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日本の危機と永続可能な社会への転換
第一回「サステイナブル・ソサエティ」全国研究交流集会のまとめに代えて



事務局長 西村 忠行



はじめに


「サステイナブル・ソサエティ」(Sustainable Society)という横文字で内容の分かりにくいテーマではたして集会が成功するかどうか私たちは大変心配致しました。しかしながら、この3日間は満席となる参加者の数と熱気を見て、それが杞憂にすぎなかったことを知り、本当に嬉しく思いました。3日間の延べ参加者は約1500名、外国人の参加者は30名を超える盛況となりました。
 心からお礼を申し上げたいと思います。



1、日本で初めての「サステイナブル・ソサエティ」に関する研究交流集会


(1)国際色豊かに始まった集会初日


 19日正午、この集会のために特に編成された「サステイナブル・アンサンブル」の楽団による演奏と和太鼓で開幕しました。開会の挨拶は小原秀雄副実行委員長(日本自然保護協会理事長でありアフリカ象の研究で有名な動物生態学者)が行いました。静かな口調で集会準備の経過と永続可能な社会を実現するための研究と交流の必要性を訴えました。
 続くシンポジウムでは宮本憲一実行委員長とサンダラール・バフグナ氏の記念講演が行われました。そこで宮本氏は「二十一世紀の課題は((刃臓↓貧困と不公平の克服、人権の確立、ぬ閏膽腟繊↓ゴ超と資源の保全であり、これを満足する社会が永続可能な社会である。」と述べ、その実現の障害は(‖森饑甸覿函↓国民国家の利益が地球環境の保全より優先している事実、であることを指摘しました。そして、サステイナブル・ソサエティの実現の手段として直接規制、経済的手段(補助政策と環境税などの汚染負担金政策)、環境教育を挙げ、各国が足元からの地球環境保全を誠実に実行することが極めて重要であると述べました。特に、日本の水俣病や大気汚染患者を救済することが永続可能な社会の出発点であることを強調されました。

 インドからみえたサンダラール・バフブナ氏(インド・ヒマラヤの自然保護、チプコ運動の指導者でマハトマ・ガンジーの思想を受け継ぐ非暴力と菜食主義の人で、ヒマラヤの自然破壊をもたらすインド政府のテーリー・ダム建設に反対して断食を行うなど厳しい抵抗運動を続けている人)は講演のなかで次のように訴えました。「ヒマラヤの森林破壊は地球環境の破壊と同じほどの重要な意味を持っています。これまでの西洋文明が追求してきた物質主義や開発は人類の幸せをもたらしませんでした。本当のデベロップメント、すなわち、永続可能な発展についての真の意味は何かと問い掛け、二十一世紀の人類にとって必要な真の発展の道は/諭垢旅福を築くこと、∧刃臓θ麕塾呂亮匆颪任△襪海函↓K足を知る質素な社会、すなわち「足るを知る」社会であると述べ、仏教の開祖である釈迦やマハトマ・ガンジーの精神が今人類の未来には不可欠であると訴えました。

 記念講演に続くパネルディスカッションではハービィ・シャピロ氏(大阪芸大教授)と私(西村)がコーディネーターをつとめ、上記の記念講演者に加えて、ペレス・オリンドウ氏(ケニア)、ベン・ボア氏(オーストラリア)、アメディオ・ポステリオーネ氏(イタリア)の5名でパネル討論を行ないました。

 シドニー大学の教授であるベン・ボア氏はIUCNの定義を引用しながら、エコロジカル・サステイナブル・ソサエティ、つまり生態学的に永続可能な発展であることがサステイナブル・ディベロップメントの要であり、(ー匆馘に望ましく、経済的に成り立ち、自然と共生する戦略の提起が必要で、そのための法制化が重要であることを強調しました。

