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「サステイナブル・ソサエティ」全国研究交流集会・基調報告



地球環境と人間社会の危機


林 智


1.歴史的変革期に直面する人間社会


文明の出現とその発達

1.[「第3の革命」期]人間社会がいま「第3の革命」期にさしかかっているという主張が、次第に説得力をもち始めている(1)(2)。 もちろんここにいう革命は、国家の政治権力の質が変わるという狭い意味の革命のことではない。それはさらに根本的な、生産のあり方の変化にかかわる社会構造の本質的な転換を意味している。


2.[「第1の革命」〜「農業革命」]そのような意味での「第1の革命」は、およそ1万年前のころに始まって人間社会に農業と牧畜をもたらし、以後長い時間をかけて徐々に進行した「農業革命」(1) である。この変革によって、人間社会にはいわゆる「文明」がもたらされた。人々の生活は、それまでの環境(あるいは自然)によって生かされていた「受動的な生態」から、環境を改変し、そこに生まれた多少とも人工的な環境の中で、自ら生きようとする「能動的な生態」へと変わっていったのである。


3.[「第2の革命」〜「産業革命」]「第2の革命」は、およそ200年前のころ、動力機械の出現を契機にして始まった「産業革命」である。人類の環境改変の規模は、量的にも質的にも急速に巨大となり、必然的に文明のグローバル化と、利便社会化が進んだ。「第1の革命」がいわゆる第1次産業の出現にかかわるのに対して、「第2の革命」は、第2次産業の急進展に深くかかわっている。


20世紀〜2つの顔をもつ構造的危機の出現

4.[栄光と危機の影] まもなく終わろうとする20世紀は、いわば産業革命以後の時代の後半である。それが輝かしい科学・技術の発展の世紀であったことは否定すべくもない。しかしながらこの時代は、その栄光の裏側で、次第に人間社会に危機の影がしのびより、急速に成長をし始めた世紀でもあった。前半を危機の予感の時代とよぶなら、後半は、危機の現実化の時代であったというべきであろう。その象徴的存在としての核兵器が、ちょうど世紀の中ごろに出現している。


5.[「急性の危機」] かくて20世紀に地球的規模で顕在化した人間社会の危機は、「急性の危機」「慢性の危機」とでもよぶべき2つの顔をもつ構造的な危機であるとして理解するのが便利である (3)(4) 。  前者はいわば戦争にかかわる危機の顔であり、発達をしつづける核兵器の、その暴発の悪夢に脅かされつづけた冷戦下の30年であった。そしていまなお世界に武力抗争は絶えず、また「核」による人間社会滅亡のポテンシャルを、消滅させるべき確かな見通しも得られていない。


6.[「慢性の危機」] 後者の顔「慢性の危機」は、人々の活動の巨大化にともなって、次第に「人間の生存と生活の諸条件」(すなわち人間環境)が劣化することによって起こっている。この中には、いわゆる公害問題や地球的環境問題、自然や生態系の破壊の問題、廃棄物の処理問題はいうにおよばず、資源・エネルギーの世代を超える確保の問題や、人口・食糧問題、貧富と利便格差の激化と、その一方の極における貧困の問題(これはいわゆる「南北問題」である)、精神的・情緒的・文化的環境の劣化の問題(自然の消失と過密に由来する都市生活のモラルの劣化、あらゆる種類・あらゆるレベルの差別、人権抑圧の問題など)などの問題群が含まれる。
 
7.[危機の顔の両者の相互関連] いうまでもなく、ここに提起した「急性の危機」と「慢性の危機」は、たがいに独立した2つの危機ではない。それらは構造的な人間社会の危機のきわだった2つの顔であるにすぎない。「戦争は最大の環境破壊である」とは古くからいわれてきた。同時にそれは文化退廃の極でもある。あるいは逆に文化の退廃や、資源の偏在とそれらの獲得への意思が戦争の背景や原因を形成し、またその契機になってきたことはあまねく知られている。


