの枝から若い世代が生まれてきたのだと考える年寄りは、若者の行為に異をとなえます。でも若者は聞かず、枝を切り落としてしまいました。枝が消えると同時に、若者は倒れ、死んでしまいました。命の源を切ってはいけないという忠告に耳を貸さなかったからです。

現在、環境を、また森林を保全するための技術は、「北」の国々の研究所や金庫に眠っていて、一歩も外に出てこない。「南」としては技術を使って自然を保護したいのです。自然がもつ生産の基盤を守りたいのです。でも「北」の国々は言います。

「技術を使って地球の生産性を守るというのなら、それに見合うお金を出しなさい」
アフリカには広大なサバンナがあります。ほとんどのアフリカの国々は、サバンナの保全に熱心に取り組んでいます。「北」の国々がアフリカに来て、ライオンや象を売ってくれと言います。言われるままにやればアフリカの生態系はこわれます。そこでアフリカ人は拒否するわけです。

この会議の始まる前に、環境庁の代表の人が参加をしていないと聞き、非常に残念に思いました。というのは、いまここで日本の歴史が作られようとしているのだと思うからです。われわれはこうして、どうすれば人類が危機から逃れうるのかについて話し合っています。しかし政府のお役人たちは、人類が自然より上の存在だと思っているのでしょう。人類は破滅することなどありえないと考えているのだと思います。

だが地球上の生命が依存している生命維持システムを破壊すると、もはや人類の生き残りは不可能です。種としての人類 ― ホモサピエンス ― が、同じようにこの地球上から絶滅してしまいます。

皆さんに訴えます。いっしょにわれわれのライフスタイルを変えましょう。消費のレベルを下げましょう。地球の生命維持の能力の範囲内で生活しましょう。

「南」は、コーヒーで生き残れないなら、ほかに何で生き残るかを考えざるをえません。小さなラテンアメリカの国々は、コカを育てています。というのも、コカはキログラムあたり何千ドルものお金に替わるからです。でもその結果、「北」は麻薬の害毒で破滅するでしょう。どうしてこんな自殺行為をやめられないのでしょうか。破滅する前にコーヒーにもっとお金を出してください。森林を切るためにではなく、守るたににお金を出してください。熱帯のサバンナを守るための援助をしてください。

サバンナには多くの生物種がいます。日本全国の皆さん、この集会を機会に、世界のリーダーとして、人類の生き残りへの道を着実にたどってほしいと思います。



西村  ありがとうございました。アフリカ・ケニアで、14〜5年にわたって、国立公園と野生生物保護の先頭に立ってきたオリンドウさんでした。
さて私は昨年9月、聖なる川ガンジスの流域にバフグナさんを訪ねました。バフグナさんはインド政府のダム建設に反対して、さきに45日間の断食を敢行されました。聖者の風貌のバフグナさん。さきほどの記念講演に何か補足はございますか。



バフグナ  今日の人々は、エコノミーとエコロジーは別のものだと考えています。しか私の結論では、エコロジーは永続的なエコノミーです。一時的なエコノミーは、四方を食い尽くさなければ成り立ちません。これが健全なビジネスの原則です。ビジネスを成功させるためには資本をふやさなければなりません。しかし永続的なエコノミーの基本的な資本である酸素や土や水は減ってしまいました。健全な経済では、もっと酸素をつくらなければならない、土地を改造しなければならない、水をきれいにしなければならないわけです。ですからとくに工業先進国を中心に、新しい産業のあり方について考えてほしいのです。いままでに蓄積した資本を食いつぶさないで、すなわちむやみに木を切らない、逆に森林を回復させる産業をつくりだしてほしいのです。そうすれば天然林は回復に向かうのだと思います。森林は生きているコミュニティです。そこにはさまざまの生物種が生活しています。草や潅木が生え、豊かな土壌があり、芋がなり、鳥が暮らしています。残念なことですが、政府や資本は、森林を木材の伐採地にすぎないと考え、存在する多くの種の中の、お目あての一つだけを利用することを考えているようです。

