トップ  >  1994集会  >  サハラ砂漠以南のアフリカでの生物の種の多様性の保護  ペレズ・オリンドウ

サハラ砂漠以南のアフリカでの生物の種の多様性の保護



ペレズ・オリンドウ



 私達がサハラ砂漠の南のアフリカでの、生物の種の多様性を保護することについて話をする場合、最初に、そして主にそれが意味することは、サハラ砂漠が南へ進む、あるいは広がるのを止め、最終的にはこの砂漠化の流れを逆にすること、そのために、全力をあげてできるだけのことをする、ということである。また対象になる種の間の生物学的な変異性や多様性が長期にわたって減少しないような方法と割合で、利用できる生きた天然資源を賢明に使うこと、それによって、現在そして未来の世代の必要と願望にみあう資源の可能性を維持することも意味している。


 私達にとって、「生物の種の多様性」という用語、あるいは生物学的多様性とは、陸上・海上、その他の水の生態系を含んだすべての源からきている生きた有機体、及びそれらからなる生態学的複合体を意味し、またそれに関連している。そしてこれは、種の内部での多様性、種の間での多様性、生態系の多様性を含んでいる。その過程で私達は、植物や動物、微生物、それらの内部でおこる進化的あるいは突然変異的な遺伝学的変化について考えている。そして私達は、植物や動物さらに人間、生態系のその他の生物的成分を、実際の利用や利用の可能性、または人類のための価値と共に考えている。


 生物の種の多様性の完全な保全に着手するためには、最も有効な科学技術(バイオテクノロジーを含む)に速やかにアクセスすることが不可欠である。正しく、そして施行しうる法律をつくると同時に、計画を支持する知識のある市民がいなければならない。またそういった努力が成功するためには、その集団が資源を保護することによって、何らかの利益を得られることも必要である。


 私達アフリカ人は、重大な環境の脅威や問題を引き起こさなかったが、それは私達の先祖が環境と調和して生きてきたからであり、アフリカが、温室効果ガスや地球温暖化を引き起こすガスを生む、産業革命の一部ではなかったからである。私達は必要なときに狩りをし、殺された動物は共同体のメンバーの間で無駄なく完全に分配された。スポーツとして狩猟や漁をするアフリカ人はいなかった。


 私達の先祖は漁や狩猟をし、果実や茎などの植物の一部や動物を採集して生活していたが、人類発展の次の必然的な段階に移っていった。彼らは動物を家畜として飼い、あるいは問題になっている植物種を栽培した。次に彼らは広い土地をとっておいた。そこには、自らの生き残りを確かなものとするために、彼らが守りたいと願った動植物がいた。私達の先祖は、違ったタイプの植物や動物を異種交配し、彼らが望む多様性が生き残れることを保証するような強い特性を持たせ、そういう種を増やした。このことは、太古の昔からアフリカ人が生物学的に多様性を保全し、自分たちの要求を満たすために、種の構成要素を修正してきたことを示している。これが、動植物のよりよい、または修正された多様性を提供するために、伝統的な技術、知識、文化的実践が適用されたと、私達が強く感じる理由である。そうした発展は、個人で所有されているか、集団で所有されているかに関わらず、権利を主張されているいないに関わらず、また特許を与えられているいないに関わらず、彼らがその当時、あるいは現在持っている知的財産と共に、すべてアフリカのものであり、アフリカの人々のものである。


 最近では、アフリカのサハラ砂漠以南の地域にある多くの国は、広大な地域とその莫大な種の多様性を設立し、受け入れてきた他の国々と協力して、合法的な保護をしている。そうした地域には、熱帯林、サバンナ、水域の環境、海岸や海洋生態系、山地の生物相、国立公園、自然保護区、天然記念物、生息地のための地域、種の管理地域、保護されている景観、海洋風景、天然資源と生態系の持続可能な利用のために資源が守られている地域が含まれている。


 日本のような国のある経済活動を支配している人々は、アフリカを訪れると、アフリカの広範囲な保全の全体像のうちのとても狭い局面に焦点をあてる。そして、主な目的として野生動物を捕り、商業的に取引したがる「貧しい」アフリカ人について語り、私と私達アフリカ人を不当に扱うのである。彼らは、天然資源を保全するための私達の取り組みの全体像や、資源をどう利用するかの決め方を決して見ることがない。そしてそうした人々が、何らかの保護の感覚、資源管哩や資源利用へのバランスのとれたアプローチなどで、私達から評価されることもほとんどない。彼らは、アフリカの野生生物を浪費的に利用したい時にはいつも、「貧しいアフリカ人」を助けるのだという話をする。彼らは、アフリカの伝統的な社会において、本当に貧しい人々というものが存在しなかったという真実を、決して語らない。誰もが寝る場所があり、食べる物があった。私達が今日知っている貧困が、先進国からアフリカに持ち込まれたものだということを、彼らは決して口にしない。先進国は、富を持つ者と持たない者という外国の価値判断と、共同体の概念を持ち込み、自らの持続可能な利益のために、私達の自然の恵みを担保にしてしまった。


 この種の不当なやり方で、人類が生命にアプローチすることが許されるならば、最後には、天然資源が外国の力によって食い物にされるような、持続不可能な社会が創られる結果となるであろう。すべての利用できる持続可能な指標から見ると、現代社会が求めるライフスタイルは、持続可能ではあり得ず、また持続可能ではない。


 特別に合法的で経済的、社会文化的で心理学的な方策を講じて方向を変え、持続可能な社会に私達自身を向け直さなければ、私達は、地球の生物学的支援組織を破壊することのみに成功することになり、人類は自滅するであろう。そうした現代文明のすべての崩壊は避けられないものではなく、必然的なものでもない。破壊から環境を守ることへ、それと共に、近代文明と共にある私達自身を守ることへ方向を変えることは、私達の力でできることである。



(訳・水野基子)

プリンタ用画面
前
[第3分科会 基調報告] 自然のサステイナビリティと野生生物の多様性保全  小原秀雄
カテゴリートップ
1994集会
次
第4分科会解題 「サステイナビリティとエネルギー・科学技術」  西川栄一

コンテンツメニュー
(C)Copyright 2006- - Sustainable Society Network. All Rights Reserved.  [ サイトマップ | お問い合わせ | ログイン ]