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記念講演
「持続する社会」をいかにつくるか



宮本 憲一


1.20世紀をふりかえって21世紀の課題を考える


 20世紀は19世紀が生みだした貧困と不平等を解決するために、福祉国家と中央司令型社会主義を生みだした。しかし、1970年代以降、この二つのシステムは危機におちいった。中央司令型社会主義体制は、ソ連と東欧において崩壊した。福祉国家は慢性的な財政危機におちいり、市場制度への依存を余儀なくされている。このため、市場の失敗があらわれ、福祉がきりさげられ環境政策が後退をしている。他方、戦後、帝国主義の崩壊によって、発展途上国は独立をし、数においては国連で多数をしめるにいたったが、経済的には先進工業国への依存を脱却できず、70年代以降、アジア地域を除いて、停滞を続けている。

 このような状況の下で、未来がみえなくなり、混迷の時代にはいったといわれる。しかし、20世紀を通じて、人類の課題は明確になったといってよい。それは次の五つの課題にまとめることができる。

(1)平和とくに核戦争の防止
(2)貧困の克服と経済的不公平の防止
(3)基本的人権の確立
(4)民主主義と自由の確立
(5)環境と資源の保全

 これらを満足する社会が「持続する社会」であり、これをすすめるための戦略が、「持続可能な発展(Sustainable Development)である。この五つの課題は、各国の状況によって、優先順位に相違がある。また相互に矛盾もあるので、これをどのように総合するか、そのための手段、主体、システムについてこれから創造していかねばならない。ところで、そのための教科書はない。そのいみでは、いまの若者は自ら教科書をつくる冒険をしなければならない。それはたよりないようにみえるが、他面、まことに魅力のある仕事であろう。

 「持続する社会」をつくるために、もっとも重要なことは、地球環境と資源を保全しつつ、同時に発展途上国問題を解決することである。

 このためには、先進工業国が国内外の環境破壊をやめ、エネルギーを中心とする有限な一次産品の消費を抑制し、有害物質の排出や廃棄物をやめなければならない。その上で発展途上国の自主的な発展を資金・技術面で助成しなければならない。

 発展途上国はなによりも、飢餓と疾病による苦境から脱却しなければならないが、日米欧がたどったような大量生産・大量流通・大量使用・大量廃棄という近代化の道をたどることには問題がある。いま、アジア地域は都市化と工業化による急速な経済発展をとげつつある。それは日本の戦後の高度成長と同じであって、公害と資源の涸渇をもたらすであろう。西欧型の近代化とはことなる経済発展の道をつくりうるかどうかがアジアのみならず地球の環境を保全するかぎであるといえる。



2.「持続する社会」の障害


 ストロンゲ博士は「持続する発展」には三つの要素が必要だといっている。
 第一は公平(equity)である。これは、二つの意味がある。ひとつは、北だけが「持続する社会」をつくるのではなく、南の国も北の先進国と同様に経済的社会的環境的な利益を享受しなければならないというのである。もうひとつは、いまの世代だけでなく、未来の世代も同様の利益を享受しなければならぬことがこの公平という意味にはふくまれている。

 第二は効率(efficiency)である。できるだけ、効率よく「持続する社会」を創造・管理しなければならない。これはたんに市場経済的な効率をいっているのでなく、もっと広く社会的な効率をいっているのである。資源を浪費せず、環境をできるだけ破壊しないことである。

 第三は参加(Participation)である。「持続する社会」は特定の階層・組織や個人によって維持されるのでなく、住民全体が参加できるようなものでなければならない。つまり、民主主義がその根底になければならず、強制でなく、自発的な参加によって、社会がつくられ、運営されねばならぬのである。

 このようないみをこめた「持続する発展」は、1992年のリオ会議によって採択され、それは人類共通の命題として承認をえた。しかし、この理想を実現しようとすれば、現実には多くの障害がある。

 まず短期的な問題としては次の二つの点である。第一は、多国籍企業である。各国の公害防止はもとより、地球環境保全のためには、多国籍企業の経済活動とそれにともなう環境への負担の状況が公開され、地球環境政策に違反する行為を規制しなければならない。それは生活活動はもとより、販売活動にいたるまでの経済活動全体が規制の対象となりうるであろう。

 しかし、「地球環境宣言」(リオ宣言)や「アジェンダ21」は、多国籍企業の規制について全くふれていない。国連の中には、多国籍企業を環境政策の観点で民主的に規制するための規準や組織はつくられていない。むしろ反対に、多国籍企業の自由な発展が世界経済の成長、ひいては発展途上国の発展に必要だと考えられている。ガットや世界銀行の行動はそのことをあらわしている。

