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[第1分科会 基調報告]
「持続可能な社会」の経済構造について

神戸商科大学 菊本 義治


1 「持続可能な発展」の基本的な視点


 「持続可能な発展」が論じられるようになったのは、次のような考えからである。第1は、私たちの生産活動=対自然制御活動が大きくなると、私たちの現在の決定が、次の世代に大きく影響することになり、彼らの決定の自由を束縛することになる、私たちは次の世代の自由を奪ってよいものか、とくに、環境破壊のようなマイナスの遺産を残してよいものか、というのである。この考えから、環境ストックを破壊しない経済発展の必要性が論じられる。

 第2は、将来において予想されうる問題や課題があり、しかも、短期間で解決できないものがある。その問題を解決するための物的準備=経済発展を今からしなくてはならない、というものである。例えば、将来の人口増加や高齢(化)社会に対応するための物的準備(街づくり、住居改善など)が必要である。また、現在においても、貧困の問題が存在するが、それを解決するてだてが必要である。



2 「持続可能な社会」について


 一般的にいえば、「持続可能な発展」を実現できるのが「持続可能な社会」であるが、もう少し具体化させると、どうなるであろうか。

 この問題を考えるためには、この大会の宮本憲一報告が有益である。宮本氏は人類社会が存続するための5つの課題を指摘された。すなわち、(刃臓Τ棒鐐菲瓢漾↓貧困克服、経済的不平等の防止、4靄榲人権の確立、ぬ閏膽腟舛伴由、ゴ超と資源の保全である。この5つの課題が達成されないならば、人類の存続は不可能になる。したがって、これらの課題を満足する社会が「持続可能な社会」といえるであろう。

 5つの課題は整合性があるであろうか。とくに、△鉢イ箸藁称できるであろうか。資本主義経済のもとにおいて両立できるであろうか。もし資本主義経済において両立が不可能であるとすれば、どのような社会で可能であろうか。両立できる社会は存在しないのであろうか。



3 環境と生活


1)豊かさの追求は悪いことであろうか

 私たちの生活水準を落とすことによって環境との調和をはかろうとする考えがある。すなわち、「私たちの生活は飽食で豊かであり、これ以上の生活向上を求める必要はないし、むしろ環境問題を考えれば、生活水準を低めるべきである」というのである。私たちの豊かな生活=消費生活こそが環境破壊の根源だ、というのである。

 しかし、私たちの生活は豊かであろうか。豊かさとは、難しい概念である。どのような状態ならば豊かであるのか、いわば豊かさの下限を決めることは難しい。むしろ豊かさの反対概念と思われる貧しさについて考えたほうがわかりやすいであろう。

 次のような状態は貧しい。すなわち、\弧燭鳩鮃が保障されていない、現在ならびに将来の生活が保障されていない、人間としての権利が保障されていない状態である。

 この条件から判断して、私たちの生活は豊かであろうか。貧しいのであろうか。々餾歸に紛争や戦争が後をたたない。交通事故において数多くの人々がなくなっている。食品の安全性は十分に保障さていない。長時間・過密労働によって過労死が生まれている。不況によって倒産・解雇がおこなわれている。企業再構築(リストラ)の名によって、合理化・解雇・配転が強行されている。職についている人々に対して、残業や転勤・単身赴任が強制されている。その結果、家族はバラバラ、崩壊の危機にある。また、福祉削減によって老後が不安である。色々な差別・不公平・人権じゅうりんが行われている。とくに、企業内においては差別がまかりとおっている。憲法がないのである。大多数の人々は企業内において決定から排除されている
 以上の点を考慮して、私たちの生活は豊かであるとはいえない。もっと豊かさを追求せざるをえない。


2)環境制約下で生活を維持・向上させうるか

 豊かさを求め実現できるであろうか。環境制約のもとでは、無制限な成長は不可能である。とくに、先進資本主義国においては、低成長にならざるをえない。そのもとでも、私たちの生活を維持し、向上させることができるであろうか。

 .爛世鬚覆すことである(一見、ムダのように見えても、そうでないものがあることに注意)。軍事費を減らすことである。低成長では投資水準は大幅に減少する。さらに、広告などで買わされている不必要な奢侈品、過剰包装などを節約する必要がある。これらを総計すれば、GDP(国内総生産)の数十%が節約できる。

 ∋饂困篏蠧世良塋薪をなくすことである。例えば、現在の日本では約500兆円のGDPがあり、GDPの15%を投資にまわすとすれば(現在約30%)、国民一人当り350万円以上になる。1家族(4人家族)で1400万円である。1家族が700万円で生活するとすれば、多くの家庭は生活水準をひきあげ、かつ、現在のGDPの60%ほど(投資節約15%、消費節約42.5%)を節約できる。

 省資源型・環境保全型の生産様式・生活様式を実現する必要がある。環境制約のもとでは、環境コストが重視されるために、環境保全型の技術が用いられるようになる。また、環境破壊の根源を人間の生活に求め、企業の汚染排出を免罪しようとする意見は誤りであるが、どのような生活スタイルも自由だとする余裕はもはやないのである。