サステイナブル・ソサエティを実現するためには、まずオーステリティ(簡素な生活・austerity)、そしてオールタナティヴ(いままでとは異なる道の選択・alternative)、第3に森林の回復を考えたいと思います。自然林をもう一度回復し、それに依存して生きるコミュニティを再建するのです。木を植えれば必ず成果は人間に返ってきます。松やユーカリのモノカルチャーな(すぐ金に替わる単一種の)森ではなく、さまざまな種が自然に共存する森林をつくるのです。このような森は保水にも役立ちます。日本にもインドのガンジーのようなカガワさんという人がいて、洪水が起こるたびに植林を訴えてこられましたが、そういった科学的な活動が必要だと思います。土地が限られている日本では、人口が増えるとその食糧を賄いきれなくなるでしょう。日本の食生活はすばらしいとは思いますが、もう一度かつての食糧生産を見直すべきではないでしょうか。

植林、この食糧生産としての森林育成はそんなに労働力を必要としません。気候を和らげるのにも役立ちます。それは非暴力の産物です。虎のようにどう猛になるのがいままでのやり方ですが、これに替えて、森林が与えてくれたものを食べることにするのです。いわば蜜蜂のような生活に帰ることにほかなりません。食糧生産のための森林育成、これが人類の将来を支えるものになるでしょう。単一種の森林、松などの針葉樹林ではなく、広葉樹の生えた森をつくってほしいのです。酸素を生産し、水をかん養できる森林です。これはチプコ運動の核心でもあります。

土地、水が生命の基盤です。生命は人間だけではありません。他の動植物もまた、母なる大地の子供であることに変わりがありません。一つの大きな家族として生きていきたいと思います。



西村  バフグナさん、ありがとうございました。いつか私に「サステイナブル・ソサエティというのは理想だよ」とおっしゃった宮本さんがいま、その構築をめざして何をなすべきかを論じる集会の実行委員長に就任されています。宮本さん、4人の方の意見を聞かれていかがですか。



宮本  むずかしい課題が論じられているわけですね。いままでわれわれ社会科学者はヒューマニズムを基礎にしてすべてのことを考えてきたのですが、今日のパネリストの多くは「ヒューマニズムを超えろ」と言っておられる。いかにヒューマニズムをふりかざしても、人間は生態系という有限の枠の中でしか生きられないのだと言っておられるわけで、社会科学者としては非常にむずかしい問題を突きつけられたことになります。

1972年にストックホルム会議で、オンリー・ワン・アースという言葉ができました。でもその直後に石油ショックが起こり、世界不況が広がりました。とたんに環境政策が後退しはじめ、現在の地球環境危機を迎える原因にもなったわけです。

実はリオ会議以後、また世界不況が深まっているなかで、世界の工業先進国の政府の最大の課題は、失業をどうするかということなのです。リオで提示されたサステイナブル・ディベロップメントという課題は、ふたたび棚上げにされるのではないかと 私は懸念しています。このような意味で、われわれはいま、何とかして直面している状況を変えなければならないと考えています。

不況からの景気回復を最大の政策課題にしている工業先進諸国の政府が、これからどのようにしてサステイナブル・ソサエティに向かって動いて行くのかということを、この会議ではっきりさせなければならないと思います。



シャピロ
外国からのゲストに対する会場の皆さんの期待が大きいと思うので、それぞれ日本に対する要求を簡単にお話しいただきたいと思います。ボアさんまずどうぞ。



ボア  2つあります。第1、この集会のメッセージを、日本の政府、企業の皆さんに伝えていただきたいのです。それが行政や企業経営者の耳に入らないようなことなら、もう討議などする意味はないでしょう。サステイナブル・ソサエティのことなんぞ忘れてください。
第2番目はODAのことです。環境影響評価にODAを提供してください。援助のなかには公式の援助ばかりでなく、非公式のものもあると思います。こうした非公式の援助に対しても、環境アセスメントの公式援助を提供してほしいのです。これが私の要請です。



