永続可能な社会とは何か〜21世紀の市民の実践(基調報告)

実行委員長  林 智




まえおき



「現代という時代」がどんな時代か、それを見定めることから始めます(第1章)。つぎにこの30年ほどの間に生まれてきた「永続可能な開発SD」「永続可能な社会SS」という考えについて、歴史的な考察からその本質を明らかにすることを試みます(第2章)。最後に私たちは、そのような「いつまでもつづくことのできる文明・人間社会」を果たしてつくることができるのか、どのようにしてつくるのか、その道筋のアウトラインを描いてみたいと思います(第3章)。



以下に述べる本集会基調報告の概略は、この半年来実行委員会に公開され、その討議の結果を取り入れて完成されました。




第1章 現代という時代をとらえる



危機が顕在化した異常な時代



文明の歴史をふり返れば、20世紀の100年はまことに異常な時代でした。それは人間文明の長さ約1万年にくらべると、わずかに1%であるにすぎません。ではどう異常だったのか、その特徴をここでは、(1)「効率化あるいは利便化」、(2)「巨大化」、(3)「グローバル化」の3つであるととらえることにいたしましょう。それらの要因は、人間の行為としての「生産」と、そして人々の「生活」に数々のメリットをもたらしました。100年前、私たちの祖父、曾祖父の時代、実感的にはドラマ「おしんの時代」です、総体的に見て、そのころの方がよかったとおっしゃる方は、おそらくはおられないのではないでしょうか。しかしそれらが生んだメリットの裏側で、数々のデメリットが出現いたしました。いわゆる「地球的問題群」と呼ばれるデメリットであります。かくて20世紀後半、ついに抜き差しならない人間社会の危機が顕在化をしてしまいました。



現代における人間社会の危機を、ここでは[1]戦争の問題、[2]格差、あるいは不平等の問題、[3]環境問題の3つの観点からとらえます。もちろんこれらの3つは、それぞれがたがいに独立した別々の危機なのではありません。密接につながっております。むしろこれらは巨大な一つの人類的危機の、3つの側面だと言ったほうがよろしいでしょう。そして重大なことは、人類がその危機を構成する「地球的問題群」の制御に立ち後れたことであります。



順にこれらの危機の側面を概観することにいたしますが、その前に、それらの背景をなす「人口問題」と、それと一体である「食料供給の問題」について概観をしておくことが必要だと考えました。まずここから報告を始めます。



人口と食料の問題



「20世紀は『人口爆発』の世紀だった」という言葉があります。「ヒトという生物が、異常発生した時代だった」といえるのかもしれません。人口は文明のはじまりのころ、おそらくは数千万人程度であった状態から、西暦1世紀には約3億人、それが20世紀初め、16億になり、戦争が終わったころには25億、そしていま60億人を超えています。うなぎ登りに増えました。人口が増えれば、当然ながらそれに見合う食料が要ります。これが動物の社会ならば、淘汰によって個体数が減り、放っておいても自然界には平衡が回復するはずでありますが、人間社会の場合にはそうはいきません。



そしてこのピンチを救ったのは、「緑の革命」という言葉で象徴される、とくに20世紀後半の食料大増産でありました。農産物ばかりではなく、技術進歩によって漁業生産も増えました。そしていま、世界全体としては食料は不足しておりません。公平に分配されるならば十分にあります。ところが現実には、地球には「飢餓・貧困」と「過食・浪費」、この両極端が共存しているのです。そしてそのうえ、このような食料大増産のつけは、「陸と海の生態系の、空前の荒廃」をもたらしました。



さてその地球人口は、20世紀の「爆発」の後を受けて、まだまだ増えることになっています。国連の予測によれば、21世紀の半ばには、90億近くになるはずであります(中位予測)。この約30億人の増加は、アメリカを除けば、主として開発途上国で起こります。そしてそののちどうなるのでしょう。