 イタリア最高裁判所の判事で、国際環境裁判所設立財団の発起人でもあるアメディオ・ポステリオーネ氏は、サステイナビィリティの定義について地球上の生命の永続可能性がその核心であり、平和・自由・平等・正義・連帯・質素な生活などがそこから導かれる原則です。その制度化のための施策が必要で、例えば地球環境の保全のためには従来の国際的な司法制度では不十分であり、国際環境裁判所の設立が不可欠であるなど具体的な施策の提起がなされました。またアフリカのケニアの国立公園庁の理事であったペレス・オリンドウ氏は、「人類にとって共通の母は一人、それは地球である。人種や民族や肌の色の違いを超えて人間にとって唯一の母は地球である。」と述べ、次のように語りました。

「アフリカにおける生物の種の多様性の保護は、アフリカの人々が自然に身につけてきた生き方であったこと、これに対して先進工業国はアフリカの狭い局面だけを見て、自然と共に生きる総合的な姿を見ず、ただ野性生物や資源の取り引きのみに関心を持ち、「貧しいアフリカ」を救出するのだと弁明します。しかし、伝統的なアフリカ社会には本当に貧しい人々は存在しなかったという事実を知りません。誰もが寝る場所があり、食べる物があったのです。現在の貧困は工業先進国がアフリカに持ち込んだものなのです。」と自然と人間の共存の原則を貫いてきたアフリカの人々の真の姿が語られました。

 永続可能な社会の重要な理念について各人からユーモアをまじえた熱気のこもった発言が続き、会場は笑いと共感の拍手で盛り上がりました。
 夜のレセプションは国際的雰囲気のなかで盛大に催され、参加者は和気あいあいのうちに交流を深めました。


(2)熱気に包まれた2日目と分科会


 林智副実行委員長の基調報告はサステイナブル・ディベロップメントの理論の歴史的な沿革と世界の状況、今日の課題について行われ、第一分科会から第八分科会までそれぞれ経済、南北問題、自然との共存、エネルギー問題、法制度、ライフスタイル、青年の集い、環境教育と、各分野ごとの課題で問題提起、報告、討論が活発に行われ、どの分科会場も満員で新しい時代への要求の強さがひしひしと感じられる内容でした。
 そして2日目の夜は海外参加者との交流会、経営者懇談会、青年学生部主催の文化イベントと多彩な行事が取り組まれ参加者の一層の交流を深めました。


(3)盛り上がった最終日


 最終日の午前中はサステイナブル・ソサエティの実現をめざす「私の意見、私の提案」と題して全体討論が展開されました。各分科会からの問題提起が紹介され、また、会場から「私の意見、私の提案」を発表する参加者が壇上に出て自由に発言し、それをうけて全体で活発な討論がすすめられました。



2、サステイナブル・ソサエティの概念について


 そこで私は、3日間の討議をふまえながら、日本における永続可能な社会の実現をめざして私の意見を3点にわたって述べたいと思います。第一の点はサステイナブル・ソサエティの概念についてです。第二点は日本における破局と危機の原因について、すなわち永続不可能な日本社会の構造についてであり、第三点は日本における永続可能な社会実現のビジョンについてです。

 第一点のサステイナブル・ソサエティの概念については、概念が抽象的で具体性に欠けるとか、曖昧で妥協的な概念であるとか、過去にあった経済と環境の調和を図るいわゆる調和論に陥る危険があるなどの指摘や批判があります。しかしながら、私は概念上の曖昧さがあることには同意しますが、この概念が生まれてきた歴史的背景と時代の要請を考えるとその目指すものは自らはっきりしており、そして極めて重要な本質を持つものであると思います。二十一世紀に向かう人類の要求に深く根ざしているものと確信しています。丁度一八世紀におこったフランス革命の当時、自由・平等・博愛といった新しい概念が世界の人々の心を捉え、今日の世界の理念となったのと同じようにサステイナブル・ソサエティの概念も二十一世紀へ向かう人類の新しい理念となって人々の心を捉え、時代を変革していくでしょう。