人間社会の第3の変革期

8.[文明の永続可能性への疑問] こうして20世紀の後半、「このままの状態をつづけては、人類の文明はいつまでも維持できない」という問題意識が生まれ、育ち始めた。懸念される文明の永続不能性の中身を、4つの項目に整理しておく。ヽ吠軸錣痢崕弔粒隼供廚函峅の拡散」(5) 、◆峺害」(日本の過去の経験にいちじるしい人権問題の域に達した激烈な環境問題)状況の世界への拡散と、種としての人類を脅かすさまざまの地球環境問題の発生、人類史上空前といわれる貧富の格差の拡大、ぁ峙淦の危機」に直結しかねない宗教、民族の問題等、ひろく人間性にかかわる諸困難群。


9.[「文明の永続可能性をめざす革命」] 21世紀に必然・不可避であると考えられる人間社会の第3の変革を、「環境革命」(1)、「第1次地球革命」(6) などとするよび方が行われ始めている。いずれにしてもそれらが、「永続可能な社会」を私たちの未来に実現させるための、世界システムの変革を意味していることに変わりはない。それは壮大な、人類とその文明の「永続可能性」実現への挑戦である。
  このような「第3の革命」が、人類にとって「第1の革命」「第2の革命」と本質的に異なる点を指摘しておくことは有益であろう。それは歴史の解析によって、科学的に位置づけられる前2者とは異なり、人間の理性に頼って成功することを迫られている、近未来の人間社会の根本的な変革である。そして多くのシミュレーション(2)(7)(8)などの結果は、あと半世紀がそのような変革の勝負どころであることを示している。


2.「ストックホルム」から「リオ」へ


国連人間環境会議(ストックホルム会議)の開催

10.[危機の自覚の発生〜「沈黙の春」からウ・タント国連演説へ] 20世紀の後半、現実化する地球環境の危機が、次第に広く自覚されるようになったのは、1960年代に入ってからである。その象徴的存在として語られるR.カーソンの「沈黙の春」は、1962年に公にされている。国連事務総長(当時)ウ・タントが、あらましつぎのような内容を国連総会で述べたのは、1969年のことであった。
  「事務総長として知り得るかぎりの情報をもとにしていうなら、国連加盟の諸国が古くからの係争をさしひかえ、軍拡競争の抑制、環境の改善、人口爆発の回避、開発努力をめざして、国際協力を開始するのに残された時間はおそらくあと10年しかない。もしそれらの協力が成果を挙げなければ、矛盾はおどろくべき規模にまで深刻化し、人類の制御能力を超えるにいたるであろう」


11.[ストックホルム会議] ウ・タント報告を受け、スウェーデンのストックホルムで、国連人間環境会議が開かれたのは1972年のことである。ここで初めて、地球環境問題(より正確にはいわゆる地球的問題群、第6項に述べた「慢性の危機」の諸相)が、国際討議の場に付された。有名な人間環境宣言(ストックホルム宣言)が発せられ、人類は諸問題の解決のための国際的な協力を誓いあったのだが、しかも会議は、同時に「南」(開発途上国群)と「北」(工業先進国群)の、環境の評価をめぐる思惑の対立を、いやがうえにも自覚させる場になった。ちなみに1972年は、日本では四日市公害裁判の判決の年であり、当時その社会は公害(人権問題化した地域的環境問題)のるつぼの中にあった。同年はまた、ローマクラブの「成長の限界」(7)が公表された年でもある。


環境と開発に関する世界委員会

12.[「私たちの共有の未来」]ストックホルム会議ののちの1970年代、国連レベルではさまざまの努力がなされ、世界は協力の時代に入ったはずであるにもかかわらず、10年を経て、事態改善のきざしは見えなかった。1982年の国連総会は、環境と開発に関する世界委員会(WCED・いわゆるブルントラント委員会)を設置し、世界の現況の報告を求めた。1987年に総会に報告されたWCEDの報告「私たちの共有の未来(Our Common Future,OCF)」(9) は、さまざまの地球環境問題の激化、貧富の格差の拡大等々、いわゆる地球的問題群が、1980年代に入って史上空前の悪化を示していることを警告した。


環境と開発に関する国連会議(10)

13.[「地球サミット」の開催] OCFが公にされたのち約3年の準備期間を経て、1992年6月、環境と開発に関する国連会議(略称;UNCED、通称;「地球サミット」、俗称;リオ会議、ブラジル会議)が、ブラジル・リオデジャネイロにおいて開催された。ストックホルム会議からちょうど20年の節目である。リオの街の西と東に分かれて、たがいに認知された政府間会議とNGOの会議が開かれ、約3万人が集う人類史上最大の国際会議となった。


