第3分科会:生態系保護と化学物質管理をめぐって



午前の部



▼ 司会・林


妖怪がうろつく地球


・基調報告でも述べられていたように、いま世界には、「地球的問題群という名の妖怪」がうろつき始めています。そのために、人類は待ったなしのところに追いつめられているのが現状でしょう。そしてその妖怪群の先頭にいるのは、周知のように、いま第1分科会で論じられております「気候変動問題」です。しかしそれに劣らない脅威をわれわれに突きつけているのが、この分科会の検討課題、「広範な生態系の破壊・遷移の問題」と「人工化学物質、ことに低濃度のそれの、地球的汚染による潜在的脅威の問題」であると思います。この分科会では、これらの両者を話題に、多くのみなさんのご意見をお伺いすることにいたします。


助言者紹介


・「生態系」に関しましては、昨日の最後の講演(「生態系と農業のあり方をさぐる」)をしてくださった植松先生が、助言者として出席してくださっています。「化学物質」の方は、ご講演の小野塚先生がのっぴきならない事情があって帰京されましたので、そのかわりに、大阪市の研究部門に長らくおいでになった、水の専門家の中村寿子さんに出席をお願いしました。ほかにも、「日本のコメを守る会」を主宰して有機農業を実践し、ご著書もある名張の伊藤伝一さん、宮崎県・綾町の広葉樹林の自然遺産登録運動に関わり、またダム湖の功罪を分析した研究書の翻訳にも関わっておいでの林裕美子さんにも遠くから参加をしていただきました。あとでそれぞれ発言をお願いしたいと思います。   


・さて午前中は、まず植松先生から、先のご講演の要約と補足などのご発言をお願いし、伊藤伝一さんに引き継いでもらって、主として「生態系」保全・農業に関わる問題を、午後は司会を中村寿子さんに替わっていただき、「化学物質」の問題に重点をおいて討議すればいかがかと思っています。


▼ 植松


昨日の講演の要点


・昨日させていただいたお話の要点を二つにまとめましょう。第一、農業は始まって以来、人間が土地に働きかけ、田んぼや畑にすることによって、自然の生態系を変える、いわば自然破壊の悪者の役回りを担ってきたわけですが、一方ではそれは食料の生産をしながら、何千年という長い年月をかけて、そこに新しい田や里山の生態系をつくり、維持し、それを人間の営みと共存・調和させてきたという側面を持っています。これからわれわれにとって必要なのは、自然・生態系と、人間・農業とが、たがいに他を「侵略」する関係ではなく、よりよく共存していくことのできる道を探り、実践することだと思います。


・そして第二に申し上げた重要なことは、その長い進化の末に形成されてきた生態系の多様性、豊かさが、いま人間活動によって、急速に失われつつあることです。さらにこの多様性喪失には3つのカテゴリーがあることを申しました。まずは一つの種のなかで、その多様な変化が失われています。みんなが同じ顔の単純な種になりつつあるんですね。二つ目は、これはふつう人々が考えるように、種そのものの数が減っていること、種の絶滅の問題として、しばしば語られています。そして三つ目は、ちょっと想像するのがむずかしいかも知れませんが、生態系の姿の多様性が失われ始めています。生態系というものは、いわば生物たちが演じるドラマの舞台で、彼らは「生産者」「消費者」「分解者」という役者に分かれて、たがいに連関して行動しながら、自らの役割を果たしているのですが、いま急速にそのドラマの多様性が失われつつあるのです。


イギリスと日本の実例を中心に昨日の補足


・それではお配りしている今日の分科会用の資料が行き渡ったようですから、昨日の講演の補完として、はじめにイギリスと、あとで日本の具体的な実例を中心にお話をさせていただきたいと思います。


・私は最近1年間、果樹学を専攻する神戸大にいます夫の片山といっしょに、イギリスに留学する機会を得ました。本来の専門は有機農業ではないのですが、自然と共存していくことのできる農業の、将来的なあり方は有機農法以外にはないと思っているものですから、これさいわいと精力的に、この有機農業先進国の状況を見てまわりました。イギリスの国土自体は日本よりも狭いにもかかわらず、有機栽培農地の面積は100倍くらいもあります。


慣行農法と有機農法


・化学肥料や農薬に頼る在来型の慣行農法の果樹園と、有機農法を実践する果樹園の比較観察はたいへん興味深いものでした。前者の場合は果樹の植えられているところには草一本生えていません。ところが後者は、通路はもちろん果樹の根元にもいっぱい草が生えていました。実はこれは草地栽培といって、この下草を土に鋤き込んで肥料にしているのです。そして前者には、リンゴや梨(洋梨)の樹の下に、いっぱい果実が落ちていました。少したくさん病斑が入ると商品にならないので、みんな間引いて落とすのです。これにひきかえ、有機果樹園にはそんな無駄は全く見られませんでした。といっても病斑が入らないのではなく、果実としてはとても商品にならないものなのですが、実はこれでもって、サイダーと称するアルコール飲料をつくります。日本のサイダーとは全くちがうので面食らいましたが、有機栽培のイギリスのサイダーは、リンゴの香りのするとてもおいしい飲み物でした。


「土こそ基本」〜ソイル・アソシエーション


・イギリスには英国ソイル・アソシエーションという、有機農法を支援し、その普及を図る組織があります。有機農産物やその加工品の認証を行い、調査報告の年報を出し、基礎研究にも力を入れるたいへん実力のある団体です。その名前を日本語にすれば土壌協会ですね。「土すなわち自然こそ、有機農法の基本」という考えが、名前に反映されています。この組織がWWF(世界自然保護基金)といっしょに行った調査の報告は、有機農法農場と慣行農法農場を比較して、前者では野生植物が量で5倍、種の数で57%多かった、希少種や絶滅危惧種は、前者でしか見られなかったといっています。鳥や無脊椎動物でも同様、またアブラムシなどの害虫はかえって少なかったと書かれています。


ナショナル・トラスト


・ナショナルトラストというのをご存じでしょうか。民間の資金で、文化的遺産や土地を買い取り、自然景観や歴史的環境を保全しようという組織です。イギリスは、この世界的な運動が始まった本家で、いまではこの国のナショナルトラストは、広大な土地や海岸線を買い取り、イギリス最大の地主だともいわれています。そのナショナルトラストが管理している農場を見ました。入り口に、地図のある案内の立て看板(Environmental Sensitive Areaとある)があるだけで、自由に入れます。そこでは、資料の写真で見ていただけるように、広大な農地に羊や牛たちが、いわゆる粗放飼育(過密飼育・過放牧の反対)されており、そのなかで市民が自由にピクニックを楽しめる、そんな農園です。日本では容易にお目にかかれないこのような状態が、国中に広がっています。このようにイギリスの有機農法は、日本では篤志家の農家がほそぼそとやっているという情況をはるかに超えて、市民が広範に背後からそれを支えるという体制ができあがっています。有機農産物はふつうのスーパーで、簡単に手に入れることができるのです。


