国内および国際的政策としてサステイナブル・デベロップメントを認めることの倫理的意味、政治的関係、実行上の限界について(要約)
ゲーリー・D・メイヤーズ(オーストラリア)
「生態学的に永続可能な発展(Ecologically Sustainable Development)(ESD)」という概念は、ここ25年から30年の間に環境と経済政策を討論する際の重要なテーマとして登場してきた。
この用語が現在のような形ではじめて登場したのは、1980年、国際自然保護連合(IUCN)が発表した「世界保全戦略」においてであったが、その基本的な考え方は、1960年代から1970年代にかけての成果、特に1972年のストックホルム人間環境宣言を生み出した第1回国連人間環境会議を頂点とした多くの努力に負うところが大きい
。しかしながら、このESDという用語は、環境と開発に関する世界委員会またはブルントラント委員会が、1987年にオックスフォード大学出版から出版した「我ら共有の未来」と題する書物により知られることとなった。
およそ30年間にわたって使われてきたという感銘的な事実にもかかわらず、多くの評論家等の間に残された疑問は、果して我々が、ESDとは何か、それが公的・私的な経済政策にどのような意味をもつのか理解しているだろうか、ということであった。
最近、この調査書のために「選ばれた」文献を調査したが、その結果、サステイナブル・デベロップメントに関するほぼ500近くの本や記事が出てきた。そのうちの、殆どとは言えないにしてもその多くが、「サステイナブル・デベロップメントとは何か」を論じるところから始めている。そして我々の資料や報告も同様であり、概念の意味を探るところから始めて、国内・国際的に、少なくとも報告者が、それを実現させるためにESDの内容はこれでなければならないと言えるところまで意味をさぐるのである。
一般的に言って、ESDは国の財政のバランスを取ることよりも、自然の生態系を保護することに一層深い関係をもっていると結論づけられている。こうして、第二に、ESDのこのような形での理解を、環境や多くの資源に関するこれまでの伝統的な政治的決定や経済的考え方、政策作成の上に置くというチャレンジを行うのである。
ESDを生態学を基礎にした概念と理解することによって1つのメッセージが明確になる。つまり、特に世界の極貧困国においては、開発は全てが必ずしもサステイナブルではあり得ないということである。現在と未来にわたる世代、そして多分それに続く世代にとって、資源は、貧困にあえぐ人々の生活水準をあげようとする少数の発展途上国が永続不可能な形で消費し尽くしてしまうことになるだろう。
こうした永続不能な資源の利用は、国際社会、特に世界の工業国が、自分たちの永続不能な自然の利用を切下げ縮小し、国際的な世代間・世代内の平等を達成するという義務を認識しなければ、また認識するまで、無期限に続くことだろう。以上が、サステイナブル・デベロップメントを国の、あるいは国際的な政策として認めることの政治的関係であり、実行上の限界である。
最後に、ESDの内容について共通の認識に達し、サステイナブル・デベロップメントの実現という政治的・経済的な課題にチャレンジするためには、とりわけ、国際的・国内的、そして個人的なレベルでの内在的な価値観の転換によるところが大きいことを提起して結論としたい。ESDの内容を認識することの倫理的意味は多い。最も大事な点は、国際的また国内的なスケールでESDを実現するためには、人間の社会と社会との間の相互の関連と同様、人間と自然界との間の相互関連の理解が必要だということである。
政治・経済・環境上のあらゆる美辞麗句が述べられても結局、ESDの実現は、日常生活で人類や他の生物を支えているものは何かを見つけだし、自然界と人間社会の中で我々が依存しているものと最も価値を置いているもの2つを永続させるために、どのような行動に踏み出すかにかかっている。
(訳・釘宮延恵)