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*** 第1回サステイナブル・ソサエティ全国研究交流集会のこと ***


林 智  記



「94年集会」から「04年集会」へ



リオの地球サミットから2年後の1994年3月、神戸を舞台に、「第1回サステイナブル・ソサエティ全国研究交流集会」と名づけた集会が開かれました。この記事では「94年集会」と呼びます。この10月に、今度は大阪で開催される「永続可能な社会をつくる市民研究交流集会2004」は、その血筋を引き、ヨハネスブルグ会議2年後の今年、さきの経験をもとに、この10年の世界と日本の変化を考慮に入れて開催します。「04年集会」と呼びましょう。


「94年集会」が行われたのは、地球サミットで採択された「リオ宣言」や「アジェンダ21」にこそ、サステイナブル・ディベロップメント(SD・永続可能な開発)という語が溢れていましたが、人々の心の中ではまだ「どういうこと?」という雰囲気が強かった時期です。だが、ヨハネスブルグ会議を経た昨今、概念自体はほとんど常識化し、いたるところで「サステイナビリティ」「持続可能な開発」等々の言葉が聞かれるようになりました。「04年集会」は、2つの重要な環境サミットを経て「それは何?」から「どのようにしてそれをつくる?」の時期に入ろうとしている、そんなときに開きます。


このページでは、「04年集会実行委員会」結成の原点である「94年集会」のあらましを紹介いたしましょう。だがその前に、実行委員会の有力メンバー周辺で始まった、そもそものSD討議の過去を簡単にふり返っておきます。


 


実行委員会周辺のSD討議〜そもそもの原点


日本科学者会議という全国的・学際的な科学者の組織があります。その瀬戸内委員会は、瀬戸内海周辺自治体の市民組織連合体である「瀬戸内の環境を守る連絡会(通称「瀬戸環連」)と呼応して、ほぼ毎年「瀬戸内シンポジウム」や「瀬戸内住民集会」を開いてきました。瀬戸内シンポジウムでは、それが始まった1972年の当初から、一貫して「瀬戸内の『開発』と公害」がテーマに掲げられました。


1972年といえばストックホルム会議の年ですが、そのころの日本社会は、高度成長の巨大なつけである公害のるつぼの中にありました。シンポジウムが掲げたテーマの問題意識は「公害が起こるのは開発のあり方がよくないからだ、これを公害を起こさない開発に置きかえなければならない」というものです。そのあるべき開発は、「環境保全型開発」「環境保全型生産体系」などと呼ばれました。問題意識からいえば、30年経ってようやく常識化した「SD(永続可能な開発)」概念そのものです。


時代は1980年代に入り、その87年、「環境と開発に関する世界委員会」の報告、"Our Common Future"が国連総会に提出されます。兵庫県・明石の弁護士、故西村忠行さんと、現神戸大名誉教授の西川栄一さん、「04年集会」の副実行委員長の一人である芹沢芳郎さん、それにこの記事の筆者の林の4人が、芦屋のマンションの一室で、同報告の勉強会を始めたのがそもそものはじまりでした。これはやがて神戸に会場を設ける「地球白書」の勉強会(神戸SS研究会)に発展します。


やがて1992年にはブラジル・リオで地球サミットが開かれ、リオ宣言やアジェンダ21が採択されました。それらのキーワードはいずれもSDです。そしてその2年後、神戸SS研究会が音頭をとって開かれたのが、以下に紹介する「94年集会」です。呼びかけの中心人物は、同集会で事務局長を務めた西村忠行氏でした。残念なことに、同氏は集会の成功後、まもなく故人となりました。ちなみに神戸SS研究会は、現在もなお、着実に、地球白書の勉強会として続いています。


 


第1回サステイナブル・ソサエティ全国研究交流集会(「94年集会)」
集会のあらまし



「第1回サステイナブル・ソサエティ全国研究交流集会」は1994年3月19日〜21日の3日間、神戸・兵庫県民会館を主会場にして開かれました(ほかに一部、県教育会館、県農業会館。)