性と生殖に関する健康と権利



話は変わりますが、「性と生殖に関する健康と権利」という、おそらくはすこし耳慣れない概念のことをご存じでしょうか。これは94年、カイロの国際人口・開発会議と、翌95年、北京の世界女性会議を経て確立された概念で、「女性の生殖機能に関する健康の保持、ならびに女性が産む子どもの数と産む時期を女性自らが決定する権利」という意味であります。じつはこれが人口問題の鍵を握る概念なのです。



長々しい説明は省いて平たく結論を申しますと、女性の地位が上がれば「人口爆発」は止まるということです。このことは、統計と、先進諸国における歴史的経験から、国際的に確認をされるようになりました。さきに挙げた三つ、このあとすぐ少し詳しく見ていきます「戦争・テロ」、「格差・不平等」、「環境問題」の行く先は、現状では全く不透明でありますが、その背景にある「人口問題」の方は、この目新しい権利が確保されるならば、つまり言いかえれば人類の努力次第では、何とかなりそうだということになっているのであります。



ということは、事態は絶望的ではないのですが、鍵を握るこの権利の実現は、「格差・不平等」、つまり「南」の貧困の問題、もっと言いかえると「先進国から途上国への援助の問題」と大きく関わっております。つまり日本を含む「北」の自覚が必要なわけで、これはわれわれの問題であり、私たちが何もしなくても人口問題は手放し安心だというわけのものではありません。



第一 「戦争と殺害」の問題



それでは20世紀が生んだ危機の側面の第一、「戦争と殺害」の問題を見ましょう。20世紀、「人殺し」といういわばあきれた行為もまた、目を瞠る勢いで「効率化」「巨大化」「グローバル化」の道をたどりました。戦死者の数は18世紀、約700万人、19世紀、2000万人に対して、20世紀は1億1000万人に達しました。そしてその前半には、周知のように、2回の世界大戦が行われています。世紀の半ばには、究極の武器だと目される核兵器が登場しました。



20世紀後半の大部分は、東西両陣営に分かれて、核兵器の質と量、そしてその運搬手段が、言語に絶する発達を遂げた時代でありました。脅威のポテンシャルは「文明の根絶やしが30回も可能だ」ともいわれました。そのピークは80年代の前半だったといえるでしょう。なぜこんなひどいことになったのか。要因としては「武器技術の発達」、人と物の「移動手段の発達」、「情報手段の発達」の3つを挙げることができると思います。



だがこの冷戦は、表面的にはまるで「いきなり」と思えるくらいあっけなく終わりを告げました。1989年の「ベルリンの壁」の崩壊、91年のソ連邦の消滅を契機に「東西問題」は終息を迎えます。しかしながら世界の期待を裏切って、この地球に平和は訪れませんでした。冷戦下にももちろん朝鮮戦争やベトナム戦争に象徴される熱い戦争はありましたが、冷戦後は東西の枠組みによって押さえ込まれていた部族的・民族的・宗教的矛盾が噴出し、かえって地域的紛争が頻発、それが世界に拡散するにいたりました。冷戦後いきなり勃発したのは湾岸戦争でした。そして現在のイラク戦争に至るまで、旧ユーゴ、パレスチナ、アフガニスタン、そしてアフリカ大陸にいたっては枚挙に暇がない紛争・殺戮のラッシュであります。



そしていま、「口では民主主義を唱えるアメリカ帝国」の出現する様相が顕著であり、ブッシュによる「対テロ戦争」が宣言されるにいたっています。「戦争グローバル化」の様相が一変しました。この第一の側面の今後は全く不透明だというほかはありません。



第二 「格差・不平等」の問題



「格差・不平等」の問題には、「貧富格差の問題」と「社会的地位の格差」の問題が含まれます。前者の中心はいわゆる「南北問題」であり、あるいは「途上国の貧困問題」といってもよろしいでしょう。後者の中心には「ジェンダーの問題を含む社会的弱者の復権の問題」があります。