人工化学物質からの脱却〜昔の栽培種の再発見


・有機農業にとっての大きな課題は、化学肥料と農薬からの完全脱却をどう果たすかという問題でしょう。私が考えているのは新しい品種の開発です。昨日も質問を受けましたが、品種開発というと、このごろはすぐに遺伝子組み換えのことが考えられてしまうようです。しかしこれには私はいまのところ反対です。私が言う品種開発は、化学肥料や農薬に支えられた現在の農法からは見向きもされなくなっている古い時代(明治以前ですね)の品種、それなりに耐病性、耐虫性があり、なによりも粗放栽培に適した忘れられた品種を再発見し、それを自然なやり方で改良するという意味の品種開発です。そこから日本型有機農法を確立できる道が見いだされるはずだと私は信じています。


遺伝子組み換え生物の放出は危険


・最近自治体が、住民の心配の声に押されて、遺伝子組み換えの規制条例を作ろうという動きが広がりそうな気配があります。ところが研究者サイドには、この動きに敏感に反応して、強く警戒する向きがあります。それは遺伝子の科学が発達して、現在のすべての生物研究が、遺伝子の組み換え技術がなければ進められないところまで来ているからです。私も、規制が生物の基礎研究を阻害するような性格のものになると困ると思いますが、研究活動が基礎研究の域を超えて、組み換え生物を自然界に放出するようになると、生態系に混乱を引き起こす可能性が大きいので反対です。問題が起こってからでは手遅れなのです。あわてて回収しようとしても、さて何をどう回収すればよいのかが、わからなくなることが必至です。


岩手短角(日本のすばらしい事例)


・有機農法先進国としてのイギリスの紹介をしましたが、私たちも自信をもつために、日本のすばらしい一例をお話しておきましょう。これは岩手県の話です。岩手短角と呼ばれる角の短い肉牛の牧畜が行われていますが、かつては県内で2万頭ほどもいたのが、いまは数千頭に減りました。理由は、肉質が「霜降り」にならないため、値段が安くて引き合わないのです。しかしこれは自然保護の立場から見ると、生態系にやさしい牧畜の典型だといってもよろしいでしょう。飼育の形態は「夏山冬里」といわれています。夏は牛たちを山に追いやって高地の草を食べさせ、自由に育てます。また夏の間に斜面など農耕不適地で牧草を栽培し、これを刈って、冬のあいだの里での飼育に備えます。もちろん輸入の肉骨粉といった濃厚飼料は使いませんから、例のBSE騒ぎとは無縁です。そしてここでは、いますばらしい制度が広がりつつあります。都会でサポーターを募り、その人々の出資で、牧柵や牛たちの管理の費用を捻出します。サポーターは出資に応じて生産された安全な製品を受け取る仕組みです。


多様な模索で生物多様性を守る!


・こういった豊富な情報が、まだまだ都市の消費者階層には届いていないのが現状ではないでしょうか。そして有機農法には、決まった一つのやり方があるのではありません。いたるところで、その土地々々に適した多様な模索が行われるべきです。それらの努力が、生物多様性を守ることにつながっていくのだと思います。


▼ 伊藤


夜低く、昼は上がる伊賀で


・はじめてお目にかかる方が多そうなので、簡単に自己紹介をさせていただきます。「大阪から公害をなくす会」という市民組織で長らく事務局長を務めているうちに、環境問題・健康問題・都会人の食生活の野菜不足問題に関心をもつようになりました。同会の運営を現在の方々にバトンタッチしてから、三重県名張に引っ越して、無農薬・有機肥料の野菜(ケール)を栽培し、都会の人々に供給することをやり始めました。なぜ名張かというと、基本的な理由は伊賀地方には、「夜気温が低く、昼は上がる」という有機栽培に適した気候条件があったからです。そしてこの仕事は成果を収めたのですが、次第にそれだけではすまないようになってきました。近所の農家の現状を見て、少しオーバーな言い方に聞こえるかも知れませんが、「いまのような日本の農政がつづけば、土地を持たない都会の勤労者は、かならず飢えるときがやってくる」と感じるようになったのです。そこで「日本のコメを守る会」というNPO法人を立ち上げ、コメの有機栽培普及の運動に乗り出しました。「公害をなくす会」や、「ケール健人の会」の組織運営の経験を生かしたつもりなのですが、こちらの方はなかなか思い通りには伸びてくれません。結局は日本の農政の問題に突き当たります。いくつかそうした問題点を取り上げて、お話ししてみたいと思います。


日本農家の危機的現況


・現在の日本の農家の危機的状況を一口で言うと、「高齢化と後継者難」だといえるでしょう。農業の経験を積んだ人が、高齢化でやめるきっかけになるのは、機械が壊れ、100万円のオーダーの再投資が必要になったときです。このごろの機械は電子化されているため、素人修理がききません。さらにことの背景には、たとえばスーパーで、安いコメがいっぱい売られているという事情があります。単純に計算してみれば、100万円あればそれらの安いコメを買えば、10年や20年は生きられるということにもなるでしょう。ではなぜコメが安いのか。一口に言えば輸入です。いま私たちが外食で口にする米は、すべてが輸入米だといってもまちがいありません。これが米の値段を引き下げています。


・高齢農家の中には、コメ作りはとても引き合わないのでやめたが、先祖伝来の田圃を売り払うには忍びない。そこでトラックターだけ買って、土をひっくり返すことだけをやっている人がいます。田圃は作付けをせずにおくと、その床に穴が開いて、粒子の細かい豊かな表土がみんな落ち込んでしまい、使いものにならなくなる。そこで作付けはしないが鋤きかえしだけを続けるというわけです。


高齢化と後継者難


・こうした農家の高齢化は、後継者難と一体です。若い人はとかく都会に出て、製造業に職を求めたがる。名張のような大都会への交通の便のあるところではとくにそうです。仕方がないから親は、借地料は要らないから田を使ってくれと頼んできます。もっともわれわれの組織は、反あたり1万〜1.5万円で借りていますが、なかには逆に金を出すからどうか使ってくれと言う農家まで出てきました。農協のカントリー・エレベータ(籾を集中して管理する装置)も、利用率は半分くらいで、とても採算に合いません。コメ農家の一般的傾向としては、自家消費の分だけを作り、あとはあきらめるという傾向が顕著です。


獣害に悩む中山間農地


・つぎに中山間耕地の耕作についてお話しします。これは、平坦な里にある耕地ではなく、少し山間部に入った田のことですが、できる米は、労力はいるが平坦農地のそれよりもうまい。ここに5アールないし15アールのオーナー制水田をつくり、20世帯ほどの人々が、いわゆる「援農」という形で耕作をしています。ところが最近こういう田の獣害がひどくなりました。主にイノシシとシカです。有機農業では、刈り取ったあと、いまも「はざ(稲架)掛け」をするのですが、これがイノシシやシカに狙われる。囲いをつくっても、イノシシはそれを力尽くで壊し、シカは軽々と跳び越えてきます。市にとどけ、県を経て環境省の許可が下りるのに20日くらいはかかる。その結果猟友会の人が依頼を受けて駆除に来てくれても、実はこの時期のイノシシは、食ってもうまくない。それであんまり本気で猟をしてくれないということもあり、成果が上がりません。獣害と自然保護のバランスはデリケートなところです。


