[第3分科会 基調報告]
自然のサステイナビリティと野生生物の多様性保全



小原 秀雄(女子栄養大学)



 'sustainable’というコトバの意味は、通常、「維持・持続的」となる。現在、1992年のブラジル会議以来、'sustainable’が環境問題の基本的概念の一つとなっているが、その内容が充分に検討された上で使われているとは言い難い。しかし、その概念は、なおざりにしておいてよいものではなく、地球環境の課題を解決しようとして集まった世界各国の、しかも、最大規模の最高指導者によって決議されたものである。今日の国際政治経済条件下での決定であるとはいえ、同じく集まった世界各国のNGOもまた、基本的には、その意味するところの具体化に力を合わせようとしている。理由は明確である。地球の現実を知れば、何らかの形でこのような概念の具体化と実現を図らねばならないからである。


 問題は、その実現、具体化が、どのような条件、状態で成されるかである。基本的には、人間と自然との関係が問題である。自然は、生物的、非生物的(無機的・物理的)に構成され、生物的自然は、自然史の上で人間以前(人間を生んだ)の自然の具体的存在形態であった。それ故に、野生生物は自然の主要な構成要素であり、部分である。人間の出現以来、現在まで、自然は基本的には社会化、人間化され、変化している。したがって、もうひとつは、人類のありかた、生活のしかた、社会のありかたなどの問題である。


 さて、課題は、人間と自然とのサステイナブルな関係である。人間は、自然と物質代謝をして生存する。その永続性を求めるためには、自然との代謝のしかたは、自然の性質に則した合法則的なものでなければならない。これまでは、人間の代謝のしかた、人間の要求に基づいて、しかも自然の持つ属性と整合させつつ社会化し、利用してきた。人間の要求と自然の属性とを整合させるというよりも、むしろ自然を要求に従わせたという方が適切かも知れない。


科学と技術とが、自然の属性を明らかにし、その結果を人間の要求と、その発展としての社会システムの要求に即して利用するというしくみは、次の3つの面で問い直されるべきである。

すなわち、第1に、科学と技術とが、歴史的に時代的な制約を受けているにもかかわらず、解明でき、機能できる範囲にとどまることなく、生産力増大の要請に応え、適用範囲を越えて働いたこと。

第2に、科学と技術の対象への接近のしかたが、現在的な分断、分析的な方法だけに偏りがちで、歴史的(自然史的)、全体的(生態的)な諸法則性が未知である部分が多いものの、その方法と、数量的物質的にとらえられないが故に、非科学的、観念的として退けてきた。その指摘があるにもかかわらず、自然を自然界として、あるいは、自然史的存在としてとらえることができないままに、しかし、その要請(社会的人間的といわれる)に従って、分断的に利用してきたこと。

第3に、人間の要求及び、社会的要請とされるものが、基本的に利潤追求の企業社会におけるものであり、真に人間的な価値などに基づくものではなかったと思われること、である。この第3の点は、この分科会で、直接、問われるものではないが、具体的に現代社会の中で生存し、生活している人間という立場からの要求、要望と、人間にとって本来的な自然性(ヒトとしての諸性質)を生かしながら、未展望の社会と文化を想定した「理想的(アイディアル)」な人間の要求、要望の両面を問わねばならないと思われる。その展望にかかわる人間(ヒト)の持つ自然性を、その歴史的由来に基づいて明らかにするためには、自然における人間の位置の新たな問いが必要であり、そこにまた、「自然とは」という問いが発せられることとなる。


 そこから発展した最も重要な新しい科学上の課題として、「'人間的自然さ’とは」という問いが起こる。この問いは、現代人間学の課題であり、限られた知的営為に基づいてではあるが、こうした視点からの人間像が求められ続けねばならない。この分科会の課題に引き付けていえば、人間及び、ヒトと、比較の対象としての自然的存在としての動物があり、また、人間のつくり出す社会や文化との対比として、また、文化や社会の問い直しのための自然、'生物的自然とは'といった諸対象への問いが重要性を帯びてくる。


 今日的課題に応える自然の研究としては、当然、理念的、理想的(アイディアル)な基本的自然像を描くことが必要である。この中には、動物像も植物像も含まれるのであるが、具体的な今日の自然の存在様式を認識して、実践的な課題認識も問題にしなければならない。サステイナブルな地球上の人類社会を考える上では、今日の地球上の自然を保全し、かつ利用しなければならない。この矛盾する面の解決についても、理念的、理想的な面と、現実的な面との安易ではない整合を図るべきであるのはいうまでもない。そこで、今日のSD概念を現代社会に適合しつつ、具体策を打ち出すときに、生み出す側の人間のありかたから、その現実的なとらえ方、理解のしかたが現れてくる。


 このときに重要なのは、自然の側からのサステイナブルというとらえ方、見方である。これは決して特定の人間の見方なのではない。自然は自然である故にそうであると共に、自然の側から追及すべしとの主張と接近とは、地球上の自然の保全による、人類社会の持続の永続性を求めてである。というのは、生物や人間存在の特異性に着目して、地球上の自然に限ってであるが、その歴史(進化史)的な在り方を含めたサステイナビリティを考えねばならないからである。