さきに世界の食料は不足してはいないと言いましたが、その地球上で、「貧困」と「過食・浪費」の極端な分極が起こっています。10億近い人々が栄養不良状態、20億を超える人々がまともな飲み水が得られないという状況の一方に、肥満・成人病に悩まされる人々の数が10億を超えている現実があります。日本の肥満人口も、3000万人になろうかと言われます。



貧富の問題は、「強者と弱者の問題」として、人間社会のはじまりからあったことが想像されます。しかし下って17世紀、植民地主義の進展は貧富格差を構造的なものにしました。そしてその矛盾は、産業革命以降の資本主義の発展とともに拡大したのであります。第2次世界大戦の終結を契機に、20世紀後半、アジア、アフリカの被植民国はつぎつぎに独立を果たしました。しかしこの政治的解放は貧富格差の解消にはつながりませんでした。そればかりか、国際貿易のルールを介して、先進国と途上国の間の経済的従属構造を固定化する結果を招いています。



世界の貧富格差は、つぎの数字に端的に表れているというべきでしょうか。世界人口60数億を豊かさの順に5つに区分した最も豊かな1/5、つまり私たちを含む10億人あまりが、世界の富の85%を独占しています。そして4/5、残りの50億人ほどが、15%を分け合っているのが実情であります。また、最も貧しい1/5(10億人口程度)に目を向けると、その取り分はわずかに1%ほどしかありません。



第三 「環境」問題



三つ目は環境問題です。およそ生物が地球上で生きれば、彼らは周辺つまり環境に何らかの影響を及ぼします。しかしヒト(文化のことはさておいて、生物としての人をヒトと呼ぶことにしましょう)が文明をもつ以前は、環境に及んだ影響は、自然の復元能力によってすぐに、あるいはやがて、簡単に元に戻っておりました。しかし人間活動が文明の名によって巨大化し、場合によっては悪質化し、さらにグローバル化したために、自然生態系の復元能力の限界を超えてしまった、地球が正常な状態を保てなくなっている状態、これが環境問題であります。



この環境問題、すなわち人間活動と環境の間の矛盾は、18世紀後半から始まった産業革命以来、まず局地的に「生産の現場」と「その周辺」で数々の人権問題を生みました。すなわち「労働災害」と「公害現象」であります。「公害」の典型は、いまから30年あまり前、1960年代の後半から70年代の前半にかけて、日本社会に見られた状態であります。「公害」とは「どちらかといえば局地的、地域的ではあるが、人権問題、すなわち人々の生命や健康に関わるほどに、激化をした環境問題」だと言うべきでありましょう。いうまでもなくそれは、折からの日本社会の高度経済成長のつけでありました。



このごろは公害の歴史をふり返って、それが戦前からあったんだとよく言われています。それはまさに18世紀以来の産業革命によって顕在化した「環境を介する人権問題」すなわち「公害現象」が、19世紀の終わりから20世紀の初め(まだ明治の時代)にかけて、東洋の島国、日本にも押し寄せてきた姿にほかなりませんでした。



いまは「公害の時代」(日本の60年代後半から70年代前半)のことを知らない方々も増えました。環境問題といえば地球環境問題のことであり、地球温暖化の問題だと感じている方も多いのではないかという気がいたします。しかし、それゆえにこそ、「公害」と「地球環境問題」の関係は正しく捉えておくことが必要でありましょう。そのために、地球環境問題の3つの態様をここに提示しておきたいと思います。



いま私は、公害とは「地域的な、人権問題の域に達した激烈な環境問題」だと申しました。地球環境問題の第一は、この「公害現象」がグローバル化して地球全体に広がっている問題です。規模が巨大化しているという意味ではありません。地域的な、激烈な人権問題が、地球上のいたるところで起こっているという意味であります。具体的には、30年前の日本社会の状態がほとんどの途上国に広がっているということです。たとえばおよそ世界の資源のあるところ、必ず多国籍企業、巨大鉱山会社が出かけて行って、労働者とその周辺に、深刻な「労働災害と公害」とを起こしています。