有機農業に冷たい日本の農政


・有機農業に関する国の制度には大きな問題があります。たとえばつくった農産物を有機農産物だと称するためには認証を受けなければなりません。この制度自体も、認証を厳しくするのも悪いことだとは思いません。しかし農家には、その検査のためにたいへんな金がかかるのです。安くても1件あたり2〜3万の検査料がいる。私どもの場合、検査料をトータルすると、毎年200万はかかります。半分は消費者に転嫁させてもらっても、100万円オーダーの出費は免れません。そのうえ膨大な栽培報告書を提出させられる。施肥の時期、鋤きかえしの時期、収穫の時期等々詳細を極め、何センチもの厚さになる報告書は、老齢の農家の人々にはとてもできる相談ではありません。「カレンダーに、メモだけは忘れないようにつけておいて」と言って、報告書づくりの代行もやる始末です。聞くところによると、フランスでは有機農業に補助金が出るそうです。日本ではやる人々に余分の出費が課される。税金を払って有機農業をさせてもらっているようなもので、われわれが消費者のためによい農産物をと思っても、それができない日本の農政は救いようがないという感じを持たされてしまいます。


農村に水洗トイレはいかがか


・肥料のことに一言触れましょう。簡単に有機肥料といいますが、これを一からつくるのは実はたいへんなのです。時間も労力もかかります。前から言い続けていることですが、日本の行政は、どうして画一的に、農村においてまでトイレをすべて水洗にし、名張の場合ならば、結局は淀川水系に排泄物を流入させてその汚染を助けるような政策を推進しつづけるのでしょう。昔はコメ栽培の肥料は、大きな部分が人糞尿でした。再びこれを利用して、この栄養分を土に返す技術は、実は確立されています。臭いも全くしませんし、つくるのは簡単、きわめて衛生的です。未来の社会にとっての有機農業をどう見るのか、行政の、ひいては政治の基本的なスタンスの問題でしょう。


「援農」に苦言


・最後に、都会の人々に関心の高まってきた「援農」のことについて一言だけ言わせてもらいます。この風潮自体はすばらしいことなのですが、援農に来てくださる方々には、それなりの覚悟をしてきてほしいということを申しておきたい。生半可な「体験」を求めて来られると、そのお世話に、援農される方がすっかり疲れてしまうという事態が起こります。1年だけの体験援農は、はっきり言ってありがたくありません。少なくとも3年〜5年は続けてもらって、はじめて日本の農業のために、どこをどう援助すればよいのかということが分かるのだと思うのです。


▼ 司会・林


・ワールド・ウォッチの年報(訳書「地球白書」)などによると、ヨーロッパでは、有機農業が急速に進展していると言います。論理的に考えても、21世紀の農業、永続可能な社会の農業が、有機農業である以外のことは考えられないと思うのですが、それに対する日本の行政、政治、制度がいかに場違いの状況に置かれているかが理解できたような気がします。それではみなさんのご発言をお願いしましょう。


▼ 後藤(兵庫)


瀬戸内の島々


・8月中旬に、豊島であったゴミシンポに出席しました。折しも台風16号にやられた小豆島などの塩害のあとも視察する結果になりましたが、海に近い畑はひどくやられて2〜3年は使えないだろうとのことでした。段々畑になっている高地の方にも、被害は及んでいました。今年(2004年)は18号、21号とつぎつぎとやってきましたから、瀬戸内全体としての、オリーブなど果樹農業の被害は壊滅的だったのではないでしょうか。伊藤さんから報告された名張の状況と同様、都市の人の関心が集まりはじめる一方で、島の若い人が去ってしまう社会的情況も深刻なように見えました。


▼ 河内(福岡・久留米大学)


・もともとは天敵による害虫駆除の研究をしていました。害虫の種類が千差万別なのに、天敵はその中の特定のものにしか有効でないという悩みがありました。


・有機農業と都市住民の関わりの問題について、福岡の例をお話ししておきましょう。有機農業をやりながら、「農家民宿」をやっている人がいます。また個別の農家ではやることがむずかしい棚田の修復とか、山林の手入れなどの作業を、都市のボランティアにお願いし、サポーターがいて、それらの面倒を見て、うまくいっているような様子です。


・人糞の有機肥料化の話が出ましたが、ヒトという生物は生態系の頂点にいるので、重金属を生物濃縮してしまいます。これをどうするかが問題だと聞きました。


酪農地域では畜糞の汚染深刻


・また動物の排泄物をどう処理するかは、酪農地域では別の意味でたいへんな問題なんです。ふつうこの種の地域には農地のあることが少なく、肥料として活かすことができ内ばかりか、深刻な環境汚染の原因になります。ヨーロッパなどでは、発酵させて(メタン)ガス化し、エネルギーを回収することが広くやられています。もっと有機農業が普及して、ありあまる畜糞がそこで活かせるシステムがうまくつくれればよいのですが。


・日本には有機農業をつぶすような制度が定着しているという話がありました。国がその意義を自覚して、補助金を出して振興を図るようにし向けることが重要ですね。


▼ 浅井(大阪・豊中)


・家庭や処理場のプラントでできた堆肥を農家に配布、有機野菜を作ってもらったり、啓発活動をしたりするNGOの運動に関わっています。二つの点について、植松先生に教えていただきたい。


堆肥は有害か?


・第一は、ある大学の先生と農水省の役人から、有機肥料だといって堆肥をやりすぎると、窒素過剰になってよくないという話を聞きました。人工的な窒素肥料についていうのならばともかく、堆肥についてこれを言うのはおかしくはありませんか。自然界の循環システムという視点からは、炭酸同化作用の重要さを忘れてはならないと思っています。炭素・窒素比を見なければならないのではないでしょうか。


連作障害


・もう一つは連作障害に関することです。これも肥料を有機肥料・堆肥にすれば、ある程度和らげられるのではありませんか。また連作障害は、単作の場合に起こるので、できるだけ自然の状態に近く、混植すれば防げるのではないでしょうか。このことが野菜の場合にも、言えるのではないかと思っているのですがいかがでしょうか。そんな例を聞いた覚えがあります。  


▼ 植松


有畜複合経営


・専門からちょっと離れていますが分かる範囲でお答えします。田圃は連作障害のでない珍しい生態系です。しかし畑では連作障害が起こります。これを避けるために、私は「有畜複合経営」というのが一つの答になろうかと考えています。小さな畑の場合でも、ある作物に特有な病原菌を土中で増やすことのないよう、ちがう作物をローテーションして、作り回すわけです。そして小規模でも家畜を飼ってその糞尿を堆肥にして使います。農耕用に牛や馬を飼っていた昔の流儀を見直すわけです。


理解できない堆肥有害論


・大学の先生や農水省のお役人が、堆肥を入れすぎるとよくないとおっしゃるということについては、私はどういう意味なのかよく分かりません。程度にもよるでしょうが、堆肥を入れてよくないということはなかろうと考えます。「農業の基本は土にある」といわれます。土に有機物を入れることにより、団粒構造といって、本来の土の構造が回復します。土が細かいつぶつぶの構造になれば、水分も保持されますし、空気(酸素)も通ります。根は水を吸収し呼吸が活発になります。有益な微生物の活動も起こります。もっとも未発酵の堆肥を入れるとこれはよくないことは明らかですが。(浅井;技術上のことではなく、トータルで窒素が過剰になるからいけないとおっしゃるのです。)分かりました。それは裏からいうと、いまの日本の農・畜産が、いかに輸入の餌料に頼り、日本の土地でできる以上の糞尿を生産しているかということの答だと思います。日本の飼料で育て、そこから出る堆肥を使うなら、ご心配のようなことは起こるはずはありません。