 NGOはかねてから多国籍企業の民主的規制をもとめ、既存の国際経済組織の改革を主張してきているが、なかなか実現しない。

 第二は、国民国家の利益が地球環境保全よりも優先していることである。とりわけ、アメリカのような大国の国益が国際政治を支配していることである。リオ会議において当時のブッシュ政権は気候変動枠組条約に調印しなかった。これは大統領選挙をひかえ、アメリカの産業の利益を地球環境保全よりも優先したためである。国益は伝統的な考え方では、領土や資源に関する権益であった。しかし、今日では国益はその国の人民の基本的人権を守るために、国益が主張されるのは正当である。とりわけ、発展途上国や小国の政府が、先進工業国の企業や政府によって自国民の人権が侵害される場合に国益を主張して、それを制御することは正当な権利である。だが、大国が自国産業の利益のために、地球環境政策にしたがわぬというのは正義に反するといってよい。

 今日の国連はアメリカを中心として、大国の利益を優先している。このため、地球環境保全のためにアメリカの国益の主張を制御する組織はない。

 現在、フロンガスについては国際的規制がすすんでいるが、その他の有害物質の排出についてはまだ充分におこなわれていない。自然破壊・再生不能の資源の浪費についての規制はすすんでいない。歴史的文化的文化財の保護についても、各国の政府の選択にまかされている。

 多国籍企業や各国の政府はグローバルミニマム(地球人民の最低限の生活水準とくに環境水準)をきめることについて反対である。しかし、グローバルミニマムを決定することは、今後の国際的課題であろう。

 次に長期的にみて大きな障害は、人類の発展が、産業革命以来の都市化・工業化さらに大量生産・消費という経済システムにもとづいてすすめられているということである。たしかに近代化は合理的であり、普遍的である。いまの発展途上国が貧困から脱却するためには、先進工業国がたどった近代化の道を模倣するのが、もっとも単純でかつ早道にみえる。アジアの新興工業地域(NIEs)やアセアンの諸国は、他国に例のないスピードで近代化をすすめている。たしかにGNPは成長した。しかし、このために公害が発生し、エネルギーなどの資源を乱費し、自然が破壊されつつある。おそらく、このままのスピードでアジアの近代化がすすめば、地球環境の保全は困難であろう。

 近代化を超えるような新しい経済発展の道が創造されなければならない。では近代化を全面的に否定して、中世時代のような経済にもどった方がよいかというと、それはノーであろう。近代化のもっている合理性や民主主義を維持したまま、近代化の悪い側面を改革して、新しいシステムをつくることがもとめられている。発展途上国の現状では、先進工業国から環境保全のための資金や技術の導入をもとめているが、それ以上に新しいシステムを創造するところまではいっていない。先進工業国の場合、すでにGNPをこれ以上ふやしても、生活が豊かにならないことが明らかになっていても、依然として経済成長を政策の最優先課題としている。



3.サステイナブル・ソサイエティをつくる手段について


 このような状況の下で、「サステイナブル・デベロップメント」あるいは「サステイナブル・ソサイエティ」を提唱しても、夢物語にしか聞こえてこないであろう。
具体的に、それらを実現する手段について議論と実践がすすめられる必要があろう。

 環境政策の手段は次の三つである。

(1)直接規制
(2)経済的手段
(3)環境教育による住民の自発的な環境保全

 これを地球環境政策に即して考えてみよう。
 第一の直接規制については、まず民主的な環境保全のための国際組織をつくらねばならない。行政機関としては、国連の中にリオ宣言を具体化するための環境保全理事会をつくることを提案したい。この機関は専門委員会をつくり、地球環境保全のための地球環境規準とそれを実行するための各国の規制規準を勧告する。それを実現するための技術援助や財政措置を決定する。また、この勧告を無視し、あるいは重大な地球環境破壊行為をおこなって、対策を怠っている場合には制裁措置をとる権限をもつ。つまり、安全保障理事会の環境版である。

