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永続可能な社会とは何か
第4章 「永続可能な開発」という思想の受難




「ストックホルム」から「リオ」を経、「ヨハネスブルグ」を超えてつづく世界の良識の流れ、それを体現する「永続可能な開発」(SD)の概念ですが(第1章の末尾参照)、これが登場して以来、決して人々に、すんなりと受け入れられてきたわけではありません。逆に数々の批判にもさらされました。日本社会独特の批判もあります。SDの中身を誤りなく見定めるために、それら批判の歴史を、あらまし見ておくことにします。




■日本における公害反対運動からの反発■



<公害反対運動の開発観> 戦後の日本社会を10年ごとに区切った第3期、1965年〜1975年のころは、「人権問題にまで激化した環境問題」が、日本列島を覆っていました。それは本格的になった日本経済の高度成長、そして日本が豊かな国の仲間入りをしたことの裏側にほかなりません。人々はこのような激しい環境問題を「公害」と呼びました。当然ながら、人々の間には、失われた人権を回復しようとする運動が起こります。そしてそのような運動は、「開発」をもって、即、悪であり、敵であるとみなしていました。



<色目で見られたSD概念> このような開発観は、第一次石油ショック(1973年末)の後、時代が第4期(1975年〜1985年ごろ)に入って日本経済が減速し、成長が鈍化、成長の裏側であった公害現象が緩和されてからもつづきました。「開発は即、悪、即、敵」の思いには、1987年の窒素酸化物大気環境基準の緩和に見るような、経済界の圧力に押された環境政策の露骨な後退にも、その理由が見いだされるでしょう。そこに海外から立ち現れたのがSD概念です。「サステイナブル(永続可能な)」などと、もっともらしい形容詞をつけているが、それは開発の悪を覆い隠すカモフラージュにすぎないと考えられたのです。また公害現象は、一般に加害者と被害者がはっきりしています。SD概念や地球環境問題を強調することは、問題の原因を隠蔽し、加害者を免罪する行為だともみなされました。



<第5期の成り行き> つづく第5期(1985年〜1995年)には、国際政治のうえでは、ベルリンの壁が崩壊(1989年)し、ソ連邦が解体(1991年)するなど、冷戦時代の感覚ではとても理解できない変化が起こりました。日本経済についていえば、いわゆるバブル景気(1986年11月〜91年2月)が出現、そしてやがて崩壊をしたのがこの時期です。そのような経過のなかで、環境に取り組む市民運動は大きく成長します。「公害の撲滅」と「地球環境の保全」、を合わせて目標に掲げる運動が、次々と現れるようになりました。毎年4月22日の前後に行われるアース・デイの取り組みは、最初からこの両者を運動の目標に掲げて、1972年(ストックホルム会議の2年前)にアメリカで起こっていますが、日本でそれへの連帯行動が始まるのは、20年遅れた1992年でした。これには上に述べたような日本の特殊事情があったことが推測されます。




■冷戦下のイデオロギー的非難■



<「成長の限界」の血筋を引く思想> 戦後すぐから、91年にソ連邦が崩壊「東西問題」が消滅するまでの冷戦下、日本国内では鋭いイデオロギーの対立が見られました。第1章に述べた「成長の限界」(1972年)は、その中身がどうかよりも、まずその報告を公にしたローマ・クラブ(世界財界の有志の集まり)の素性が問われました。報告の結論がいう100年以内の破綻の危機は、地球や人類、あるいは文明のそれではなく、崩壊寸前になった資本主義体制の危機であるにすぎないとされたのです。そしてそれ以後の70年代に生まれ、発展するSDの概念などは、この「成長の限界」の血筋を引くいかがわしい思想の産物だとみなされました。



<自由経済と計画経済> 資本主義の経済体制(自由主義的経済体制)は、基本的には資本の自由な行動を至上のものとし、その中から自然に生まれる秩序に期待します。そのため起こったのが公害で、「公害は資本主義の体制災害だ」という言い分が、いたるところで幅をきかせました。厳格な計画経済の社会になれば、不適切な開発に対してあらかじめ理性が働くから、公害や環境問題は起きないと考えられたのです。しかしやがてそれは、世界を見れば事実誤認であることが判明します。計画経済の国であっても、開発のあり方が不適切なら公害は起こります。現実の社会主義国は、西側諸国が得た経済成果に追いつこうと、意図的に理不尽な開発を推し進める結果になりました。政治的に民主主義の形を取らないそれらの国々では、市民運動という「ブレーキ」が働かないだけ、より厳しい環境の状況が生まれていました。