14.[リオ会議の成果] 政府間会議では、2つの国際条約、すなわち「気候変動枠組み条約(地球温暖化防止条約)」と「生物の多様性保全条約」が各国政府によって調印され、「森林保全原則」が採択された。同時に、ストックホルム宣言につづく「(環境と開発に関する)リオ(デジャネイロ)宣言」と、その中身を実行に移すための、21世紀に向ける人類の行動計画「アジェンダ21」が採択された。NGO会議では、政府間会議の成果にあきたらず、それに対抗し、あるいはそれを補完するかたちで、「地球憲章」「NGO条約」が採択されて多くの人々が署名した。人々も、(少なくとも建前のうえでは)各国政府も、地球的問題群の深刻さを再確認し、相互協力の誓いを 新たにしたことはリオ会議の成果であろう。


15.[リオ会議の限界] しかしながら会議が準備されつつあるかなり早い時期から、その限界が次第につよく憂慮されるようになっていった。環境と開発をめぐる世界各国の目先の利害の対立から、たがいの思惑が衝突し、結局は採択された2つの条約の内容の後退、はじめ森林保全条約として準備された条約案の「原則」への格下げなどが必至の情勢となったからである。ストックホルム会議で初めて顕在化した「南」と「北」の考えのずれは、20年を経てさらに決定的になっていた。南北間題の解消に直接かかわる支配的な世界の金融体制(ブレトン・ウッズ体制、IMF・世銀体制)の変革は、単に声高に叫ばれるだけに終わった。


16.[環境と開発をめぐる思惑の対立の構造] [1]基本的には「北」:工業先進国と、「南」:開発途上国との間にある。物質的豊かさを自らの社会に実現している「北」は、人類と文明の運命について語る。「北」の豊かさを追う「南」は、「開発の権利」を主張する。[2]「北」であれ「南」であれ、政府筋の考えとNGOの考えの間にはずれがある。前者は開発や成長にひたすらこだわり、後者は、開発の矛盾に脅かされる人権の問題(公害問題)に敏感である。[3]「地球サミット」の場において、表立ってマスコミをにぎわわせたのは、アメリカとアメリカ以外(中心はヨーロッパ)の国々の言い分の対立であった。いわば「北」の内部の対立である。目先の自国の経済の立て直しにこだわるアメリカが、結局は調印された2つの条約の内容を後退させた。


17.[「地球環境は有限」を本気で認めるか否かの対立](11)   基調報告は、前項のような「ねじれ」の構造をもった環境と開発をめぐる世界の対立が、つまるところ「地球上における人類の行動の規模が巨大化したために、地球が有限の存在になっている」という命題を、本気で認めるか否かにかかっていることを指摘する。「宇宙船地球号」(12) ということばは、すでにストックホルム会議のころ以来、日常茶飯時に使われている。にもかかわらず、つねにそれはお題目であり、政府も人々も一部を除いては、現実にその自覚のもとに生きているとはいいがたい。


18.[リオ会議以後] リオ会議から2年、国連はCSD(永続可能な開発委員会)を設け、この5月(1994)から作業に入る。アジェンダ21の世界における実現状況を管理するための委員会である。これに対応して日本国内においても、この2年間にいくつかのことが行われてきた。環境基本法の制定、日本のアジェンダ21政府行動計画の策定(CSDに提出)、自治体レベルのアジェンダの作成推進等である。しかし不況を口実にして全体的な動きはきわめてにぶい。環境基本法も「政府行動計画」も、「地球環境の有限性」を認めようとしない社会的勢力のために、いずれも世界に誇れるようなものにはならなかった。


3.変革をめざす合言葉;S DとS S


サステイナブル・ディベロップメント(4)

19.[「サステイナブル・ディベロツプメント・SD」概念の出現] ストックホルム会議の翌年、UNEPが発足した。以後の1970年代、主としてその主催下に、地球的問題群を議題にする各種の国際会議が、世界各地の都市を舞台にして開かれた。国連地球シリーズ会議と総称されている。これらの会議群の中で、現在までの開発(開発とは、文明の名による、人間自らの未来環境の創成のことである)のあり方に替わる新しい開発のそれが模索された(13)。 いうまでもなく、開発のあり方を変えなければ、ことの解決はないという問題意識である。その開発に対して「破壊なき開発」「新しい開発」「開発の代替的スタイル」「温和な開発」「優しい開発」などの語が使われ、それらにまじって「永続可能な開発」(SD)もまたさりげなく登場(1976)する。