そして第二は、一つひとつの環境への侵害は小さくて、とてもそれ自体が人権問題だとはいえないが、それらが寄り集まってついに地球そのものの健全性が脅かされるにいたっている現象であります。みなさんが車に乗って移動する。それが即、人権問題だとは誰も言いませんし思いもしません。しかし自動車排ガスの二酸化炭素は、気候変動の最大の要因であります。この第二の地球環境問題の例には、何といってもいま最先端にある「気候変動問題(地球温暖化の問題)」を挙げなければなりません。それに劣らず重大なものに、「地球生態系のグローバルな遷移の問題」や、「低濃度化学汚染の問題」が挙げられるでしょう。また一時はたいへん騒がれた「オゾン層破壊の問題」も、典型的なこの例の一つであります。



そうしてもう一つ、これはふつうは環境問題としては認識されていないことが多いかと思いますが、私が早くから重大な第三の環境問題として強調している 「『精神的・情緒的・文化的環境』の矛盾・劣化の問題」を落とすわけにはいきません。第一と第二は、ヒト以外のあらゆる生物にとっても当てはまる共通の環境問題ですが、この第三は、文化を持つヒト、すなわち「人間」の社会だけに存在する独特の環境問題であります。



有限の存在に変わった地球



さて、以上第1章で述べてきたことをまとめます。20世紀は文明の歴史の中で、異常な時代になりました。どう異常だったのか。産業革命までは実質上「無限に大きいものと考えることのできた地球」が、人間活動の巨大化のために、20世紀、ついに「有限の存在」に変わってしまったのです。



そして人間社会が、そのことに気づくのは、20世紀後半の60年代、レーチェル・カーソンによる「沈黙の春」以来だとされています。これは人工化学物質による汚染がすでに全世界に広がっていて、このままでは、春は鳥のさえずりが聞こえない「沈黙の春」になってしまうというものでありました。しかし直感的に「地球の小ささ、可憐さ」を人々に印象づけたのは、むしろ1969年の人類の月到達であったかも知れません。「沈黙の春」は20世紀、人間活動の巨大化の陰の部分の象徴、「月着陸」は光の部分の象徴だともいえましょうが、これらの両者がいずれも、「地球の危うさ」を人々の目に焼き付けたという意味で、興味を覚えさせられます。そして、これらの事象が、1972年の、初の国連人間環境会議、俗にいわれるストックホルム会議の開催へとつながっていきました。




第2章 「文明を永続させる」という思想



「成長の限界」と国連人間環境会議



さて1972年という年は、文明の未来を考えるうえで重要なできごとの重なった年でありました。その一つは、この年ローマ・クラブの最初の報告が出たことです。ローマ・クラブというのは、経済成長の未来に懸念を抱く世界の財界人有志の集まりで、イタリア・ローマで結成集会が開かれたために、こういう名前で呼ばれています。それは経済人グループの報告書ではありますが、内容は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のメドウズという学者らに委嘱して行われた、世界で初めてのコンピュータによる「文明の未来予測」であります。そしてその結論は衝撃的なものでした。「現在の状態の経済成長がこのままつづくと、人類の文明はあと100年はもたない」というのです。



これに対しては衝撃が広がる一方で、いろいろな批判が出ました。「危機は危機でもそれは資本主義の危機であって、地球の危機でも、文明の危機でもない」というものもありましたし、シミュレーションの手法やデータの不確かさに対する批判もありました。「地球の危機なんかではない」という批判に対しては、歴史が答えたと思います。シミュレーション技法上の批判は、なにしろいまから30年前の、IT技術の「つぼみの段階」におけるそれですからもっともな点はあるのですが、こののちそれが急速に「花開いた」後に行われた数々の同様シミュレーションでも、「成長の限界」のそれが大局的には誤りでなかったことが確認されています。