実行委員長は、前滋賀大学長の宮本憲一氏、副実行委員長は、現女子栄養大学名誉教授の小原秀雄氏、現東京農工大学名誉教授の本谷勲氏、それにこの記事の筆者の林がつとめました。事務局長は、前記のように、弁護士の西村忠行氏で、氏は当時、日本弁護士連合会の公害委員長、前記「瀬戸環連」の事務局長、また国際自然保護連合(IUCN)のアジア・太平洋地域の委員でもありました。


海外からのゲストは、インドから住民運動指導者のS.バフグナ氏、ケニアの野生生物保護の専門家であるP.オリンドウ氏、オーストラリアの法学者B.ボア氏、イタリア最高裁判事のA.ポステリオーネ氏の4人でしたが、国内在住の外国人の参加が20名を超え、国際会議の趣も呈しました。


第1日には、宮本実行委員長の記念講演(「持続する社会をいかにつくるか」)と、バフグナ氏による記念講演(「永続可能な社会に向かって〜開発を考え直そう」)のあと、パネリストとして4人のゲストに委員長が加わり、西村事務局長と、当時大阪芸術大の教授だったH.シャピーロ氏の2人が司会して、パネル討論会「サステイナブル・ソサエティを求めて」が開かれました。夜にはレセプションがありました。


第2日は、冒頭、全体会議で基調報告のあと、8つの分科会に分かれて、それぞれ専門的な討議が行われました。


第3日は全体会議で、第2日の分科会の成果が、それぞれの代表者によって報告されたあと、約30人がフロアから、SDとSSについての自らの考えや実践について語りました。


なお集会を後援してくれたのは、外務省、国際自然保護連合、日本環境学会、日本環境教育学会、日本環境会議、日本自然保護協会、日本科学者会議公害環境問題研究委員会、日本生活協同組合連合会の諸組織や団体でした。


 



基調報告のあらまし


第2日冒頭の全体会議で、この記事の筆者、林が行った基調報告「地球環境と人間社会の危機」は、その年の1月に原案が提起され、実行委員会の討議を経てまとめられたものです。その大意は


人類社会の歴史の中で、約1万年前の「農業革命」が第一の変革期、200年あまり前から始まった「産業革命」が第二の変革期だとすれば、20世紀後半に始まるいわば「SD革命」は、第三の変革期だと言わねばならないだろう。なぜこの時代が新たな変革期なのか、それは科学・技術・産業の発展のために、人間活動の規模がとてつもなく大きくなりグローバル化し、それまで実質的に「無限」の存在であった地球(環境)が「有限」のそれに変質してしまったか、らである。


かくていたるところで噴き出そうとしている「地球的問題群」を克服するために、「ストックホルム(会議)」から「リオ(会議)」へと流れる人類の良識的な努力が始まった。その過程で、変革を目指す合い言葉として、次第に形成され、90
年代にいたってすっかり定着する趣を呈しているのが「永続可能な開発、SD」と「永続可能な社会SS」という概念である。


20世紀社会はそのあらゆる断面に南北問題が露呈する。とうとう地球的問題群に包囲されるにいたった現代の人類社会は、「南」に死と隣り合わせの極貧の部分を抱えながら、ひたすら「北」(利便社会)に向かって暴走する奇妙な世界である。無限の地球を有限化した責任は、もっぱら先進世界の国々にあることはいうまでもない。そこに住むわれわれにとって、まずは自らの社会にSSを確立して、あとを追う「南」の国々に、SS構築のモデルを示すことこそその義務であろう。


 


8つの分科会


集会の基調報告につづいて行われた8つの分科会。その分科会基調報告の表題と報告者の一覧を、つぎに掲げておくことにします。()の中に挙げられている数字は、基調報告を含めて、その分科会でなされた報告の数です。ただし第7分科会だけは、他とは組織形態が異なり、「世紀人の集い」として、ゲストのバフグナ氏(インド)が出席し、多くの若者たちが発言する元気のよい分科会になりました。