20.[21世紀づくりの基本概念に] SDの語が国際的な文書にあからさまに登場するのは、おそらく1980年のIUCN(国際自然保護連合)報告「世界保全戦略」(14) であろう。同報告の副題は「SDのための生物資源の保全」である。(ちなみにIUCNは、この「SS集会」を後援している)。その後1987年、環境と開発に関する世界委員会が、SDをその報告「私たちの共有の未来」(OCF)の基本概念として採用して以来、この語は国際政治の舞台にもしばしば登場するようになる。つづいて「地球サミット」の基本概念となり、リオ宣言、アジェンダ21にはSDの語があふれることになった。いまや21世紀における人類の行動の基本概念として、定着したといってもよいであろう。


21.[SDとは何か?] 「永続可能な開発SD」とは、「子孫の世代が自らの必要を充足する能力を損なわないようにしながら、現在の世代の必要をも同時に充足できるような開発」の意味であるとOCFはいう。この基調報告者・林は、これを「生態系を健全に維持し、地球環境を廃嘘にしてしまわない、いつまでも発展しつづけることができるような、未来づくりのあり方」であると解説してきた。IUCNは最近の新しい報告(1991)(15) において、SDを「地球上で人間が生きているかぎり、その生を支える生態系の能力の範囲内で生活の質を改善しつづけること」であると定義している。
日本科学者会議はその10年来の種々の報告の中で、SDに相当する概念を、たとえばつぎのようなさまざまの言葉で表現している。「将来の世代の生存と生活の条件(つまりは未来の環境)を侵害しない開発のあり方」「地球(あるいは人間環境)の有限性を自覚した開発のあり方」「成果を生みだそうとする人間の行為が、その行為の基盤(すなわち地球環境や地球資源)を掘り崩すことのない開発のあり方」「物質的・社会的にフィードバック回路が円滑に機能できる生産のあり方」などである。


22.[SD概念の歪曲] ここで重大なことは、第19項、第20項のような歴史的経過を経て、前項のように表現されているSDの概念が、意図的、あるいは非意図的に歪曲され、それらが流布されていることである。〆任盍躙韻箆超覆蓮SDを「持続する経済成長」にすり替えるものであろう。そもそも第1回の先進国首脳会議(ランブイエサミット・1975)が開かれることになった目的は、安定な世界の「持続的経済成長」を実現することであった。日本の開発諸省庁の発言は、総じてこの種の歪曲で成り立っているといってよい。△弔はSDを、「環境保全」と「経済発展」を調和させ、あるいは妥協させるとする考え方である。この考えは日本政府でいえば環境庁に支配的であり、リオ会議に際しての政府の公式見解でもあった。しかしながら行動の全体に「環境有限の認識」の枠をはめることなく、環境と開発を同じ次元に並べて調和を図る思想の危険性については、日本の公害の歴史がすでに解答を示している(16)。


23.[SD概念に対する反発] 前項のような歪曲のほかに、おそらくは誤解に基づくSDへのほとんど無意味な反発もある。,つて日本の社会は、現在のことばでいえば「永続不能な開発」のために、広範に人々の人権が侵害された(公害の)経験をもつ。それゆえそれらに反対して闘った人々のあいだに、開発そのものを罪悪視する感覚が根強い。SDもまた悪者の開発のカモフラージュであるとする反発がある。∩姐 「 廚力超覆鬚箸蕕─△△襪い呂修譴蛤同して、SDは世界の(経済的)支配階級が、自らの支配の危機を回避し、支配の永続をめざすために案出した思想であると解するものである。おそらくはいずれにも、世界と地球、その現況に対する科学的な判断が欠けているのではないかと思われる。