シャピロ  ではオリンドウさんどうぞ。



オリンドウ  われわれはしばしば他人の行為に期待します。だが私はここにおられる皆さんに、いますぐ、自ら行動を起こしてくださるようお願いしたいのです。お金のかかることを言うのではありません。難しいかもしれませんが、消費のレベルを下げてください。まず食べ物から。必要な量だけを食べ、何も捨てないようにしてほしいのです。これを1か月つづけてください。そして皆さんにとってのその意味を確認してください。やってみてもしよかったと思われるなら、回りの皆さんに同じことを勧めてください。こういうかたちで、われわれはサステイナブル・ソサエティのための革命に参加することになるわけです。それはわれわれが、いままでに自然に対して与えてしまった傷を癒す革命にならなければなりません。

日本は経済的に成功した国のよい例だと思います。輸入した資源を加工して経済成長をとげました。ここらあたりで、世界のどこにおいてでもいいですから、環境回復のためのプロジェクトを考えてみてください。絶滅に瀕している種を救うというプロジェクトでもいいです。あるいは農業の方法をまちがったために、生産性を失っている土地を回復させるためのプロジェクトでもいいです。破壊された熱帯雨林を再生させることも大事でしょう。食べ物の無駄な廃棄をやめて、浮いたお金でこれらのプロジェクトを進めてほしいと思います。

日本政府が援助をしたプロジェクトが、自然を破壊し、環境に圧力を加えるそんなことがないようにしてほしいのです。同じことを企業にも言ってください。生物の多様性を保全するために、熱帯雨林を切らないでほしいと言ってほしいのです。



シャピロ  ポステリオーネさんどうぞ。



ポステリオーネ  私は日本政府に直接もの申す立場ではありません。だが環境は各国政府が責任をもって保護していかなければならない存在です。にもかかわらず一般的にいって、政府というものはごう慢なものです。イタリアでも環境省はできましたが、草の根運動には目を向けてくれません。

私は日本の政府に、環境を保護するための全世界的な会議、とくに技術会議を開いてほしいと思っています。そして地球の環境に関する報告書をまとめてほしいのです。なかでも海における環境保護のための会議を、ぜひお願いしたいものです。
また国際環境裁判所設立のためのご協力をいただきたいとも思っています。私どもは今年6月、ベニスで会議を開きます。ここには日本政府も招待しています。サステイナブル・ソサエティについても取り上げたいので、この集会に参加されている皆さん、招待いたしますので、ぜひご出席ください。



シャピロ  最後にバフグナさん、お願いします。



バフグナ  永続的なしあわせ、平和をすべての人々が享受できるような、新しい社会をつくらなければなりません。そんな社会をつくるためには、自然がすなわち文化であると考えなければならないと思います。

日本の人々には、新しい技術を携えてインドに来てほしいと思います。車やコンピュータのことではありません。そういった技術は病の基です。そうではなくて、人々の心を変える技術をもってきてほしいのです。人間というものは、心によって動かされる存在です。私たちは、新しい伝道者、すなわち科学的な頭脳をもち、同時に聖人の心をもった人々、よい労働者の手をもった人々に来てほしいのです。悲しんでいる人類のために、苦しんでいる大地のために、それらの人々に、何かをしていただきたいと思っています。



西村  残念ながら時間がきたようです。短時間ではありましたが、有意義な議論ができたかと思います。パネリストの皆さん、会場にあふれ、熱心に聞いてくださった皆さん、どうもありがとうございました。


このパネル討論会の記録は、同時通訳による日本語の録音テープから小山英二が文章化し、それをもとにして林智が意味のとおるように編集した。最終的な文責は林にある。