 「サステイナビィリティ」、すなわち「永続可能性」の概念には生命の哲学が存在すると思います。人類の生活様式と地球の生態系との間に矛盾と相剋が生まれましたが、それはこれまでの人類の理念が人間中心主義、人間本位に傾いていたからだと思います。人間を生み出してきた生態系、自然の秩序そのものの偉大さを尊重し、自然の秩序のなかに存在する人間として位置づけることはすなわち地球の生命圏としての秩序を守ることであります。このような考え方はけっして宗教でもなく、絶対的な価値や目標といったものでもなく、地球上の生命を尊重する人類の生き残りのための科学的思想であります。私はサステイナブル・ソサエティの核心にあるサステイナビィリティの概念の重要な要素として二つの側面があり、その一つは生態学的要請、自然の秩序から来る要請であり、その二は社会的正義からの要請であると考えています。その二つの側面から地球の生態系の優先的保全、生態系と共生する経済活動と質素な生活、生物の種の多様性の保護や人類の基本的生活要求の充足、南北・世代間の公平、住民参加、アセスメントなどの真の民主主義の実現、平和主義などの理念が生まれてきます。参加者のなかからも永続可能性という用語が持っている魅力にひかれて出席したという人たちがありました。日本をはじめ世界の新しい未来像を築いていく魅力ある概念だと確信します。



3、日本における破局と危機の原因をどう考えるか


(1)地球環境問題と一体として考える


 まず日本における破局と危機の原因を考える場合に地球環境の危機と一体不可分のものとして捉えなければなりません。つまり地球環境の破壊と同じように私たちの対処は緊急かつ抜本的な姿勢が必要であります。
 地球環境の危機は人間の諸活動によってかつてない規模と早さで深刻化しつつあり、人類は最大の難局に遭遇しています。地球の生態系のバランスが破壊され、今のような状況が改善されなければ20〜30年の間に人類は破局を迎える可能性があると指摘されています。
 全米科学アカデミーとロンドン王立協会の報告書の冒頭では「もう世界人口が予想どおりのペースで増加し、かつ地球上の人間活動のパターンが今後も変化しないなら、科学技術は世界の大半を巻き込む不可逆的な環境悪化と打ち続く貧困を防止することは出来ないかもしれない。」と指摘しています。

 またローマクラブの「成長の限界」の報告書の主要な執筆者であったメドウズ教授ほかは1992年に「限界を超えて」を発表しましたが、その著書のなかで地球の有限性とその限界について資源と人口問題を取上げ、次のように述べています。「地球は有限である。人口であれ、自動車や建築物、煙突の数であれ、物理的なものは永遠に増大し続けることはできない。しかし、人口や自動車、建築物、煙突などの限界は、少なくとも、直接的にはさほど重要ではない。重要なのは『スルー・プット』(一定時間内に処理される物の量)の限界である。すなわち、人や自動車、建築物、煙突などを機能させるに必要なエネルギーや原料の流量の限界である。人口も経済も、地球から得られる空気や水、食糧、原料、そして化石燃料の一定の流量に依存し、汚染と廃棄物を排出してそれを再び地球に戻している。成長の限界とは、原料やエネルギーを提供する『ソース』(供給源)の限界と、汚染や廃棄物を吸収するための『シンク』(吸収源)の容量の限界を意味している。」このような観点から世界の実情を検証した結果について、「1991年に再びデーターやコンピューター・モデル、そして自らの経験を考察した結果、技術改良や環境意識の高揚、環境政策の強化などが見られるにもかかわらず、多くの資源や汚染のフローが既に持続可能性の限界を超えてしまっていることが分かった。」「人類社会は限界を超えてしまったのである。現在のやりかたでは持続不可能なのだ。」と重大な結論を導いています。