サステイナブル・ソサエティ

24.[「永続可能な社会・SS」] SDに対する歪曲や誤解を避ける意味もあって、最近はSSの語の使われることが多くなった。私たちの研究集会も、その名称に「サステイナブル・ソサエティ」を掲げている。SSとはいうまでもなく、SDという開発のシステム、あるいは生産体系が円滑に機能する社会のことである。SSとはどんな社会か? 抽象的にこれを表現すればむしろ答は明快である。それは仝什澆寮ぢ綟發砲ける公平の実現した社会であり、¬ね茲寮ぢ紊箸里△い世慮正の実現した社会である。前者は、南北問題を解消する課題にかかわり、後者は、環境・資源問題等に密接にかかわる。総合していえば、人間世界の時間・空間にわたって、人権が確立されている社会だということになろう。
  現在「平和学」といわれる学問の領域では、平和は「戦争のない状態」を意味するものではなく、一切の構造的抑圧(社会システムの歪が原因で起こる人権の侵害)の終焉(しゅうえん)こそが真の平和であるとされる。SSとは、そのような「真の平和」が実現した社会であるといってもよいであろう。


25.[SSの備えるべき条件] SSの具体像を描くため、IUCNの報告「地球を大切に〜生きつづけるための戦略」(1991)(15)があげる9つの基本原則を掲げておくことにする。,△蕕罎訐弧申乎弔紡个靴瞳桧佞払われ、かつそれが大切にされる。⊃祐屬寮験茲亮舛慮上が図られている。C狼紊寮弧仁呂叛弧燭梁人誉が保たれている。)生命維持システム(17)の保全、)生物多様性の保全、)再生可能資源の再生限度内での利用。ず得孤塲住餮擦慮詐が最低限度でおさえられている。ゴ超容量の範囲内で行動が行われている。Σ礎祐僂鮑童‘い掘▲薀ぅ侫好織ぅ襪諒儚廚図られている。Ъらの環境を大切にするために、社会参加が可能である。┳発と保全を両立させるための国家的な枠組みがつくられている。国際的な協力機構がつくられている。


4.「北」の国々とその国民の責任


現在の世界をどうとらえる?

26.[あらゆる断面に南北問題を露呈する人間社会](4)  「北」を相対的に「豊かさと便利さに優れる地域」、「南」を相対的に「豊かさと便利さに劣る地域」という意味においても使うことにしよう。このような意味における「南北問題」は、人間社会のどのような「切り口」においても現れる。それは自治体レベルにおいてあり、圏域レベルにおいてあり、地方のレベルにおいてある。人々の生活の中で、身の回りの政治の中で、「さらに北へ」の憧れが語られない日はないといってよい。
国家のレベルにおいては、たとえば戦後の日本は、その内部に南北問題の重層構造を抱えながら、そして一方では平和憲法に守られながら、ひたすら「北」なるアメリカをめざして突っ走り、あっという間に「南」の端から「北」の端におどりでるという、特異な開発のあり方を実現した。NIES(新興工業国・地域)をはじめとするアジアの国々が、ふりかかる公害をものともせず、日本のあとを追っている。「北」に憧れない開発途上国などは存在しない。かつての社会主義国も、政治体制になおその名残を残す国々も、いうまでもなく「北」に向かう社会の例外ではない。


27.[「南」に極貧を抱えながら「北」へと暴走する世界] 国連のデータを基礎にしていえば、現在、人類が生産する世界の富のおよそ8割を、人口にして2割に満たない「北」(日本を含む工業先進国)の国々が独占し、「南の南」(後発開発途上国)に10数億の人々が、栄養不足の状態(絶対的貧困)で取り残されている。1億に近い人口が飢えの脅威にさらされている。毎年1000万のオーダーの5才未満児が、栄養不足と劣悪な衛生状態のために死ぬという(18)。  前項の事実に、本項の状況を重ね合わせれば、20世紀末の人間社会が、「南」の端に巨大な極貧の部分を、そしてそのために人権が失われている暗黒の世界を抱えたままで、全体としては「北」に向かって暴走する姿が浮かび上がる。


私たちの責任

28.[日本・工業先進国の負うべき責任] このような世界の現実に目を向ければ、「北」の国々とその国民が負うべき責任の一部はおのずから明らかとなる。少なくとも、つぎの3点をいうことができるのではなかろうか。,い淬狼緇紊法∧弧世留並撹塲柔をもたらしている、現在までの自らの責任を自覚すること。⊆らの社会の浪費体質を改善し、「永続可能な社会」の見本を、まず自国において実現すること。社会の改善によって削減された浪費部分を、「軍縮の果実」(19) とともに、無条件に、緊急に、「南の南」に移転する道を見出し、実践に移すこと。