第1分科会 経済(9)
「持続可能な社会の経済構造について」神戸商科大学菊本義治


第2分科会 国際政治(4)
「地球環境政治における南北問題」立命館大学関寛治


第3分科会 生態系(9)
「自然のサステイナビリティと野生生物の多様性保全」女子栄養大学小原秀雄


第4分科会 エネルギーと科学・技術(8)
「SSを目指すエネルギー科学技術の課題と展望」神戸商船大学西川栄一


第5分科会 政策と法制(6)
「永続可能な社会の環境政策と法システム」弁護士山村恒年


第6分科会 ライフスタイル(6)
「永続可能な社会でのライフスタイル」近畿大学青山政利


第7分科会 「21世紀人の集い」
「永続可能な社会」地球環境ネットワーク「地球村」高木善之


第8分科会 環境教育(11)
「環境変化の新段階と環境教育」愛知大学和田武


 



多くの市民が発言した第3日


この日は会場を、兵庫県農業会館に移しました。午前は、第2日の分科会討議の、基調報告者、あるいは参加者のなかからの代表者による要約です。菊本義治(1)、岩本智之(2)、高柳範子(3)、西川栄一(4)、山村恒年(5)、片山弘子(6)、東郷若菜(7)、徳山良枝(7)、槇村久子(8)(数字は分科会ナンバー)の皆さんが登壇しました。


午後は会場からの発言を募りました。集まった38通の発言通告のなかから、典型的だと思われた10発言を、「自然と人間、人間と人間」「豊かさの意味を問う」「SSと企業・経済システム」の3つに分類し、それぞれ壇上から意見を発表してもらいました。あと20の発言が、フロアから行われました。いずれもその要約が、記念論文集に記録されています。今日それらを読み返すと、10年の時の流れのなかで、日本社会の変わったこと、変わらないことが読み取れて、興味深いものがあります。


 


成果


参会者の数と熱気は、実行委員会の予想をはるかに超えました。初日の全体会議は300席の会場が満杯になり、あわてて一階下に予備会場を設け、階上の状況をビデオ中継する始末になりました。


リオの地球サミットのことが広く報道されて、人々の認識のなかに定着し始めた時期だったとはいえ、まだまだ実感としては「サステイナビリティとはいったいなんだ?」と考えられていたはずの時代です。集会のこの盛況は、いかに人々が日本社会の現状に、違和感を覚えているかを示す証明であったのかもしれません。


集会の10ヶ月後に神戸を襲った震災のため、記録が失われて正確な参加者数がわかりませんが、登録参加者は600名を超え、全会期の延べ参加数は1500人・日を超えたと考えられています。


集会の成果は、日本語版と英語版、2冊のプロシーディングスにまとめられました。


(1)「永続可能な社会を求めて」〜第1回サステイナブル・ソサエティ全国研究交流集会記念論文集(全279頁)。記念講演、基調講演、シンポジウムの記録、さらにほぼすべての分科会報告、その他の論稿が集められています。


(2)Working towards the coexistence of human beings and nature 〜 Proceedings of the International Conference on a Sustainable Society
小原副実行委員長の開会挨拶、基調報告、2つの記念講演、後に海外ゲストに書いてもらった論稿、8つの分科会の基調報告を集めて、こちらは全168頁です。


 


記念論文集のコラム


プロシーディングスの編集作業は、友野哲彦(現兵庫県立大学経済学部)、釘宮延恵の両氏と林の3人で行いましたが、その編集後記に、友野、林の二人が書いたコラムは、集会当時の社会の思潮をよく表していると思われるので、つぎに掲げておきます。


 