(2)日本は生態系の限界を超えていないか


 日本における破局と危機を考える時にその原因となるものとしてわが国の工業 生産、資源、人口問題は主要な原因と思われます。そのなかで特に私が重視すべきだと思うのは日本の資源の枯渇の問題とゴミ、廃棄物の流量限界の問題です。
 日本の固有の資源は日本の国を養うことが出来るのでしょうか。ご承知のように日本は世界でアメリカに次ぐGNP(国民総生産)で世界の経済大国となっています。しかし、このGNP経済大国を支えているエネルギー資源、原料供給資源はとっくに日本の自前の供給源の限界を超えてしまっています。そして発展途上国をはじめ諸外国に完全に依存しています。
 外国への依存度は、原油は99.7%、石炭91%、鉄鉱石99.8%などでエネルギー資源及び重工業の資源は自国の供給源は皆無に等しく、自立できない厳しい現実があります。ハイテク産業に必要なクロム、マンガン、コバルト、ニッケル、レアアースなどのレアメタル資源は自給率ゼロであり、すべてアフリカ、東南アジア等からの供給に頼っています。木材、小麦、大豆、肉、魚類等の原料、食糧も輸入依存度は著しい。このように資源の供給の点では日本は自給率ゼロに近く、明らかに自立できない国家となっており、限界を超えてしまっているのです。日本が資源において破局を免れているのはもっぱら発展途上国など海外の資源を獲得しているからであり、その意味で日本の輸入は世界の有限資源の枯渇化の大きな原因をなしています。

 また、生態系の吸収源の限界について考える場合に汚染物質とゴミ、廃棄物の流量がどの程度かが問題です。ご承知のようにフロンやCO2の排出量は世界的な規制を受けていますが、日本は先進工業国として主要な責任国となっており、また、各種有害化学物質の氾濫や生産、流通、消費の各家庭から排出される汚染 物質、ゴミ、廃棄物はそれぞれ限界を超えているか、限界に近い状況を呈しています。NOXによる被害は全国に拡大しており、ゴミ、廃棄物の処理は陸域や海域の埋め立てによって自然破壊が進行すると同時にその限界に到達しています。
 また、日本の輸出物資である自動車、電機製品など膨大な商品は最終的に海外で廃棄物となり、輸入国の環境問題を引き起こしています。

 また、原料資源の有限性と浄化吸収の有限性とともに人間の自然性を無視した大量消費、利便性の追求、スピード化、使い捨てのライフスタイルは過剰な消費社会を生み出し、人間の精神や肉体に重大な影響を与える構造的な問題を提起しています。それは人間の「内なる自然」の破壊をもたらしています。そしてこの消費構造は生態系の永続可能性との矛盾を一層拡大しています。

次に、企業法人の異常な増殖と展開です。営利を目的とする企業法人が異常なほどに増大し、その活動が自然の法則と矛盾し、活動の内容と規模が肥大化を続け、地球規模の展開を行っていることです。言い換えれば営利法人企業は二十世紀に人類が造り出した「恐るべき怪物」と言っても過言ではありません。本来人間しか持たない意思能力や行為能力を法律によって営利企業に人格を与えるという法人格は、魔法のような力を発揮するようになりました。個人には不可能な巨大な資本の蓄積、工場の大規模化、国際化、労働者の隷属化、非良心的活動、政治との癒着などが日常普段となっており、人間のコントロールを超えた世界的な怪物に成長しています。今日、多国籍企業問題と言いますが、巨大企業に限らず中小企業も世界的な事業展開を進めており、これらの企業が世界の人々の要求とはかけ離れたところで行動し、富を支配し、人間の幸福と無関係に肥大化、すなわち幾何級数的な成長を続けていることです。
人口の増大も危機を深める重要な原因です。

 世界の人口の爆発的増大は人類の危機の大きな原因となっています。日本においても人口の絶対数は増加を続け、世界有数の人口密度と過密都市を生み出している。消費物質の消費量は発展途上国の一人当たりに比較して10倍から100倍であり、先進工業国における人口増は地球環境に与える負荷の点で極端に大きいものがあり、質的な人口問題を抱えています。

4、サステイナブル・ソサエティのビジョンはなにか


 
永続可能な社会については活発な議論が展開されるところですが、概念の重要なポイントは地球環境の破壊を生み出してきたこれまでの人類の諸活動から地球の生態系を優先的に保全し、人類と地球の永続的存在を確保する点にあり、,泙挫狼緇紊寮限峽呂陵ダ菘保全があげられます。⊆,貌酲面簑蠅硫魴茲簇展途上国の貧困の克服、不平等の是正無くして永続可能な社会は有り得ないとの観点から、すべての人の衣食住などの基本的生活要求の充足と、公平、平等、民主主義等の社会正義の要請があげられます。さらに、B燭の論者が指摘するように軍需産業の縮小廃止、平和非暴力の社会をめざすことが永続可能な社会の重要な目標であることも指摘されています。
右のような基本的な概念に基づいて、永続可能な社会の主要なビジョンをあげたいと思います。


