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*** コラム:環境問題と公害 ***



およそ生物は、生きるということ自体によって、その周辺(環境)に影響を及ぼしている。生きているかぎり食わねばならない、食えば排泄する必要がある。食えばそれだけ環境の資源が減るし、排泄すれば環境は汚れる。植物の場合でも、環境から物質とエネルギーを取り込み、また排出しているという意味では、動物と変わらない。


しかしこのような環境の変化を、ふつう環境問題とは呼ばない。生じた変化は急速に回復し、以後のその生物の生存や生活には何の支障も起こらないからである。生態系とは自然、あるいは環境の別名だといってもよいが、起こった生態系の小さなずれは、自然の秩序の中に呑み込まれて、後に影響を残さず復元してしまう。だがこのずれが何らかの理由で、容易に復元できないほどに大きくなると、以後の生物の生存や生活に支障が現れる。こうして環境問題が発生する。


しかし生物が人間以外のそれである場合には、彼らと環境との間のやりとりは、主としてその個体の維持行動(動物なら摂食と排泄、植物なら吸収と排出)に限られる。異常発生などで、環境が大幅に悪化する場合でも、原因をつくった生物自体が淘汰されて死滅し、生態系はやがて元の秩序を回復する。ところが人間の場合は始末が悪い。人間社会には文明というものがあって、彼らは自分の意思で、意図的に、時には目先の衝動で、あんまり遠い未来のことも考えずに環境を変形し、改変するからである。自然的・生物的な淘汰も、文明のせいで起こりにくい。人間は、本質的に環境問題を引き起こす危険のある生物だということができる。


そしてさらに科学・技術の発達した現在のこと、開発(文明の名による未来の構築)の不適切さによって引き起こされる環境問題の規模は極端に大きくなり「このままではわれわれの生を支えている正常な生態系が崩壊する」、「このままでは地球がもたない」、「このような文明はいつまでもつづけられない」というところにまで来てしまったのである。


日本ではかつて環境問題は、主として公害と呼ばれていた。1960年代からしばしば登場した「公害」という言葉は、世界語になって英語辞典のあるものには載っている。しかしそこに記載されている語の説明、「汚染(pollution)」は、かつて日本人が「公害」に与えた意味合いとは、相当なずれがあるのではないか。当時の人々は、環境問題が激しくなってそれが健康や生存に脅威を与えていると感じたとき、その現象を公害と呼んだと考えるのが正当であろう。すなわち、公害とは「どちらかといえば局所的・地域的で、加害者と被害者の区別が明瞭な、人権問題の域にまで達した激しい環境問題」のことである。


もっとも公害は、戦後になって初めて現れた事象ではない「戦前の公害」とも称される事実上の公害現象は、19世紀末、日本の年号でいえば明治の終わりごろから存在した。



当時主として足尾、別子、日立などの鉱山が、どことも鉱石の製錬過程で深刻な公害を起こしている。亜硫酸ガスによる大気汚染が一般的だが、さらには「足尾鉱毒事件」に見るような、現在まで影響があとを引く、水質汚染(渡良瀬川の汚染)の例もある。


さらに世界を見渡すとき、時代はさらにさかのぼること約100年、公害の源は、18世紀後半にイギリスで始まった産業革命にまで行き着く。産業革命はその当初から、労働者に悲惨な労働条件を強い、局所的、地域的ながら、典型的な人権侵害的環境の劣化を出現させていた。日本の戦前の公害は、この産業革命の波が、資本主義の進展とともに、海を越えて、ようやく東洋の島国、日本にも押し寄せてきた姿にほかならなかった。


(林)


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