二つ目に重要なのは、すでに言及いたしましたが、同じ年、スウェーデンで行われた初めての「国連人間環境会議」です。集まった世界の首脳たちは、環境問題が人類の未来の一大事であることを確認し、これからはこの問題に関しても国際協力を強めることを誓ったのです。それが「ストックホルム宣言」、あるいは「人間環境宣言」と呼ばれるものです。もともと国際連合が作られた目的は、第一が「戦争の追放と平和の確保」、第二が「人権の擁護と回復」でした。そしてこの会議以来、「環境の保全」が、国連の行動の第三本目の柱として確立されたということができるでしょう。



「文明を永続させる」という思想の萌芽



翌73年の冒頭から、ストックホルム会議の決議によってできた国連環境計画(UNEP)が活動を始めました。まず世界のあちらこちらの都市で、「地球的問題群」のさまざまな局面を討議するための国際技術会議がつぎつぎと開催されます。たとえば「人口」「貿易」「食糧」「人間居住」「淡水」「砂漠化防止」などの国際会議です。それらに共通する問題意識はこうです。数々の「地球的問題群」ができてしまったのは、いままでの開発のあり方がよくなかったからだ。いつまでも地球が無限だと思い込むような時代錯誤の考えは捨てて、これを「性格を変えた新しい地球」にふさわしい開発のあり方に替えなければならないというものでした。



そしてその討議のなかの「新しい開発」は、素直に「開発の代替的スタイル」とも呼ばれていましたし、一歩内容に踏み込んで、「破壊なき開発」「永続可能な開発」すなわちSD、「持続した開発」「穏やかな開発」「有益な開発」などとも呼ばれました。しかしながら1980年には国際自然保護連合(IUCN)がその報告の中でSDの語を使い、1987年にはいわゆる「ブルントラント委員会」、正式名称「環境と開発に関する世界委員会」が、SDをその報告、"Our Common Future"(「私たちの共有の未来」)の基本概念に据えるにおよんで、SDはついに世界的市民権を得るようになりました。



そしてこのあたりからは、みなさんよくご存じの92年の「地球サミット」すなわち「リオ会議」、10年下ってついこの間の「ヨハネスブルグ会議」と、SDを軸とする「世界思潮の良識の流れ」が確立いたしました。言いかえれば「地球有限の時代」にふさわしい、生産と生活のシステムを確立しようという「世界の考え方の流れ」ができあがったのであります。当然ながら、きょうから始まる私たちのSS集会はこの流れの中にあります。



「永続可能な開発」SDとは何か



それではそのSDとはいったいどう定義されているのかを見ておきましょう。一番有名で一般に行われているのは、「ブルントラント委員会」の報告"Our Common Future"の定義であります。それによるとSDは、「未来の世代が自らの必要を充足する能力を損なわないようにしながら、現在の世代の欲求をも同時に充たすことができる開発」であります。われわれは子や孫たち、さらにその後の子孫にまで「つけ」を残すような生活をしてはいけないということにほかなりません。そこには「世代間公正」の思想がはっきりと表現されております。



このほかにもSDの定義はいろいろあります。みんな本質は変わらないと断ったうえで、自分たちが納得できるようにいろいろと言いかえています。たとえばIUCNの1991年報告 「地球の保全」("Caring for the Earth") は、SDを「われわれの生を支える生態系の能力の範囲内で、人間生活の質の改善を図ること」 であるとしています。



私の周辺でも、上のブルントラント委員会によるSDの基本定義の表現は、その翻訳調がいかにも露骨でなじみにくい感じがするものですから、早くから別のいろんな言い方をしてきました。「環境保全型開発」、「環境保全型生産体系」、「地球を廃墟にしてしまわない、いつまでも発展しつづけることができるような未来づくりのあり方」、「地球、すなわち人間環境の有限性を自覚した開発のあり方」などなどあります。少し凝った表現では、「将来の世代の生の諸条件(すなわち環境)を侵害しない開発のあり方」、「行為が、その行為の基盤自体を掘り崩すことのないような開発のあり方」、「物質的・社会的にフィードバック回路が、円滑に機能するような社会のあり方」というのもありました。