混植と輪作


・野菜の混植の話、例があるとおっしゃったのは、三浦大根の栽培のとき、マリーゴールドをいっしょに植えるという話ではないでしょうか。専門外の私も知っているくらい、結構知られた例なのですが、たしかにこのような混植も一つの方法でしょう。マメ科の作物を穀物と混植するなどの例もあります。しかし私はこのやり方は、収穫の手間がたいへんだろうなと思ってしまいます。そこで同じ効果をねらって「輪作」はどうか。異なる作物の栽培のローテーションです。そして行き着くのが「有畜複合経営」の提唱というわけなのですが。


▼ 伊藤


・農業の実際は、なにぶん相手が自然のことで、大まかには意見が一致しても、細かいところでは、みんな試行錯誤でやっているというのが実際のところです。不思議なことに、水田では連作障害が出ません。土壌の働きで、稲を生育させる機能が、年ごとに回復するようですね。


有機農法を白眼視する農協


・田に入れる窒素肥料はなるべく少なくする方ができるコメはうまいのです。病気も少ない。収量は少なくても安定的にとれる。ところが日本の政府と農協が農家に奨励しているコメ作りは、こういうものじゃない。化学肥料を使って収量を上げることだけに目を向けています。だがそうすると病気が増える、そこでこんどは農薬を使ってそれを抑え込もうとする。一般の農家は、徹底してこういう農協のプログラムにしたがって耕作をしています。有機農法をやりませんかと奨めても怖がります。そして農協にお伺いを立てるのです。すると、あからさまにではないが、暗にやめとけと言われる。理由は、農協の予算が、化学肥料と農薬(その半分が除草剤です)の売り上げで成り立っているからです。


現場では有機肥料は足りない


・施肥による窒素のバランスの問題ですが、トータルで見た場合にどうなのかは私にはよく分かりません。しかし有機農業の現場では、有機肥料は家畜糞ではとても足りません。定量的に言えないので恐縮ですが、私の感じでは、人糞を加えてやっとちょうどというところではないでしょうか。「農協型農法」では、その不足分が化学肥料の需要になっているという感じです。人糞に含まれる重金属の危険という話が出ました。私もそれを気にしないわけではありませんが、日本の農業が、莫大な量の化学肥料と農薬に席巻される危険とくらべれば、何ほどのものだろうかと思います。とにかく日本の農業は、かつては長い歴史の中でこれを完全に使ってきたのです。  


植物農薬の研究を


・病害虫の駆除には、農家は苦労しています。私は研究者が、どうして植物農薬の研究をもっと精力的にやってくれないのだろうかと歯がゆく思います。「植物農薬」というのは、自然の植物に含まれている有効殺虫成分のことで、世界にはこんなのがたくさんあります。たとえばオーストラリアでは農薬として認められているデリス根の成分、原住民が漁獲に使っていた成分です。デリスの根を焼いた灰を川にまくと、魚が浮いて獲れるが、薬効はすぐに消滅して魚は生き返ります。植物農薬にはこんなのが多い。これが日本では、認められたり、認められなかったり。というのはJASの有機認定は民間機関に委託して行われているのですが、それぞれの機関の顧問学者がOKと言えば認められるし、NOといえば認められないというおかしなぐあいです。研究者がもっとまともに取り上げて、見解を統一して欲しいものだと思います。


酢は「特別農薬」!?


・日本における例ではアシビ、この樹は日本には無尽蔵にあります。葉の煎じ汁を牛の身体に塗ってやるとケジラミの駆除が一発でできます。すぐ分解して残留性はない。農家で当たり前のこととして何百年も使われてきました。でも日本の有機農業では認められていません。こんなおかしな話もありました。食酢です。成分はご承知の酢酸ですが、初めこれを稲に散布して使うことが認められなかった。あきれて交渉をくり返したしたところ、結局は「特別農薬」という名前で認められることにはなりましたが、要らぬ苦労をさせられた苦い経緯があります。


・連作障害の防止のための混植と輪作、どちらも有効で、経験上からも、どんどん使うべきだ思います。


野生に近いミニトマト


・品種改良については、植松先生のお話にあった耐病性の古い品種を見直すというのは全面的に賛成です。トマトでこんな例があります。ミニトマト、野生に近く、そのまま食べるのは小さくて面倒ですが、ジュースにすればとてもおいしい。いっぺん植えれば、翌年からは、種さえ播かないでも、勝手に生育します。径5cm以下の大きさの品種なら、完全無農薬栽培が可能です。


嬉しい援農は「購入契約」


・援農のことについてもう一言いわせてください。先には援農に苦情を呈しましたが、都会人が農村に対して、このような関心を持ってくれるのは本当にすばらしいことです。願わくは1年かぎりの体験ではなく続けていただきたいこと。そして植松先生からは岩手の話を伺いましたが、あのように、有機農家の生産物を継続的に買い取る契約をしていただきたいのです。そうすれば努力する農家の生活も安定します。農家にとってもっとも嬉しい「援農」はこのような契約です。


「片手にクワを」


・(司会;少し著書の宣伝をなさったら?大学の先生のご著書ではないからわかりやすいですよ。)「片手にクワを〜子や孫に手渡そう 安全な食糧」というのを書きました。問題意識は、これからの都会人は、片手にクワを持って耕すくらいの覚悟を持ってないとそのうちに飢えるときが来るのではないかという危機感です。(http://www.seseragi-s.com/is/is-094.html)。それから明日(2004年10月12日午後の10時ごろから、TBSの20分の番組に出ています。)元鳥取大学の津野幸人という先生が考案した再生紙マルチ農法によるコメ作りの情況を披露しています。再生紙からつくった綿状のシートに種籾を挟んで、これを水田に敷き、そのままなにもしないで収穫までいってしまおうという画期的な農法です。マルチが保水し、雑草を防ぎ、そのまま肥料にもなります。便宜のある方は見てください。


▼ 大谷 (兵庫・エコクラブ)


自然保護と獣害


・有機農業の確立を目指す方々が、イノシシやシカの獣害に苦しんでいるというお話がありました。一方でたとえば「日本オオカミ協会」など、種の保存を目指して運動している熱心な組織を知っています。この相反するように見える問題をどう調和させ、両立させていくか、高い立場に立ったネットワークができるとよいと思います。伊藤さんのお話にあった「チューサンカンノウチ」というのを説明してください。


▼ 伊藤


・平地にある田圃が「平坦田」。そこから山に向かって20度までの傾斜地が「中山間農地」です。そこから上は山地で、あまり耕作には向きません。イノシシやシカは、この山地の方から、餌を求めてどっと中山間農地に下りてきます。 


▼ 河内 (福岡・久留米大学)


敬遠される植物農薬研究


・植物農薬は、昆虫学が専門の人がある程度研究しています。植物は自らを虫害から守るため、排除物質をつくるものがたくさんあります。アシビのアルカロイドも、そんな排除物質の一つで、昔からトイレのウジ除けによく使われてきました。これらが有機農薬として使える可能性は大いにあるのですが、なにぶん研究として成果が上がりにくいために、研究者からは敬遠される傾向が強いようです。