5.おわりに


29.[分科会における討議] 前項の責任を果たすための具体的な道を見出す目的で、きょう第2日、私たちは8つの分科会に分かれて討議する。現在と未来の世界に公平と公正をもたらしうる経済システムの探究から、南北問題、生物・ヒト・人間社会の進化の方向を見失わないための多様性の保全、エネルギー、政策と法制、ライフスタイルの変革の問題、青年と女性の役割、SS実現の戦略としての環境教育まで。そして明日、第3日には、本日の討議の上にたって、全参加者による総合討論をめざす。


30.[SS全国研究集会をここに行う目的] 最後に、集会の目的を3点に集約しておく。 岷並害椎修兵匆顱廚亮存修鬚瓩兇靴董△修亮汰に踏み出すための具体的なあり方を研究すること。SD概念のうれうべき歪曲や誤解に対して、この集会の行動を通じ、一定の解答を用意すること。「知り」「愛し」「伝える」環境教育の具体的な実践の場として。


文献と注


(1) ワールドウォッチ「地球白書」 L.R.ブラウン等 1984年以来毎年刊 ダイヤモンド社
(2)「限界を超えて」D.H.メドゥズ等 1992 ダイヤモンド社(邦訳)
(3)「人間生存の危機」渋谷・林・志岐編 1984 法律文化社
(4)「サステイナブル・ディベロップメント」成長・競争から環境・共存へ  
    林・西村・本谷・西川  1991 法律文化社
(5) 核兵器の「縦の拡散(垂直拡散)」:核保有国における核軍拡が進み、また核兵器の質が向上すること。「横の拡散(水平拡散)」:核を保有する国の数が増えること。
(6)「第1次地球革命」[ローマクラブ・リポート] A.キング等 1992 朝日新聞社(邦訳)
(7)「成長の限界」・ローマクラブ「人類の危機」レポート D.H.メドゥズ等 1972 ダイヤモンド社(邦訳)
(8)「西暦2000年の地球」1、2 アメリカ合衆国政府特別調査報告 1980 家の光協会(邦訳)
(9) 環境と開発に関する世界委員会「地球の未来を守るために」1987 福武書店(邦訳)
(10)「地球サミット」のことを手っ取り早く知るためには、「地球サミット」ハンドブック 朝日新聞取材版 1992 朝日新聞社 が便利である。
(11)「地球環境の有限性と人間社会の変革」「永続可能な社会」の建設をめざして 日本科学者会議公害環境問題研究委員会 1994 日本科学者会議
(12)「経済学を超えて」K.E.ボールディング 1975 学研(邦訳)
(13)「破壊なき開発」変容する環境概念 M.K.トルバ講演集 1983 ハイライフ出版(邦訳)
(14)“World Conservation Strategy”Living Resource Conservation for Sustainable Development IUCN-UNEP-WWF 1980
(15)「かけがえのない地球を大切に」新・世界環境保全戦略 IUCN-UNEP-WWF 1992 小学館(邦訳)
(16)「調和論」:1967年に制定された公害対策基本法には、「環境保全を経済発展に調和させる」むねの条項が含まれていた。法施行後も、公害は軽減のきざしをみせなかったため、1970年の「公害国会」は、この条項を削除し、公害対策・環境保全を第一義的に重視する姿勢を法的には確立した。しかし70年代後半以後、環境の見かけの改善は、調和思想を実質的に復活させる背景になっている。
(17)「生命維持システム」:IUCNのレポートは、旧レポート(1980)以来、食物連鎖でつながった生物の種間秩序を「生態系」とし、その生態系を支える非生物界の物質・エネルギー秩序を「生命維持システム」とよんでいる。
(18)「世界子供白書」 UNICEF 1991(邦訳)
(19)「軍縮の果実」:軍備は本来、人間にとって浪費である。「軍備の削減によって生まれる経済的余裕」のこと。


 この基調報告は、1994年1月の初め、林によって骨子案が提示され、以後3か月近くの実行委員会の討議を経てまとめられた。


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