<歴史の淘汰> SDに対するこの種の批判は、やがて歴史の淘汰を受けることになります。1980年代から中国は、経済的には改革・開放政策をとり、実質的に自由主義経済に移行しましたし、91年にはソ連邦が解体しました。総体的には20世紀型社会主義は破綻したと言わなければなりません。90年代が進むにつれて、公害の責任を、資本主義体制だけに押しつけていた人々の声は、次第に小さくなって現在にいたっています。




■開発途上国の反発■



<「南」にも豊かになる権利> SDに対する反発の第3は、開発途上国、「南」の国々からのものでした。彼らはすでにストックホルム会議のころから、グローバル化した地球環境の危機が、一方的に工業先進国の側から強調されることに反感を持ち、一貫して「南」の事情を訴えつづけてきました。その言い分を箇条書き的に要約すると、「地球環境の現況を招いた責任は、もっぱら工業先進国にある」、「途上国の環境問題は、低開発の問題にほかならない」、「途上国の国民にも、先進国の人々同様、豊かになる権利がある」などです。それゆえSDという概念に対しても、それが「世代間の公正」をうたうのであれば、現在の世代の中に存在している世代内の不公平はどうしてくれるのかと言いつづけたわけです。



<「世代内公平」を取り込んだSD> この言い分はまことにもっともであり、反論の余地はありません。だがごくはじめの時期はともかく、90年代に入ってからのSD概念は、すでにこの言い分を自らの中に取り込んでいると思われます。たとえばリオ会議(1992年)において採択された「アジェンダ21」(全40章)の、第1章「前文」につづく第2章は「途上国における持続可能な開発を促進するための国際協力および関連国内政策」、つづく第3章は「貧困への取り組み」となっており、第4章の「消費形態の変更」へとつづきます。文明を永続させようとする努力の大前提として、南北問題の解消を位置づけ、「世代内公平」の実現を、21世紀人類の行動の最重要課題としているわけです。問題は、途上国の開発(貧困の克服)がSD概念に盛り込まれ、建前は整ったが、現実の行動、端的に言えば「北」から「南」への援助が、はかばかしく進まないことにあります。




■SDを「持続的成長」と読み替える勢力■



<サステイナブル・グロース> SD概念そのものとしては、以上3つの立場からの批判は、すでに解決をしているといってもよいでしょう。しかし重要で、かつ重大なのは、ここに記す第4のものでしょう。これは反発や批判というよりは、SD
概念の(意図的な)誤解・曲解、あるいは巧妙な歪曲・すり替えとでも言うべきかも知れません。SDという語が登場したごく初期のころから、「サステイナブル・ディベロップメント」は、「サステイナブル・グロース」と読み替えられました。日本語では「持続的成長」と言っています。「持続的成長」、この語が新聞の紙面に、経済面を中心にしてしばしば出てくるのにお気づきでしょうか。



<言葉の自己矛盾> この語は経済不況下では、ことさらに強調されます。「いつまでもつづく経済成長こそ、人間社会の幸福につながる」とこの言葉は言っています。まるで日本をも、世界をも救う「合い言葉」であるかのような雰囲気です。しかし考えてもみてください、総体的に見れば20世紀、右肩上がりの経済成長が、事実上「無限」であった地球を「有限」の存在に変え、文明の未来を危うくするような事態を生みました。「持続的成長」こそ、永続不能な社会、永続不能な文明を出現させた元凶だということもできましょう。このような危機を克服するために出てきたSDを、またまた「持続的成長」と読み替えたのでは、いったい何をしているのか分からなくなります。いまこういう読み替えをする中心的な社会的勢力は、もちろん危機の生成に最も責任のある人々、財界、経済界に属する人々です。IUCNの1991年報告は、「持続的成長」は概念の自己矛盾だとし、「サステイナブル・ディベロップメント」は誤解されやすいので、これを使わないですむ場合
には、たとえば「サステイナブル・ソサエティ」など別の言葉に置きかえるなどしようと提案をしています。



<背後に主要国サミットの権威> ところが重大なことは、「持続的成長」概念の背後には、れっきとした権威が控えていることです。毎年開かれるいわゆるサミット、G8(主要国首脳会議)の経済宣言(最近ではコミュニケ)には、時にその冒頭から、あるいは宣言の最重要部分に「持続的成長」なる言葉が現れるのです。新聞紙面の「持続的成長」は、単にこのサミットの用語の再現であるにすぎません。そしてストックホルム会議やリオ会議などの環境サミットの開催が10年おきであるのに対して、「持続的成長」を振り回す主要国サミットは、毎年、それも最近は、専門閣僚ごとのサブ会議が、数多く行われていることにもご留意ください。

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