SDに対する反発



さて、このようにしてできた「世界思潮の良識の流れ」でありますが、これに対する批判や反発はいろいろとありました。「開発という名がつけば何でも反対」というのや、「危機は危機でも末期症状を呈する資本主義の危機であるに過ぎない」というものなど、すでに歴史の淘汰を被ったようなものは除外するとして、ここでは、早くからの、開発途上国の言い分をお話ししておかなければならないと思います。これは非常に重要であり、SSを論じるからにはぜひとも検討をしておかなければならないテーマです。



ストックホルム会議(1972年)のころ以来、開発途上国がつねに言い続けたのは、「いったい地球を永続不能にしてしまったのは誰なのだ」「途上国の国民にも豊かになる権利がある」「『世代間公正』をいうのならば、現存する『世代内不公平』をどうしてくれるのだ」ということでした。この途上国の言い分に反論する余地はないでしょう。そしてこの途上国の批判は、SD概念が現れた初期のころはともかくとして、90年代には、これが真っ先に解決すべき問題であることが、すでに世界のコンセンサスになっています。リオの地球サミットで採択された「アジェンダ21」は、21世紀の人類の行動計画を記載する重要なドキュメントでありますが、これにはその冒頭から、南北問題を解決するための重い条項が並びました。つまり国際社会は、考え方の上では世界人類がどうすべきなのかをよく分かっているのであります。しかし現実には行動として、「北」から「南」への援助が遅々として進まないということが問題なのです。



持続的成長



さてみなさんは、新聞の経済面や政治面に、「持続的成長」という言葉がよく現れるのをご存じですね。このごろは景気がよくなってきて、少し減ったように思われますが、ちょっと不況の兆しが見えると、この言葉はまるで「経済社会の悲鳴」であるかのように現れます。その始めは、ちょうど80年代の後半、"Our Common Future"がSDをキー概念に使ったころからです。このころは日本経済のバブルのはじめでありますから、最初は目立ちませんでした。意味はいうまでもなく、「いつまでも経済のプラス成長を確保する」ということです。



すぐお分かりいただけると思いますが、20世紀は大局的に見て、世界の経済成長がつづきました。それゆえにこそ、「永続不可能な世界」ができてしまったのです。これをふたたび「持続的成長」と読み替えたのでは、せっかく見つけたSDという、人類の21世紀の行動の方向性を、180度逆の方向に向け変えることになります。ひどい概念だというほかありません。



さてこの「持続的成長」という言葉、実はこれには、手強い黒幕がいるのであります。それはG8あるいはG7、主要国サミットです。サミットという言葉、単にサミットというときはこれを意味します。毎年1回開かれ、日本では2000年に沖縄サミット開催で、いろんな意味で騒がれました。ついこの間、本年度のサミットの小会議である金融相・中央銀行総裁会議のことが報道されておりました。このサミットは、だんだん巨大化して、見方によっては、世界のガバナンス、つまり統治に占める実質的比重はすでに国連をしのぐともいわれます。実はこのサミットの経済宣言、あるいはコミュニケの中には、たいへん重要な文脈で、「サステイナブル・グロース」という語が現れるのであります。新聞紙面の「持続的成長」ときに「持続可能な成長」という言葉は、このサミット用語の再現であるにすぎません。



こう見てくると、現在の世界には、国連を舞台にSD概念を育てた世界思潮の「良識的流れ」と、G8サミットによって権威づけられた、いつまでも「地球は無限」だという思い込みの改まらない「悪魔的考えの流れ」が併存し、たがいに混じり合うことなく渦巻いていることが分かります。