<コラム機


●環境問題が今日の最重要課題だといわれる理由は、人間と、その生存を保障している自然との関係が破壊されていることである。だが環境問題は、人間と人間の関係をもまた破壊する。人間の存続のためには、自然の利用は欠かせない。そのとき自然利用のあり方が問題である。特定の人間の利益だけを考えた自然利用であれば、他の人間、あるいは人類全体の存続にとって好ましくない事態が生じる。環境破壊を契機として、良好な人間環境が破壊される。環境破壊の現状をじっくりと観察し、それがどのような仕組みから生じたのか、このまま環境破壊が進めばどのような人間関係の破壊が生じるか、どうすればそれを回避できるかを自ら問うてみることが重要である。


●ゴミ問題などで、消費者の消費態度が問題にされることが多い「過剰な生産が行われるのは過剰な需要があるからだ」とも。いわれる。まちがいではない。しかしこの主張は生産者が広告宣伝によって、消費者の欲望を喚起しているという事実を見ていない。ゴミと消費者との関係だけで、生産者(人間)と消費者(人間)の関係には立ち入って考察がなされていないのである。いずれゴミ対策が限界に来たとき、この両者の関係はきわめて悪化するであろう。そのどちらに肩入れすることもなく、自らを問い直してみることが重要である。


●南北問題も同様である。途上国の飢餓は早急に解決すべきである。その際、どのような利害対立がそれを引き起こしているかに注目することが重要である。南北問題をめぐる対立には、工業先進国の人々と、途上国の人々の利害対立はもちろん、途上国内部での利害対立など、大小の対立がある。この対立を解消することが、環境破壊とともに人間関係の破壊を食い止めることにつながる。


●与えられた環境の中で、人間同士が対立しないで生きていける、自由で平等な社会。サステイナブル・ソサエティの理念として、欠けてはならない柱である。



(友野哲彦)


 

<コラム供


●科学が明らかにした知識にしたがって宇宙史をひもとけば、宇宙の巨大さやその進化の歩みの着実さにくらべて、人類と人間社会がいかに些細な存在であるかということを実感する。後者はまさに浜の真砂の一粒にすぎないというべきだろう。


●言いかえれば人類が地球の上で、いかにばかげた行為をしでかそうと、宇宙にとっては痛くもかゆくもない。水爆や環境破壊によって滅んでいく人間社会を見やりながら、「」彼は黙って、どこまでも、自らの歩みをつづけていくことはまちがいがない。


●このことを自覚すれば、われわれがSSを打ち立てようとするのは、われわれ自身、人類、人間社会のため、いわば身を守るためであって、環境のためでも、自然のためでも、地球のためでも、宇宙のためでもないことはおのずから明らかである。


●もう10年以上も前のことになる。自然保護運動をするある人から、「ヒューマニズムはもう古い」と執拗に食らいつかれた。ヒューマニズムを掲げて、人間は地球を殺すというのである。先日立命館大学の平和ミュージアムが市民向けの連続講座をした。「平和と地球環境」というのを引き受けて、そこで「一人の生命は地球よりも重い」と、人権擁護を振りかざしたところ、ある年輩の女性から、そんなことを言っているから「『「宇宙船地球号」』が失速する」ときついお叱りを受けた。


●94年3月のSS集会、第1日目や第3日目の全体会議の場においてさえ、「ヒューマニズムを超える「自然そのものがもつ権利を守る」などという、筆者からすれば物騒きわまりない考えが、底流として流れていたような気がしてならない。


●人権とともに、自然物の権利、たとえば犬にも権利が仮にあるとすれば、それらの両者を与えた「神」がどこかに存在するはずである。そこで人間社会にあって、「神」が与えた彼らの権利を守ろうとすれば、人間の誰かが「神」の代弁をしなければならない。そこには「お犬さま」の世界(ファシズムの世界)ができるのではないか。市民運動はそのエネルギーと引き換えに、しばしば逸脱の危険を内包している。大事なことは、宇宙の進化の流れの中に人間社会が存在するのだという「科学的思考の貫徹」と、われわれの「人間尊重の立場を何重にも確認すること」だと思わないわけにはいかない。



(林智)



 




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