(1)エコノミーからエコロジーへ


「経済優先主義から自然優先主義へ」転換することが不可欠です。最近は経済界からもこのような意見が出るようになりました。これまでの物的な拡大を自己目的とする「経済成長主義」を止め、地球の生命圏、生態系の保全を最優先し、それを前提として経済と人間の共生を実現していかなければなりません。成長に取りつかれた社会は破滅します。自然の法則と人間の経済活動とは同じ呼吸をしなければなりません。これが共生のための原理です。呼吸が合わないと破滅のもとになります。

 現在世界の経済も日本の経済も「不況」「不景気」と騒がれ、いかに不況の克服、景気回復を図るかがマスコミの話題の中心になっています。しかしながら、サステイナブル・ソサエティ(永続可能な社会)の観点から現在の経済事情を見ると「不況・不景気」とは映らずに「当たり前のこと」と映ります。現在は「不況・不景気」ではありません。1993年の国内の外貨保有高は最高です。円高差益で巨額の利益を収め、貿易黒字も最高を記録し、銀行の預金残高も増加しています。そして、国民に必要なものは売れています。売れなくなったものは買えないからではなく、不必要だから買わないようになったのです。したがって今は「不況・不景気」ではなく、「当たり前の時代」に戻りつつあることであり、これまでの過剰な投資や過剰消費こそが異常だったのですから、この機会に経済政策を「永続可能な発展」の方向に転換する良い機会だと思います。経営者は、従業員を解雇したり、“バブルの夢よ再び”などに惑わされず、地球の生態系と人間の真のニーズに依拠した「永続可能な発展」の具体化に繋がる方向に本当の経営の「リストラ」を実現すべきではないでしょうか。


(2)戦争と暴力から平和、非暴力の社会へ


 人類にとってもっとも愚かなことは戦争であり、軍事費です。核兵器の脅威を除去するために、全ての核保有国は核兵器を全廃する決断をし、実行に移すべきでしょう。あらゆる紛争は武力による解決ではなく、平和的解決に徹しなければなりません。そのためには兵器の生産や販売を停止し、武器の輸出などの取引を禁じ、軍需産業を平和産業へ転換していくこと、国連を主軸にして徹底して軍縮の実現を図り、非武装の国家軍を形成していくことが重要です。
 日本はその意味で今こそ世界のなかで憲法に定めた崇高な平和精神を守り、非武装中立国の模範となるべきではないでしょうか。兵器で防衛を考える論理は際限なく兵器を増強します。米ソの冷戦時代がそうであったように恐怖が恐怖を呼ぶばかげた論理のもとで世界の危機を造りだし、巨額の国防費は国民の生活を犠牲にして経済を歪めていきます。
 地球時代の人間は平和主義、非暴力主義に徹して生きることがもとめられています。


(3)競争から共生へ


 自由競争の時代は終わりました。これからは共生の時代です。いかにお互いを尊重しながらうまく共生していくかを考える時代です。嘗てアダム・スミスはその著書「国富論」のなかで、資本家が自由競争のなかで自己の利益を追求したら結果的に社会全体の効率を高め、富を増殖するという理論を展開しました。それが世界の経済界の支配的な考え方になりましたが、スミスの考え方には人間の理性という「見えざる手」が働いて、個人的利益が社会全体の富となり、自然調和が出来上がるという信念がありました。しかし、実際にはスミスの信念に反して社会の富は偏在し、貧富の差は著しくなりました。