さてさてそれでは、私たちは毎日の生活の中で、どちらの流れに棹さして生きているでしょうか。この会場には、まさか「私は悪魔の流れ」とおっしゃる方はおられないと思いますが、でもことはそんなに簡単ではないのです。頭は「良識の流れの中に」、しかし身体は「悪魔の流れにどっぷりと」などということはないのでしょうか。「GDPの伸びが大きくなった。個人消費も回復した」などと言われると、何かしらホッとしている方がほとんどなのではないでしょうか。




第3章 永続可能な社会の構築を目指して



究極の人権社会



私たちの集会の名称は「永続可能な社会をつくる・・・」と謳っています。もちろんここで「永続可能な社会」とは、「SDという経済システムが全うに機能している社会」のことです。当然そこでは、「世代内公平」と「世代間公正」が確保されていなければなりません。永続可能な社会とは「地球上のすべての人が、時代を超え、安心して、自己の可能性を追求することができる社会」、いうならば「究極の人権社会」とでもいうべきではないかと私は思います。



さていま、イラクやパレスチナの現状、ロシアのテロの成り行き等々の報道を見ていると、いったい世界から戦争のなくなることなどあるのだろうかと思ってしまいます。しかしSSが「究極の人権社会」であるかぎり、人間同士が集団で憎み合い、殺し合う世界なんて論外です。戦争の追放、平和の確保こそ、SS構築の大前提であります。



だが考えてみてください。日本でいまから百二・三十年前には、京都と鹿児島が戦争をしていました。世界の様相は、ときに予期せぬ速さで変わるものです。50年前まで長らく犬猿の仲だったフランスとドイツが、いまEUの名の下に統合される現実が迫っています。ベルリンの壁の崩壊を、その10年前に予見した人が果たして地球上に何人いたでしょうか。「京都と鹿児島が戦争しなくなったのは、外敵が現れたからだ」という言い分があります。そして「宇宙人の侵略でもなければ、地球上から戦争はなくならない」とつづきます。たしかに外敵の出現が一定の役割を果たしたのはまちがいないかも知れません。



「地球的問題群」という名の「妖怪」



しかしいま「宇宙人の侵略」に匹敵する外敵が現れています。それは人類自らがつくり出してしまった「地球的問題群」という「妖怪」であります。宇宙人が仮にやってきたとしても、それが地球を攻撃するとは限らないでしょう。しかし、「地球的問題群」という「妖怪」は、すでに確実に人類とその文明を攻撃しはじめています。われわれは殺し合いなどやめて、協力してこの「妖怪」と対決することを迫られているのです。



「妖怪」との戦いは猶予を許しません。いろいろな局面を考慮すれば、「永続可能な社会」の確立こそ22世紀のことだとしても、21世紀の半ばにはそれへの目処をつけなければならないことが明らかであります。そして手強い「妖怪」軍に先頭には、気候変動問題、すなわち「地球温暖化の問題」がいます。本日午後、テーマ(1)、(2)、(3)は、この戦いの戦略と戦術を、講師の方々といっしょに考えます。ただテーマ(3)は、「くるま社会を変えよう」というお話しで、「永続可能な都市」という大阪では行政の間でけっこうはやりになっている言葉とも、関連するであろうことにご留意ください。



「微小要素の蓄積効果」



みなさん、私が年来提唱している「微小要素の蓄積効果」という考えを説明させてください。「ちりも積もれば山となる効果」とも言っています。一つひとつの大きさは小さくても、「数でいっちゃおうという効果」です。「1円がたちまち1億円効果」という言い方はいかがでしょう。道ばたの1円玉、誰も拾わないかも知れませんが、仮に日本国民一人ひとりが1円ずつ拠出できたら、たちまちそこに1億円の財源ができます。結局「みんなが1円ずつ」というこの小さな行為を、できるかできぬかの問題です。