 行政機関とならんで、司法機関が必要である。この点ではイタリアの最高裁判事アメデイオ・ポステリオーネ氏の提唱した国際環境裁判所の提案を支持したい。この裁判所は二つの機能をもつべきだと考える。ひとつは、ある国の政府・企業・個人が重大な地球環境破壊行為をした時に、他国の政府やNGOがその行為の差止めや賠償をもとめうる。もうひとつは、ある国の政府・企業・個人が環境破壊をしているにもかかわらず、その国の政府や裁判所がそれを制御できない時に、被害者やNGOが訴えることができるというものである。つまり、国際・国内双方の環境問題について個人、環境NGOや政府が取り上げうる機能をもつということである。もちろん、国内環境問題は原則として国内裁判所がうけつけるべきであるが、発展途上国などにおいて、重大な環境破壊がおこっているにもかかわらず、行政も司法も機能しない場合に、国際環境裁判所が、最後の救済者としての役割をもつということである。

 日本の経験からいって、環境破壊を行政機関だけで規制することはできない。それは多国籍企業と行政機関(国連組織の場合も)が癒着し、あるいは癒着しないまでも、政府が多国籍企業への制裁をさける可能性があるためである。とりわけ、加害者が大国の企業で被害が小国の少数民族のような場合に、その人権が無視されたり、その訴えがとりあげられぬ場合があるためである。また、政府それ自体が地域開発などによって環境破壊をしている場合には、行政組織ではそれを制御できぬことが多い。たとえば、基地公害などが典型的であろう。日米安保条約やNATOによる基地の公害を正当にとりあげうるのは、国際司法機関がもっとも適しているといってよい。

 国際環境裁判所が効力をもつには、環境保全のための国際法がつくられねばならぬが、適当な環境法がなくても、訴えをとりあげることができるような組織がのぞましいであろう。また、国際国内NGOに、提訴権(原告適格)をみとめねばならないだろう。

 第三には経済的手段である。OECDは、近年、直接規制よりも経済的手段によって、とりわけ環境権などで環境政策を実現する方向を優先している。つまり、環境保全のための社会的費用をいれて、価格を引き上げることによって、市場にインパクトをあたえ、需給関係をかえることによって、有害物質の排出・混入などの有害行為を削減・差止め、あるいは環境負荷の比較的小さい他の商品やサービスなどへ代替えや技術開発をすすめようというのである。

 経済的手段は大きくわけて二つある。

(1)補助政策
(2)課徴金・環境税などによる汚染負担金政策

 細部の議論は避け、本質的なことのみふれたい。補助政策は環境保全のための費用負担を財政的な援助で削減することによって、対策をすすめるものである。これには補助金、財政投融資(低利での財政資金の貸付け)、減免税などがある。たとえば、現在は高価な自然エネルギーの導入、電気自動車の利用、採算が困難な環境保全技術開発、中小企業の公害対策の援助、あるいは、発展途上の環境政策の促進などには有効である。

 他面、ODAによってフィリピンのマルコス政権が汚職をしたり、あるいは国内でも補助金に依存するために技術開発や価格引き下げのための努力がおこなわれぬかぎり、一定期間で打ち切るべきであろう。

 これにたいして、課徴金・環境税は商品・サービスに課税してその価格を引き上げ、その消費を抑制することによって、環境負荷を少なくしようとするものである。課徴金はPPP(Polluter Pays Principle汚染者負担原則)にもとづいて、汚物を排出しているもの、あるいは汚物をふくむ商品を製造しているものに負荷するものである。しかし、実際の負担者は消費者になる場合が多いので、CPP(Consumer Pays Principle消費者負担原則)ともいわれる。デポジット制度もこれと同じ経済的な効果をもつ制度といってよい。

 環境税は一般財源で広く環境保全のための租税である。石油などのエネルギーにたいする税金、あるいは熱帯雨林の商業用木材などの再生不能あるいは困難な一次産品にかける租税などがこれにあたる。これは一次産品の価格を急激に引き上げることによって、その消費を抑制し、節約の技術の開発や代替物質の導入をすすめようというものである。

 経済的手段とくに課徴金と環境税は当面、もっとも重要な手段である。すでに北欧諸国やオランダではCO2削減のためのエネルギー税がとられている。日本では、大気汚染患者の補償制度の財源としての課徴金、ガソリン税、清掃手数料などがとられているが、地球環境保全のための環境税はとられていない。

 環境税が先進工業国で徴収され、それを発展途上国のODAの財源とすれば、汚染負荷を軽減すると同時に、発展途上国の貧困問題解決や環境保全に寄与するので一石二鳥だといわれる。しかし、実際には問題がある。それは環境税は消費税あるいは付加価値税と同じように、国民の負担とくに低所得者の負担になるということである。したがって、環境税が導入される場合、消費税や付加価値税を減税あるいは廃止しなければ負担の不公平を増大する。環境税は一般財源なので、その用途は必ずしも環境政策ではない。このため、いまの財政全体の改革が必要なのである。