 歴史が証明するところでは、自由競争は企業の富を蓄積し、増殖と肥大化を続け、今日では多国籍企業化して世界中を舞台に競争を繰り広げています。そしていつのまにか企業の資本力と規模によって物事が動かされるようになり、人間が企業に支配され、振り回されるようになり、人間の生存基盤である地球の生態系でさえ破壊されかねない状況となりました。私たちは人類の未来を真剣に考えるならば、企業の規模や活動の在り方を見直すことが必要だと思います。ヨットでセーリングするときは風があると勢い良く走ります。自由競争はセーリングの風のようなもので勢いをつけてくれますが正確な舵取りが最も大切です。僅かの角度の違いでも目的から大きくはずれてしまうからです。その意味で自由競争の企業活動は人類の幸せという目的によって厳格なコントロールがあってはじめて共生の道を生きることができるのではないでしょうか。

 「競争から共生へ」の考え方は、人類の経済活動が地球の生態系と共生しなければならないという意味だけでなく、生物種の多様性との共生、人間相互間の共生、世代間の共生、内なる自然との共生などいろいろな分野で共生の実現を図っていかなければなりません。


(4)物質主義から心の豊さと、真の幸せへ


 永続可能な社会のビジョンは物質的な数量によって幸福が図られる社会ではありません。衣・食・住など必要最小限の生活要求が物質的に満たされることで充分なのです。世界中の54億の人々がマイカー、コンピューター、飛行機、ヨット、別荘などを手に入れることに最大の幸福を感じて追求するようになったら、地球の生態系がたちまちパンクしてしまうことは明らかです。先進工業国はいまや「過進国」といわれるほど大量生産、大量消費によって物質が溢れ、そしてゴミの山を造りだしていますが、精神的満足感、心の豊かさということになると疑問が一杯です。いくら物が豊かでも麻薬や強盗、殺人の犯罪が増加し、病人やアル中患者が増え、家庭は離婚、親子離散で崩壊し、政治と経済は贈収賄が常習化し、銭勘定と取引のみが人間関係を支配する社会は先進国、発展した国といえるでしょうか。

 永続可能な社会は質素な物質的生活を心掛けますが、人間性を大切にし、心の豊かさ、生活の質的向上を追求する社会です。原始時代に戻ろうとする社会ではありません。消費を減らしてでも人類が築いてきた文明、文化をしっかり受け継ぎながら永続可能性を基準として不必要な物を抑制し、必要な物を高めていくという智恵を働かせた高度な社会であります。
 小鳥のような美しい目で科学する心豊かな社会です。


(5)ナショナリズムからグローバリズムへ


 「国益中心主義から人類益・地球益中心主義へ」の発想の転換が求められています。世界のあらゆる出来事は一国単位で考え、対処することは不可能な時代になりました。フロンやCO2などを見ても国内の生産消費が直ちに地球環境に影響しています。核兵器の脅威や石油などあらゆる資源の取引き、人口の世界的流動、テレビなどのマスメディアの拡がり、食料問題などどれを取っても国際性を有しており、世界的な視点で考えなければなりません。そして国家の利益よりも人類の利益、あるいは地球の生態系の保全のように地球益といえる国を超えた人類と地球の普遍的な利益を優先して考えなければならない時代です。

 国連は世界の諸問題を処理するうえで重要な役割を果していますが、まだ国家の利害に左右されて人類の利益を優先して擁護できないという限界が指摘され、国連の改革が主張されています。また欧州連合はヨーロッパ諸国が国家主権を一部委譲して事実上の国境の壁を打破する方向で進んでいます。地球時代の新しい国家の在り方を考える上で注目すべきことです。世界連邦政府への道に繋がるかもしれません。

 私は人類益、地球益優先と述べていますが、それは日本の個性や独自性を失うことでは決してありません。むしろ今までよりも日本人が築いてきた伝統的な芸術や文化、街づくりや暮らし方などは大切にすべきだと考えます。人類的視野で発想することと他国の真似をすることとは全く違います。決して他国のコピーになってはいけません。もし日本がアメリカのコピーだったら誰も日本を魅力的だとは思わないでしょう。

 以上のようなビジョンを試みに提起いたしました。今後の日本及び世界の真の発展のためにこのようなビジョンを描きながら具体的な政策を展開し、永続可能な社会の実現に向かって努力していきたいと思います。


以上

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