・混植栽培は、生物多様性の問題とセットです。田圃にいろいろな植物があれば、いろんな虫が付いて、そのなかには天敵になるものも生まれます。 


▼ 長野 (滋賀・大津)


楽しい自然農法


・もとからの農民ではありませんが、滋賀で農業をやっています。果樹(ミカン)栽培の心得もあります。コメも作っています。無肥料、無農薬、不耕起、無除草、無機械の完全な自然農法です。農薬や除草剤の使用をやめると、たったの1年で、カエル、クモ、メダカ、ドジョウなどが、「いったいどこから」と思えるくらい、わんさと出現します。自然を相手にして作物を作ることがいかに楽しいかということをまず申し上げたい。


・植松先生は農法を慣行農法と有機農法に分けられましたが、私たちは30年ほど前から、自然農法の神様といわれる福岡正信先生の用語にしたがって、「自然農法」といっています。呼び名はほかにも、天然農法などともいわれますし、バイオ、つまり微生物を使った農法などもいっぱいあります。


・慣行農法が目指しているのは、作物の収穫を、完全に人間のコントロール下において、終局的にはボタンを押したら作物がでてくるような状態にしたいのだと思います。これは農業ではなく工業です。 




午後の部



▼ 司会・中村


・午前は、農業を中心に永続可能性の実態、実践されている方々のご苦労、考え方、支援法にまで話が及びました。まずは午前を引き継いで生態系の問題から入り、次第にこの分科会のもう一つの課題、化学物質問題にも視野を広げ、また個々の実践の問題だけではなく、いかにしてそれらを担う市民のネットワークを構築するかということにも、話題を広げていくように心がけたいと思います。初めに宮崎から来られた林さんから話題提供を。


▼ 林(裕美子)


・もともとの専門は動物生態学です。長野県にいましたが、3年前に夫の勤務の関係でいまは宮崎県に住んでいます。仕事としては、専門に関する英語の文献の翻訳とか、英文論文作成のお手伝いなどをしています。


アカウミガメとツキノワグマ


・宮崎の海岸には、アカウミガメが上陸し、産卵します。昔は住民が卵を食べていたそうですが、30年ほど前に保全の運動が始まり、その習慣をやめさせ、産卵・孵化の手助けをするようになりました。私もその運動に加わって、走り回っています。長野にいるときは、「信州ツキノワグマ研究会」というのに属してその保護の運動をしていました。そこでも農作物に対する被害があり、昔はクマは見つかれば殺されていたのですが、いまは里には出てこないように住処(里山)の整備をしたり、出てくればお仕置きをして追い返すなどするようになっています。


綾町の照葉樹林


・もう一つ宮崎での大きなボランティア活動は、綾町の照葉樹林の保全と自然遺産への登録運動です。綾町というのは大淀川の上流、宮崎市の北西20kmほどにある小さな町です。昔は「夜逃げの町」などと呼ばれたりした貧しい町だったのですが、いまは昨日の樫原先生のお話にも出てきたように、有機農業の盛んな町としても有名です。九州全体の人口は減少傾向なのに、綾町は有機農業をやろうという人々が流入して、人口動向はプラスなのです。この綾町の境界に2000ha弱の照葉樹林が残っています。30年ほど前、郷田実という人が町長になったころに、農林省が木材生産のために、スギ、ヒノキ林をつくろうと、照葉樹林の伐採を打診してきました。この人が断固として国の要求をはねつけたため、これが現在に残ったという経緯があります。http://www.bunkahonpo.or.jp/aya/index_jpn.htm


地元の人々には、価値が分からない


・照葉樹というのはお分かりいただけるでしょうか。針葉樹に対する広葉樹のうち、冬に葉の落ちるのが落葉樹、冬も落葉しないのが照葉樹です。カシ、シイのたぐいです。実はこの綾の照葉樹林は、これほどの面積がまとまって残っているのは世界でここだけなのです。それでいまこれを世界遺産(自然遺産)に登録しようという運動が展開されています。これに携わってみて感じざるを得ない大きな悩みは、自分たちの町にあるこのすばらしい財産の価値が、地元の人々には分かりづらいということです。現在は、地元の人たちに価値を再認識してもらうための活動を展開中です。


焼き畑農業をする夫婦


・先日、熊本県の県境に近い山中のある村で、長らく「焼き畑農業」で暮らしている夫婦の方と話し合う機会がありました。何らかのご参考になるかも知れないので、簡単に紹介します。焼き畑といえば、東南アジアのそれを連想されるかも知れませんが、あれは「焼き畑農業」などではなく、換金作物を栽培するために森林に火をつける単なる「焼き払い農業」に過ぎません。この夫婦の焼き畑農業は、開墾した農地の1年目にはまずソバを植えます。ソバは焼き畑に種さえ播けば、美しいソバ畑になって、2〜3か月後には収穫ができるという作物です。2年目は土が変わるのでヒエを植えます。この2年目までは、雑草も生えないし、肥料も入れません。それでも肥料を入れて栽培した場合の80%くらいの収量はあるそうです。3年目は小豆、4年目は大豆、そしてこの4年間の栽培順は厳格に決まっています。4年目の終るころには、雑草も多くなり栄養分も足りなくなるので、その畑は放置して次の土地に移ります。放置された畑は、焼いた後も残っていた切り株や根から樹木が再生し、20年経つと森に戻ります。そうすると地力も回復するので再び焼いて畑にします。


▼ 司会・中村


みんなの思いをつなぎ合わそう


・ビルに囲まれた都会生活ではわからない貴重な体験を紹介していただきました。午前の討議も合わせて考えると、未来の人類の生活を支える鍵は、合成肥料や農薬など人工化学物質に頼らない農業にあり、その中でも「昔の知恵を見直す」「その知恵の科学的な裏付けをさぐる」というキーワードの重要さが理解できます。ところがいまの社会の仕組みの方は、この種の研究には金が出ない、大企業や政府の思惑に沿う研究でなければやりづらいという風になっている。いま「地元の人々には、自分たちの土地にあるものの価値がわからない」というお話も出ましたが、これは教育の問題でしょう。政治、経済、教育、研究、これらすべてを永続可能性の確立という目標に向かって再編するために、みんなの思いをつなぎ合わせること、ネットワークの構築が重要であると痛感します。


▼ 友成(大阪市民ネットワーク)


クマの出没、秋に咲く桜、びわ湖の水


・3つ質問させてもらいます。(1)今年は全国でクマの出現が激しく、人身被害も出ています。なぜこうなのでしょう。(2)神戸では、はや桜が咲き、台風に伴う塩害だと報じられました。(3)このごろ琵琶湖の水はどうなっているのでしょう。かつて大阪で「琵琶湖の臭い水」が騒ぎになり、洗剤による富栄養化のため、外来種の藻が繁茂し、それが腐って臭いの元になっているとされました。その報道をめぐり、読売と朝日の裁判闘争にもなりましたが、結局問題は沈静化してしまいました。臭いはしなくなっても、水自体はもっと悪くなっているのではないかと思うのですが。


▼ 林(裕美子)


ドングリがなくなった


・今年クマがたくさん出たという話は、いくつも続けざまに台風がやってきて、山にドングリがなくなっしまったせいだという説が正しいと思います。そもそも山ではドングリのなる樹を伐って、スギやヒノキの植林をやっていますが、この種の人工林は、野生生物には全く餌を供給してくれない樹です。そこへ台風の連続でしょう。クマは冬眠前の栄養を貯えるために、餌を求めて里に下りざるをえないところに追いつめられたのだと思います。 