この効果、自然界にも経済界にも、社会にも、考えてみればいっぱいあります。早い話が気候変動問題はこの効果によって起こったのです。消費税が強力な課税手段であると言われることも、世論の力の偉大さも、この効果から生まれています。この効果を逆手にとりましょう。すなわち、「『妖怪』との戦いを本気になってやらないとたいへんなことになる。何とかしよう」と、「みんなをその気にさせる」ことが必要です。さて、どうしてやるか。ここでそのためのツールの二本柱、「環境教育」と「宗教」の役割をはっきりと見定めましょう。明日、集会第2日目の冒頭、テーマ(4)と(5)です。



「妖怪」の実相に迫るには



すでに第1章で素描をしましたように、「妖怪」すなわち「地球的問題群」の構造は複雑極まります。そのいろんな局面を考え、実行委員会は、それらの局面でわかりやすいお話しをしてくださりそうな先生方、25名ばかりに集会の趣旨を説明し、講師になってくださいというお願い状を出しました。「そんな集会ならやってあげよう」と真っ先に手を挙げてくださったのが、今日から明日にかけてご登場くださる先生方です。そんなわけで、「妖怪の百面相」を、今日・明日の間に、余さず解明しつくすというわけにはいきません。「今度の集会が成功すれば、また近いうちに続編の集会をやればいいじゃないか」とか、あとで提案します「『サイバー・ネットワーク』を活用しよう」などという議論を経て、今回のプログラムが決まりました。



それでも、明日、第2日の昼ごろからあと、都市問題、農業問題、食糧問題、化学汚染の現状と管理、生態系保全など、お話しいただく内容は多彩であります。4つの報告のうち、テーマ(6)(7)は経済学の専門家のお話、(8)(9)は、自然科学ご専攻の先生からのお話を聞きます。



みんなでしゃべろう、そしてサイバー・ネット



第3日目、あさっては、「みんなでしゃべろう分科会」です。講師の先生方にも、ご都合のつくかぎり助言者として出席してくださるようお願いをしております。今日、明日のお話を聞いて、関心をもたれた分科会にお越しください。



最後に、「市民によるSSをつくるための研究」も、めまぐるしく進歩するIT技術を利用しない手はなかろうということを申し上げたいと思います。この集会のように、みんなで集まっていっしょに学び気勢を上げるのも、私たちが人間であることを忘れないためにたいへん結構なことですが、情報の流通速度は多くのみなさんがつとにご経験のとおり目を瞠るように早くなっています。ウェブ上に有志のネットワークをつくってはどうかという提案が、実行委員会ではなされています。そこでSSへの戦略と戦術を、みんなで議論することができればよいのではないでしょうか。この集会が、そのネットワークを立ち上げる契機になればよいと思います。



SDとSSの日本語



「最後に」と言っておきながらだらだらと話を続けるのはよくありませんが、みなさんの中には、少しとまどう方がおられるといけないと思って、ごく簡単に一つ注釈をつけ加えさせていただきます。それはSDとSSの日本語に関してです。実行委員会は少し議論をいたしまして、あえて「永続可能な開発」「永続可能な社会」を使うことを申し合わせましたが、講師の先生方はこれをそれぞれに異なった言葉で語られる可能性があります。



実際世上では、「サステイナブル」に「永続可能な」「持続可能な」「維持可能な」「持続的」などの訳語があり、さらに「ディベロップメント」には「開発」と「発展」の二つがあります。これらが、人によってそれぞれ好みの組み合わせで使われるので、非常にややこしい状態になっているわけであります。とりあえずはあまりこだわらずに、原語はみんな「サステイナブル・ディベロップメントSD」「サステイナブル・ソサエティSS」であると割り切って聞いてください。ちなみに政府文書は、「サステイナブル」に「持続可能な」を使います。それゆえこの語を使う人々の数がおそらくは一番多いでしょう。



終わりです。ご静聴をありがとうございました。