 今日の地球上の自然は、基本的になんらかの人間の社会的影響を受けている人間化された、あるいは社会化された自然である。しかし、その自然の社会化のしかたには、自然の基本的性質を保全し、歴史的にその発展を、即ち、自然の'自然な進化’を保全する働きがなければならない。地球上には、いまだに、基本的には自然の法則性に基づいて歴史を積み重ねている地域がある。そのような「自然的な」地域的自然を地域自然界(地域自然生態系)として保全し、そのネットワークを地球上に広げ、地球の自然が全体として機能するようにする必要があると思われる。そして、全体的な自然界の中で、地域的にはまた、人間による自然のサステイナブルな利用と新しい文化と社会とをめざしたさまざまな段階での自然利用の諸形態が適切な位置づけ、諸関係の中に存在し、発展し続けるべきであろう。


 原生自然は、サステイナブルそのものである。また、進化には、ディベロップメントが含まれる。例えば、アフリカゾウは陸上で1〜2kgの糞塊を歩きながらいくつも落とすが、これは、動物園などでは大量の廃棄物だ。一方、野生では、甲虫などの餌になり、その産み込まれた卵から出る幼虫は、小獣の餌になるし、種子をバラ撒くうえ、最終的には植生の肥料となる。フンもそれなりの生態的役割を担っている。また、巨大なクジラの死骸は、海底に沈むと、栄養分のオアシスのような役を果たす。ゾウの密猟や大規模捕鯨という社会的営みの結果とは異なるのである。


 地球サミットにおいては、SDと共に、このような地球レベルでの人間と自然の在り方を考えるために、Biological Diversityの保全が提起された。SDは、Biodiversity Conservationと共働することが必要だと環境問題の先進者は考えたのであろう。我々も全く同じように考えねばならないのではないか。Biodiversity Conservationは、いつのまにか遺伝子資源の保全やその利用の面が、現代社会、国際関係において強調されてしまっているが、Diversityの意味するところは、我が国で訳されているような「種の多様性」といった概念に矮小化されてはならないし、そのような意味ではない。


 Diversityは、進化による分化・分岐を含んでおり、Biologicalはまた、生物界の論理、即ち、法則性を意味する。したがって、生物界の多様な分岐の保全とは、進化の結果出現した各地域の生物界と種の保全によるその多様性と、それを現し出す自然的過程、即ち、進化する性質を保存・保全するというのが目的である。この発想にしたがえば、各地域での生物界の利用は、それを保全する生態的バランスを保つものでなければならず、また、地球上全体においては、各地域生物界の多様な進化的変化を「自然な」ままに絶対保存する保護区即ち、地域生物界を保全し、全地球上の生物界(生物的自然)を全体的には自然な過程として機能するような社会化のしかたによって子孫へ受け継がねばならない。これこそが人類的目的とみなすことになる。我々は、地域及び、日本列島において、自然の社会化のしかたをこのようなあり方に問い直し、それと共に肥大化した消費生活が、国際的、地球的規模で自然のサステイナビリティに及ばす影響を問い直す必要がある。


 野生生物の利用を輸入などを介して大量に消費して、いささかも心配りをしない我が国の姿は、象牙、捕鯨問題においてあまりにも歴然として、長い間、世界にその印象を与え続けている。この負の環境倫理における遺産は、いつか決済せねばなるまい。


 自然は、具体的には地形と土壌、陽光と大気、水及び野生生物(野生動植物等)によって構成されている。自然のサステイナビリティは、具体的には、野生生物の利用や保存を生態的に、また、進化史的にどう考えるかに集約される一面を持つ。


 長い歴史を経て、人類は、いまや、localにもglobalにも、野生生物との、より高次な次元、段階での共存や共生を探るべき時となった。新しい「自然的」文化、社会、人間生活のための、一つの具体的な試みとして、野生生物との共存と共生が、人間自身にとって欠かせない時代が明け始めたのである。そして、自然のサステイナビリティを理解するためには、ダイナミックな自然像の的確なとらえ方が欠かせない。


 その基本的な視点として、
1)エコロジカルにバランスと結び付き、ダイナミックな動きといった関係的な見方をする
2)進化史的に形成されたものとしてみる
3)物質的なしくみが、メカニズムとして働いている
4)1)〜3)が具体的に現在、どう関わりあって自然現象が生まれているのか、等
 こうした視点で自然を捉え、それが、人間の働きと社会システムによってどう変化しているか、を問う必要がある。


◆◆付記:
 筆者が代表する野生生物保全論研究会では、1993.12.29の「生物多様性保全条約」発効に際し、条約発効の意義及び、野生生物保全に関する基本理念についてコメントを国内外で発表している(1993.12.29;於日本、1994.1.14;於IUCN総会)。基本理念については、黒田弘行氏が後述するので、その報告及び資料を参考にして頂きたい。