▼ 植松


勘ちがいする桜


・塩害と神戸の桜の話、たまたま昼の食事時間に、他のある先生と話し合ったことなのですが、写真を拝見してあらためて驚いています。どうやらことはこういうことのようです。桜の樹では、翌年の春に咲く花はすでに8月にはできあがっています。それを葉にある開花抑制ホルモンが押さえているわけです。葉の散るころには寒くなっていますから、そこで桜はそのまま冬眠に入り、年を越えて暖かくなると、春を感知して咲くわけです。一方で台風の方ですが、ふつうは風だけでなく雨もたくさん降ります。雨が降れば葉にかかった塩分を洗い流してくれますが、今年の18号の場合は雨が少なかった。そのため塩分が葉に残って枯れ落ちてしまった。すると抑制ホルモンは働かない。そのうえ秋、気温の高い日が続き、桜は、「あれ、もう春が来た」と勘ちがいして咲いてしまったというのが真相らしい。


・それにしても今年は毎週末に台風が上陸するというかつてない経験をしました。地球規模の気圧配置の異常の結果だということでしょうが、そのうちに「あの2004年以来、夏になるとほとんど毎週、台風がやってくる」と人々が言うようにならないか、それをたいへん心配しています。


▼ 長野 (滋賀・大津)


勘ちがいするクマ


・クマが里に現れる理由として、開発が進んで人家の領域が広がり、里山が寂れたため、クマがその境界を認識できなくなっているせいだという説があります。鹿児島の山奥の出身ですが、当たっているのではないかと思います。環境税を取るなら、このような人間による自然侵略を修復する目的に使うべきでしょう。


琵琶湖の汚染の問題


・調査船に乗ったとき、矢橋のあたりの透明度が1.5mしかありませんでした。見かけ綺麗に見えても、中身はヘドロです。滋賀県は自ら「環境こだわり県」だと称してるが少しもこだわってなんかいない。大津の街でもすべて暗渠排水、川は三面ばり、生態系は壊され、汚染は進む。京都や大阪もいっしょになって、琵琶湖をよみがえらせる運動を強める必要があります。


▼ 司会・中村


BODは、汚染指標としては不適


・琵琶湖に関連する問題を三つに整理してまとめましょう。第一は水質汚染と運動の問題です。合成洗剤にはかつてはすべてに燐が含まれていました。今でも含まれているのがあります。この燐は肥料の成分で、土に入れると収量は上がるわけですが、水中に排出されると、いわゆる「富栄養化」現象を起こし、藻を繁茂させ、あかしお、あおしおの原因になります。そこで燐とは無縁の石鹸を使おうという運動が起こりました。すると洗剤製造企業の方から、石鹸はBODを増やすからダメだという宣伝がなされます。BODは、たしかに水の汚染の一つの指標です。しかしこれは水中のバクテリアが有機物を分解するときに消費する酸素の量でもって表しています。だからこれが大きいということは、一方では汚染物質を分解するバクテリアが生きている、生態系がまだ健全でいるということの証明でもあるのです。しかるに企業の宣伝に対して、草の根、そして学者たちの真相の訴えは、決して強いとは言えませんでした。


ついに北湖が深刻


・第二、琵琶湖汚染のもう一つの原因は、湿地、砂地、泥底などにヨシやマコモが生え、多様な生態系が生きていた岸辺を、みんなコンクリートで覆いつくしてしまった、そのため琵琶湖自身が浄化能力を失ったということです。そしていまや浅くて狭い南湖ばかりではなく、広大で深い北湖の汚染が急速に進んでいることが大問題になっています。北湖の底には比重の大きな雪解け水が流れ込んで、その新鮮さを保ってきたのですが、温暖化のために綺麗な水が沈まなくなり、底質の汚染が進んでいます。


外来種が怖い


・第三に外来種の蔓延の問題があります。有名なのはブラックバスやブルーギル。生態系が元気なら、ある程度までは対抗できるのですが、いまの琵琶湖にはそんな体力はありません。アユ、フナ、モロコなどの在来種、固有種が危機に瀕しています。カワヒバリ(ムール貝)の被害も深刻です。コンクリートに好んで着くので、ゴミ除けを詰まらせる。怖いのはそうした外来種が持ち込む寄生虫や細菌です。それらが下流の淀川にも流れ込んで、騒ぎを起こす事態もありました。外来種に関しては、コウモリが狂犬病を持ち込んだ可能性もいわれています。ニホンオオカミの絶滅が狂犬病のせいであったとも。午前にはアライグマ、ハクビシンの話も出ました。こんなのを日本の自然に離すなどはとんでもないことです。生態系はデリケートです。われわれが努力して守らないととんでもないことになりかねません。


▼ 大橋 (大阪・パルコープ)


石鹸運動の現在


・琵琶湖富栄養化防止条例(1979年制定・滋賀県)ができたころの石鹸復活運動は、生き残ってはいるのですが、往時の面影はなくなっています。滋賀県でも実践する人が「10%はあるのかな」という状況のようですし、パルコープでも石鹸の売れる割合は下がっています。でも生協が扱う石鹸洗剤自体は、改良されて使用1回あたりの環境負荷は小さくはなっているのですが。意識が低調になった理由の一つには、環境問題の概念が広がって、たとえば地球温暖化問題など、そちらの方に大きな関心が行ってしまったこともあるかも知れません。


・食料の自給率を上げる問題は、生協としても大事な取り組みです。だから農業のあり方には大きな関心があります。同じ除草剤を園芸用で買うのと農業用で買うのでは、後者の方が数倍値段が高いのです。午前にはJAS認定のおかしな話を伺いましたが、こんなところにも、農業システムの矛盾が現れているのかなと思いました。消費者組織の側からは、最終的に負担がどこにかかるのかが気になります。


・しばしば学者の人々から、リスク論の立場からの発言を聞くようになりました。たとえば農薬の怖さよりもタバコの方がリスクが大きいとか、それがわからない消費者は勉強不足だとばかりに言われると、どうしても納得いかないところがあります。子や孫、もっと原理的にいえば、遺伝子が傷つかないかと私たちは心配しているのですが。


▼ 長野 (滋賀・大津)


・秋に咲く桜に関する植松先生の説明を補強します。いま本職は植木屋ですから。落葉樹は、葉を落とすと冬眠します。虫が付いて葉が落ちた場合でも花が咲くことがあります。この現象を利用して、東南アジアでリンゴの樹の栽培を試みている人もいます。葉を取り払って持っていき、リンゴに冬だと思わせるのです。だから神戸の塩害のあと桜が咲いた話は、そんなに深刻に考えなくてもよいだろうと思います。


