第8分科会(地球時代の環境教育)コーディネータあいさつ
「知ること」「愛すること」「伝えること」




林 智



はじめに(分科会冒頭挨拶)


 基調報告をしてくださる愛知大学の和田さんといっしょに、この分科会のコーディネータをつとめた林です。


 この分科会には最後の8という番号がついていますが、決してつけたりの分科会という意味あいではありません。SSの建設といえども、「結局最終的にはこの問題」といわざるをえない2つの問題、「経済システム」と「環境教育」を、最初と最後に配し、それらの間に、重要な「南北」「多様性」「エネルギー」「政策と法制」「ライフスタイル」「青年」をはめ込んだのです。どこかの時点で経済のあり方が変わらなければ、SSなんぞはありえません。それにかかわって第1分科会の討議があります。しかしそのような経済の変革は、民主主義的方法によるしか道がないことを20世紀の歴史が示しました。つまり、みんなをその気にさせることが、すべての行動の出発点なのです。表現を変えて、「環境教育の成果こそが人間社会の未来を左右する」といってもよいでしょう。


 この分科会は、「自然教育」や「野外教育」が、それ「すなわち環境教育」なのではないという考えを基本にもって組織しました。はじめに和田さんに基調報告をお願いしたあと、第1部では、環境教育の現状について、4人の方から報告を受けます。南アフリカのジョルタンさんは、残念ながら来日できませんでしたが、提出されている論文の抄訳を、国際部の堀さんに読みあげてもらいます。休憩をはさんで第2部は、4人のパネリストのレポートを基礎に、また基調報告や第1部の諸報告の内容をふまえながら、「永続可能な社会」をめざすための環境教育のあり方、各種主体の役割、主体間の相互協力・協同の可能性などについて、全員で討論をしたいと思います。


まとめ(分科会閉会挨拶)


 分科会は、SS集会らしい、豪勢な環境教育シンポジウムになったと思います。会場いっぱいに集まって討議をしてくださった皆さん、第1部の報告者、第2部のパネリストの方々、それに司会や進行、記録など、会場運営を引き受けていただいた皆さんに、深く感謝の意を表します。
 私にとっては報告、討論のすべてが、実に感銘深いものではありましたが、分科会の組織にあたったさいの基本的な考えとの関係上、「日本における環境教育は、現在の日本の社会の浪費構造を変えることのできるものでなければ意味はない(井上レポート)」というご意見には、とくにつよい共感を覚えました。会場からネパールのビスタさんが、「南」の生活の現状を知り、考えながら議論せよと訴えられたことも、つよく印象に残っています。 SSに対する「南」と「北」のイメージは、果たして同じなのかちがうのか、この点に関しては、広範なNGOのあいだの国際的な討議が、今後早急に必要になるでしょう。


 こまかい分科会の内容はまだ皆さんの記憶に新鮮なことでありますから、それらを煩雑にくりかえすことは省略し、最後に私の勝手な提案の言葉を一つ申しあげて、まとめのあいさつに代えさせていただきたいと存じます。つまりこれから私たちが、いたるところで環境教育を進めていくにあたっての、「合言葉」あるいは「殺し文句」のようなものを提案させていただきたいのです。それは今日の朝、私が担当した全体会の基調報告の最後に、言葉にだけは触れておいた「知ること」「愛すること」「伝えること」という3つのステップのかけ声です。


 私はここ10年来、現代という時代を、人間社会の「奇妙な時代」であると位置づけてきました。安全で、豊かな生活を求めて始まったはずの人類の文明ですが、その文明のおかしな「つけ」が、いま安全どころか文明そのものを、しかも人類史的視点でみれば一瞬にしかすぎない短い期間のうちに、滅亡させてしまうかもしれないという逆説的な現実が現れています。こんな時代は、奇妙だと表現する以外には、ことばが見つからないのではないかと申しあげてきたのです。そんな時代の2つの危機の顔、「急性の危機」と「慢性の危機」の複雑なかかわりあい、私たちの行動は、まずはそんな構造的な危機の姿を「知ること」「理解すること」からすべてが始まります。


 「知ること」 私たちとその社会が、いま歴史の中で置かれている困難な状況に気がつけば、人々はさらに深くその実態を知ろうとしないではいられなくなるでしょう。


 「愛すること」そして知れば知るほど、人々は、私たちを育んできた自然・社会と、同時に人間・仲間たちを、愛さずにはいられなくなるはずだと私は信じます。


 「伝えること」そしてさらに、人々が自然と人間を愛すれば愛するほど、自らが知りえた科学的な事実を、仲間たちに伝えずにはいられなくなることでしょう。


 人々のあいだには、この時代の人類的な困難を克服するための「同志愛」の感情が生まれざるをえないと思うのです。「知ること」「愛すること」「伝えること」、これが多くの人々の「生活のスローガン」になったとき、おそらく人類の社会に「永続可能な社会」への展望が開けてくることでしょう。
(第8分科会コーディネータ、SS集会副実行委員長)