 環境税によってODAがおこなわれる場合、ODAそのものの改革が必要である。いままではODAは経済開発の促進となり、とくに先進工業国の企業の海外進出や商品市場開発の誘導資金とされていて、環境保全どころか環境破壊に資することとなっている。したがって、ODAとくに世界銀行の中の地球環境基金には住民参加をみとめ、その使途のチェックが必要とされるであろう。

 OECDは先述のように環境税の導入に大きな期待をかけている。しかし、いまの先進工業国の状況は、不況対策が優先し、環境税の導入は困難となっている。かつて、もっとも熱心であったドイツでさえ、EC諸国全体の導入がなければ、貿易上不利となるので、ドイツだけの採用は困難といっている。それどころか、できればアメリカと日本が同時に導入しなければむつかしいといっている。日本では石油関連業界を中心に財界は環境税導入には反対である。また国民はいまの政府の環境政策には反対であり、環境税の導入はきわめてむつかしい。

 さて、地球環境保全の主要な手段をみてきたが、現実にはいずれも、すぐに実現するとは思えない。直接規制のための国際的行政・司法組織をつくるためには、長い年月がかかりそうである。また、かりに国際組織がこの十年ぐらいの間に実現しても、地球全体に共通する法律、環境規準や規制の方法を設定するには、長い年月がかかりそうである。経済的手段は一旦採用されれば、市場制度で自動的に効果をあらわすが、これも先進工業国で同時に採用することを政治的に決定するには時間がかかりそうである。

 そのようにみていくと、結局、さいごの手段として、NGOの活動がもっとも重要になってくる。NGOが、環境教育をおこなって地球人民の世論をおこし、連帯して自発的に環境保全をおこない、各国政府のみならず国際組織に働きかけて、環境保全をすすめることがもっとも重要となる。国際的行政・司法組織をつくり、経済的手段を導入することも、地球人民の環境保全の世論と運動の前進の中で、はじめて実現するといってよい。



4.足もとから地球環境保全を


 地球環境保全というと、あまりにも大きな課題で、どこから手をつけてよいかわからないようにみえる。しかし、実は足もとに課題があるのである。たとえば、熱帯雨林を守ろうとすれば、国内の森林業を再生して、輸入財を削減することができる。日本のように世界でも有数の森林国が、森林業を衰退させ、山村を過疎化し事実上森林保全を放棄していて、ブラジルの熱帯雨林を守れといっても、それはマッチポンプのようなもので、道理に合わない。私たちが日本の森林業と山村を再生することにまず全力をつくさねば、熱帯雨林は守れないであろう。

 CO2など温室効果ガスやフロンガスの発生源は遠い宇宙のかなたにあるのでなく、実は足もとにある。地域の発生源としての工場や自動車を規制することができなければ、温暖化もオゾン層保護もできないのである。

 最近の環境保全運動の混迷の中には、足もとの環境問題の解決をなおざりにして、ブラジルヘ走り、マレーシアに飛んでゆき、イギリスの会議に出ることに専念しなければ地球環境は守れないと考えている指導者が多くなっているためではないか。また、環境庁も同じように、水俣病や大気汚染患者の救済をなおざりにして、地球環境政策、それも分析と紹介だけをおこなうような事業に専念しているために、環境政策は停滞を続けているのである。海外でも、アジアのNGOの中には、足もとの深刻な公害事件の解決をさけて、フロンガスや温室化ガスの抽象的な研究をもって、地球環境保全に寄与していると考えている人達がいる。

 地球環境保全には、先述のように、国際行政・司法組織を研究しつくること、国際的に環境保全のための経済手段を研究しつくるために国際的に連帯し運動することが必要である。しかし、運動の基盤はあくまで足もとにあることをわすれてはならない。

 この会議は、サステイナブル・ソサイエティを宇宙のかなたに、あるいは夢のかなたにつくるためのものではない。私たちの日常社会の現実の中に、それを実現しなければならない。そのための主体をつくり、その方法を研究するための集会である。私たちが内発的にサステイナブル・ソサイエティを足もとにつくる努力を基盤にして、国際的な視覚をもって、国際的なNGOと連帯しなければならない。改めて、ここに足もとから地球環境の保全をし、サステイナブル・ソサイエティを日本からつくる努力をすることをこの会議の目標とすることをのべて、むすびとしたい。

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