草刈り機の功罪


・ 琶湖を汚す原因としては、田圃の畦の草の刈りすぎがある。草刈りが機械化したことで草を刈り尽くしてしまう。そこで雨が降ると水が一気に溢れて琵琶湖に流れ込み、汚染を加速する。草丈は10cmは残しておかないとダメです。でないと雨水を保持できない。田圃が集約されて大きくなると、化学肥料や機械化で収穫は上がるがコメはまずくなる。さらに大雨のときは水の制御が利かない。真っ白に濁った水が、田圃からだくだくと湖に流れ込んでいます。(中村;いつ琵琶湖に行けばそんな状況を見ることができますか?)滋賀県は一般に耕しすぎですが、代掻き(田植え前にたんぼに水をはり、農具や機械を使って土のかたまりをくだいて田圃を平らにする作業)の時期、5月の連休あとのころでしょう。(中村;大阪市民ネットワークで、そのようなところを見に行くツァーを企画してもらったらいかがでしょう。知恵を深め、交流を強めるためのツァーです。私も琵琶湖の水の研究をやっている経緯があるので、解説役をお引き受けできると思います)。 


▼ 福井 (滋賀・大津)


・新米ですが、退職して、去年から農業をやっています。生ゴミや剪定枝をつかう堆肥づくりから、田植え、代掻きまで経験しました。近隣の農家は、自家消費用には、最初の除草剤、あとはカメムシの消毒をするくらいで減農薬米をつくっているようです。市場に出す分には化学肥料をどんどん入れています。消費者を含めたネットワークをつくって、化学物質に頼らない食料生産のシステムを確立する必要があると感じました。後継者難の問題は、われわれの周囲でも深刻のようです。


▼ 司会・中村


・永続可能な社会のための化学物質管理に関しても、ご意見やご質問をお願いします。化学の専門の方もおられましょう。


「ブラックリスト方式」から「ホワイトリスト方式」へ


・昨日の小野塚先生のお話を簡単に要約すると、こういうことだったのではないでしょうか。「現在日本社会には、数万種類もの化学物質が存在している。だがそのうち化審法(化学物質審査規制法1973年、最終改正2003年5月)の網にかかっているのは約1000種にすぎない。そのうえ新しい物質がつぎつぎと流入してくる。ところがいままでの化学物質管理のあり方は、社会に持ち込まれる化学物質を、原則自由に市場に流通させて、そのうえで悪影響のあるもの、危険の判明したもののブラックリストをつくり、これらを規制していくというやり方だった。これでは化学物質流入の現況には対応しきれない。そこで流入を許す前に、しっかりと安全性のチェックをして、これならば人々にも、子孫にも、生態系にも安全だと確信できるものの『ホワイトリスト』をつくる。これだけを、社会で流通させる」。


説明責任、そして予防原則


・「どんな物質がどの程度危険かということを、研究者、開発側、行政は、きちんと説明する責任をもつ。消費者はそれらの説明を受ける権利をもつ」。「新しい化学物質の安全性の確認には、莫大な金と時間がかかる。そのうえ物質の作用の仕方、また影響を受ける側の個体差、種差の問題等々、学問的にも困難がたくさんあって、なかなか一義的に、安全だ、危険だと割り切るのがむずかしい。そこで30年来、次第にその意義が認識されるようになってきた『予防原則』の厳格な適用が重要になる。つまり、安全か、危険かのあいまいさが残る物質に対しては、危険だと考える立場で規制をする」。


▼ 河内 (福岡・久留米大学)


廃棄物による化学汚染


・身近で問題になる化学物質には、廃棄物がらみのものがあります。産廃はふつう、海か山間部に沿って捨てられています。大がかりな豊島の場合は島だったわけですが、もっと小規模なものでは、いたるところの谷間に捨てられています。流出して飲料水を汚染しかねません。重金属などは一応規制の網にかかっているものが多いが、気味の悪いのは環境ホルモンのたぐいです。その有害性は正確にはわかっていない。影響はきわめて低い濃度で、後の世代にまで出る可能性があるから、性急な実験をやってもよくわからない。そこで規制の網にかかっていないこんなものに対しては、予防原則が大事になるわけです。


▼ 浅井 (大阪・豊中)


対面販売がなくなった


・午前にも言いましたように、堆肥を作る運動をやっています。ニンジンを堆肥で育てると細かい根がいっぱい出ます。ところがこんなのを一般の消費者は買わない。だからスーパーにはない。人工的で不自然な農作物が溢れるのは、消費者が悪いという面もないではないのです。対面販売がなくなって、スーパーでの買い物は商品に対する情報が一方通行になってしまいました。有機農業をやる農家の人たちと堆肥のことなど話していると、「都会にもこんな人がいたのか」と感激されたこともあります。われわれの取り組みは小さな活動ですが、それでもこれが草の根的に広がれば、やがては大きな力になるだろうと信じてやっています。ネットワークをつくることの重要さを痛感します。


▼ 友谷 (大阪市水道局)


地下水の底力


・水道の職場で33年間水づくりをやっていました。琵琶湖の水のような高度に汚染されている場合はダメですが、地下水や湧水といった水の「自然汚染」は、緩速濾過というバクテリアを働かす生物処理で、つまり自然の力で浄化できます。この技術でもってアジアの国々を支援するNPO「地下水利用技術センター」を近々に立ち上げます。日本でも、5万〜10万人くらいの地方都市なら、ダム開発中心の高速濾過システムに頼らなくても、地下水を利用し、「鉄バクテリア法」によって、自然の水循環を活かして、水田も涵養しながら、飲料水を供給することができます。もっとも、多くの種が共存するバクテリアのどれを選んで繁殖させるか、その技術など、さまざまなノー・ハウが必要なのですが。


▼ 中江 (滋賀・大津)


・「びわ湖の水と環境を守る会」というのに属しています。琵琶湖では94年と2000年に渇水騒ぎがありましたが、そのときコカナダ藻などが繁殖して、栄養物質を取り込み、その藻を処理することによって、浅い南湖などは、以前に比べるとずいぶん水がきれいになったといわれています。


▼ 司会・中村


・コカナダ藻のような外来種でなく、琵琶湖本来の沈水植物(植物体の全体が水中にある水生植物)が生えて水が浄化されるというようになって欲しかったですね。繁殖する外来種は一般に生命力が強くて、在来種を駆逐し、生態系を遷移させる働きをします。さらに外来種が病原菌を持ち込む危険も無視するわけにはいきません。そんな外来種に対して、日本ほど寛容な国はないといわれています。琵琶湖南湖が見かけできれいになっていても、相変わらずアオコが出現していますし、一方北湖の深部まで酸欠状態が広がっていて、全体として汚染が改善されているとは言えないのではないでしょうか。 


▼ 長野 (滋賀・大津)


北湖深部の酸欠の原因


・私も「びわ湖の会」に属していますが、滋賀大の学部長をしていた岡本巌先生が、会の中に「酸素の会」というのをつくって、北湖の深部の酸欠状態の解明に取り組んでいます。かつては酸素をたくさん含んだ冷たい雪解け水が大量の流れ込んで、比重が大きいので、それが低層水を構成していたのですが、ダムをたくさん造ったために、地球温暖化とも相まって流入する水の温度が上がり、底に沈まなくなった、水の上下の攪拌がなくなった、そのせいの酸欠だという説を出しています。


▼ 林(裕美子)


ダム湖の陸水学


・アメリカでは、かつてはダムが盛んに造られたのですが、いまは「もう造らない」という政策に転換しています。そしてしきりに造っていた時代の問題点を解明しようという研究が進んでいます。そんな研究のすぐれた一つを翻訳して、最近「ダム湖の陸水学」という本を、他の3人の方といっしょに出しました(生物出版社)。それから勉強したところによると、「低層合流」と称して深部の水を選択的に下流に流し、上のダム湖の影響を、下の湖に及ぼさないやり方を、やれば出来るようです。


