永続可能な社会とは何か
第3章 「永続可能な開発」とは何か?




SD(永続可能な開発)という概念(言葉とその意味)が、どのような理由で生まれ、成長し、定着するようになったかについては、さきの2章で説明しました。それではここで、それがいったいどのような開発のあり方だと考えられているのかについて、見ておかなければなりません。



<"Our Common Future"の定義> 1987年の「ブルントラント委員会」の報告"Our Common Future" (OCF と略すことにします)は「未来の世代が自らの必要を充足する能力を損なわないようにしながら、現在の世代の欲求をも同時に充たすことができる開発」だとしています。われわれ、つまり現在の世代が、自分たちの欲求を満足させようとするのはもっともなことだが、その充足は、未来の世代、つまり子や孫、幾世代も後の子孫に対して、つけを残すようなものであってはならないというわけです。これが世上行われている最も標準的なSDの定義、ここには「世代間の公正」の思想が色濃く滲んでいることに留意してください。



<IUCNの1991年報告の定義> 国際自然保護連合IUCNが1991年に出した報告"Caring for the Earth"(「地球の保全」)には、これはOCFの定義と内容的には変わらないと断ったうえで、つぎのような定義が書かれています。「人間の必要が大きくなっても、物理的な資源の消費が一定のレベルを保てるように、われわれのあり方を改善すること」。もうこれ以上は、地球、つまり環境に負担をかけないで、逆にわれわれのあり方を工夫することによって、増大する自分たちの欲求を満たすことを考えようというわけです。



<環境保全型生産体系> もちろん日本の科学者たちも、ただ国際的な動きを追うばかりだったわけではありません。たとえば日本科学者会議の瀬戸内委員会は、ストックホルム会議のころから、公害の発生は、開発のあり方の不都合のせいだと考え、地球のモデルのような瀬戸内地域の開発を、新しいあり方に変革する道を追求しています。SDの語が、世界に定着するはるか前、1970年代のこと、そこでは、新しい開発のあり方は「環境保全型生産体系」「環境保全型開発」などと呼ばれました。



<さまざまに表現されたSD> 委員会の研究に際して考察された、いわばSDのイメージを、列記しておくことにします。
・「地球を廃墟にしてしまわない、いつまでも発展しつづけることができるような未来づくりのあり方」
・「地球、すなわち人間環境の有限性を自覚した開発のあり方」
・「将来の世代の生の諸条件(すなわち環境)を侵害しない開発のあり方」
・「行為が、その行為の基盤自体を掘り崩すことのないような開発のあり方」
・「物質的・社会的にフィード・バック回路が、円滑に機能するような社会のあり方」