▼ 司会・中村


・もう時間がほとんどなくなっています。まだご発言のない方は、たとえ自己紹介だけでもしてください。


[松尾(パルコープ)、平野(柏原から)、木元(平野区から)、小沢(同、公害患者の会)、増田(パルコープ、大阪市民ネット)、近藤(放送大学)、神岡(平野区の保健師)、きのた(パルコープ)、久志本(企業勤務)、村上(大阪市民ネット)、山根(近大2回生、集会スタッフ)、いわき(近大理工、集会スタッフ)のみなさんが発言]


▼ 司会・中村


・では植松先生に、まとめ的なご発言を願って終わりにしたいと思います。


▼ 植松


「緑の革命」と高収量品種


・基調報告にもでてきた「緑の革命」というのは、1960年代以降の高収量品種開発による食糧大増産運動のことです。日本の研究者も大きな役割を果たしました。このような種の開発自体はすばらしいことですが、それには落とし穴がありました。そのような品種は、化学肥料の大量投入と多量の農薬の適用によって、始めてその性能を発揮できる品種だったのです。その結果、農地にも生態系にも多量の人工化学物質が入ってしまいましたし、途上国では貧困撲滅の期待がかかったにもかかわらず、肥料や農薬が買えないために、役に立たなかったという事例も生まれました。結局は、化学肥料会社と農薬会社にとっての「おいしい品種」だということになってしまったのです。討論の課題に化学物質の危険の問題が出てくると、関連する学問をする私は、なにかしら内心忸怩たるものを感じてしまいます。


日本の農政に、あらためて驚き


・ところが現在、人工肥料や農薬を使わないで農業をやろうとすると、午前からたくさん教えていただいたように、いろんな困難でがんじがらめです。私もこんな例を聞きました。今年の台風で果樹に大きな被害が出たのですが、慣行農法の農家は、たぶん農協の共済でしょうか、一定の補償が得られるのに、有機農法農家では、全くの自力で復興を考えるしかないということでした。午前に伺った有機産物の認証にたいへんなお金がかかるなども、理不尽な話です。いまの日本では「永続可能な農法」が、制度的にバックアップされていないのだということをあらためて感じます。イギリスでは、環境保全型農地を保障する措置が、制度としてさまざまに講じられています。畑地と畑地の境にある生け垣(ヘッジと呼ばれる)にブッシュを再生させれば補助が出るのです。そこには多くの生物が棲みついて、健全な生態系ができています。


自然な姿なら、認証は要らない


・さきほど「対面販売」が姿を消してしまったというお話が出ました。これは認証制度とも関連する問題です。昔なら商品に関して、売り手と買い手の間に情報のやりとりがありました。いまはそれがない。そこでいろんな工夫がされているなかに、認証制度も登場するわけです。だがこの認証も、日本では大きな問題があることも、さきほどから話されています。そもそも「対面販売」が重要視されて、生産者と消費者の間に人間関係があり、商品に関する情報交流が十分にあれば、認証の必要などないわけです。それを無理やり認証という行為ですっきりさせようとするから、おかしなことが起こるのではないでしょうか。


食料自給率低下〜「日本に農業は要らない!」


・日本の農政のもう一つの大問題は、異常に自給率を低下させたことでしょう。実は1960年代、つまり「緑の革命」が始まったころ、アメリカと日本は、食糧の自給率は同じくらいだったのです。現在の状況は周知のとおりですが、これはそのころ以後、食糧を自給しようと自ら決めた国と、そうでない国の差が、あまりにも劇的に出てしまった結果だと言えるでしょう。アメリカとヨーロッパでは食糧自給は実現していますし、過剰にさえなっています。その過剰分が、日本の学童たちの給食用に回ってきているというわけです。日本の行く先の舵取りをしている人々は、日本には農業は要らないと考えているのではないでしょうか。「苦労して農業をやらなくても、安い農産物を買えばいい」、まるでそう考えているみたいです。問題の根本は、日本の国がどちらを向いているかということだと思います。このままではSS的な農業政策はとても出てこないでしょう。


対話のネットを広げよう


・では現況を打破するにはどうすればよいのでしょうか。農地や生態系を汚染する人工化学物質、目先の利便さに目がくらんで、こんな物騒なものを創りだしたのも人間なら、使っているのも人間です。それならばわれわれ人間がそれを使わなくなれば、企業の側もつくるわけにはいかなくなります。農家と消費者の間に人間関係を築くこと、そして対話を進めること、そのことによって、現況はノーだということを確認しあいましょう。さらに、この小さな行動の単位をネットワークでつなぎましょう。あちらこちらにこのようなネットが生まれる。点が線となり、線が面となる。こうなれば世論ができていく。世論の後には必ず制度がついてきます。みんな今日から、自らよいと思うことから始めましょう。


▼ 司会・林


・「藤永のぶよと大阪市民ネットワーク」という、なにやら口調のよい名のグループが、SS集会開催のため、2年にわたって努力をしてくださいました。そのおかげで、3日間の有意義な集会が、いま盛会裏に終了します。このあと第一日目の大会場で、短い全体会を開き、集会宣言を採択することになっています。どうか時間の都合のつく方は、そちらの方にお越しください。みなさん、ありがとうございました。


(まとめ・文責 林 智)



第3分科会運営・まとめ作成の後記


第3分科会は、前日の「生態系と農業の永続可能なあり方をさぐる」(植松千代美・大阪市立大学)、「永続可能な社会と化学物質管理」(小野塚春吉・(財)政治経済研究所・元東京都健康安全研究センター)の2講演を受けて、「生態系・農業」と「化学物質管理」の両テーマをめぐり、集まった市民が「みんなで語ろう」というものであった。


しかしながら、後者の講師が当分科会に出席できなかったこともあって、話題は前者、「生態系と農業のあり方」に大きくシフトしたように思われる。また前者については「地域と地球の生態系が、いまどういうぐあいに危機的状況にあるのか、どうであれば克服できるのか」、後者、化学物質の問題については「生体と生態系が、いまどういうぐあいに化学物質に脅かされているのか、それを克服するにはどうすればよいのか」という、ことの本質に関わる発言や議論がすくなかったことにも、物足りなさを感じた向きがあったかと思われる。


しかし考えてみれば、市民が研究者の協力を得て組織したSS集会の、「みんなでしゃべろう分科会」であれば、そこまでの成果を、この4時間の討議に求めるのは、おそらくは「ないものねだり」であったというべきだろう。


そう思って、以上の記録を見直せば、この20頁に近い記録の中には、実に豊かな内容が詰まっている。たしかに正面で語られたのは、多く「農業の課題」、それも「『永続可能な社会の農業』としての『有機農業』とその実践の課題」ではあったが、それは「不自然な化学物質の生活環境への異常流入」への関心を呼び出さざるをえず、話題は「気になる昨今の自然現象」「水問題」「琵琶湖汚染の問題」等を経て、事態を打破するための「市民のネットワーク確立の重要性」を確認するにいたっている。当分科会のオーガナイザーとしては、今後の市民による研究・実践の貴重な一里塚として、その成果を自賛したいと考える。



(林 智)