 ど郎い鬚覆すためには、一定の成長が必要かもしれない。その際には、省資源・環境保全の技術を開発しなければならない。私たちの対自然制御能力を高める必要がある。



4 「持続可能な社会」の経済システムはどのようなものか


1)資本主義と両立するか

 資本主義経済は利潤追求を目的としており、そのために高投資=高成長をめざしている。未知なフロンティアを切り開くうえでは、資本主義は最も進んだシステムである。したがって、高成長、規模の経済、経済活動空間の拡大をめざすのが資本主義であり、環境制約下の持続可能な発展にはなじまないのである。

 市場システムは消費者の意向を企業・生産活動に反映するうえで有効であることから、市場システム(税制度、汚染切符制度など)で環境問題を解決できるのではないか、という意見がある。すなわち、汚染物資を多く排出すれば税金が高くなり競争上不利になるから、企業は汚染防止に努めるであろう、というのである。また、環境容量に応じて汚染切符総量をきめ、それを売買させればよい、ともいうのである。しかし、市場システムが有効であるためには、取引の自由(受けとり、引渡しの自由)が必要であり、かつ、汚染物資の排出量(引渡し量)が明確でなければならない。ところが、汚染物資に関しては取引の自由・受取の自由がないのである。否応なく汚染物資を受け取らされるのである。また、個々の企業の排出量も企業秘密を理由にして公表されないのである。さらに、汚染税を価格に転嫁することもできる。したがって、市場システムだけでは環境破壊を防ぐことはできない。環境容量に応じた環境規制(総量規制)が不可欠なのである。

2)中央集権型経済システムと両立するか

 旧ソ連などの中央集権型経済には、多くのムダがある。第1に、莫大な軍事費である(GDPの20%以上)。第2に、生産に必要な資材などは中央から企業に配分され、しかも中央は十分に企業内容を把握していないので、すぐに必要ではない資材が配分(企業在庫)され、必要なところには配分されないというムダがある。第3に、消費者主権を認めていないので、消費者が望まないものが生産されたり、消費者の必要なものが生産されない、などのムダがある。

 中央集権社会は環境破壊に効率的なシステムである。かれらは、物的生産を重視するあまり、汚染物資排出などの社会的費用を経済計算にいれずに環境を破壊したのである。下からの公害反対運動が盛り上がらないために、環境破壊をチェックする有効なシステムがないのである。

3)共同決定社会

 「持続可能な社会」は共同決定社会にならざるをえない。その理由をのべる。

  峪続可能な社会」は環境規制を行う。その意味で人々の行動を束縛する。したがって、環境に関する規制については、すべての社会構成員が決定に参加する必要がある。

◆ヾ超制約のもとでは、人々の生活要求をおさえる必要が生じるかもしれない。生活のありかたに関しては、強制ではなく納得が大切である。

「持続可能な発展」は困難な課題であり、みんなの叡知を集めなければならない。みんなの参加が必要である。


意思決定への参加アクセスはどのようなものか。

 々駝荏完に関わるような環境規制については、国民全員による決定が重要である。経済成長や貨幣供給量など国民生活を基本的に決める事柄も国民全員による決定が望ましい。

◆〃萃蠅歪樟楫萃蠅世韻任呂覆、間接決定によってもおこなわれる。すなわち、国民は意思決定に参加する人々を決めるのである(罷免権も含めて)。その決定が有意味であるためには、情報公開、言論出版の自由、立候補の自由などが保障されていなければならない。

 企業の民主化が徹底的に大切である。企業こそは、対自然制御活動の第1線であり、国民生活に深い関わりをもっている。そこで何が決定され、何が実践されるかは人類社会存亡にとって無視できない。企業活動が持続可能な社会と両立できるためには、企業構成員が企業活動の意思決定に参加(人事などの重要決定ならびに日常活動の経常決定)できる保障が大切である。

ぁ仝朕佑亮駝や嗜好を細部にわたって上から押しつけるわけにはいかない。個人は環境規制という大枠のなかではあるが、自由である。そして、消費者としての意向が市場を介して企業に伝えられる。企業活動は国民・消費者の生活向上を目的にすべきである。

ァ’儡物処理などを考えると、地域社会のあり方が大事である。生産と消費の合理的リンク、生活原点としての地域共同社会の民主的運営が大切である。

Α|狼綉模の環境問題について、とくに世界連邦ができていない段階においては、国連の環境保全活動を強める必要があるが、そのためには、国連が民主的に運営されていなければならない。非営利団体の環境保全運動が重要になるであろう。



5 「南北問題」について


 発展途上国における貧困問題を解決する必要がある。発展途上国が先進資本主義国から学べる点は、合理的な経済計算である。また、消費者主権による個人の要求を生産活動に反映させる仕組みは有意義であろう。しかし、環境や資源、伝統的な文化・歴史・生産様式を無視した資本主義的拡大主義は、創造的破壊というよりも破壊活動でしかない。先進資本主義国の多国籍企業が、「企業の論理」によってフロンティアに進出し、地球規模で環境を破壊していくことを許してはいけない。発展途上国の生産・生活様式を大切にし、その上に省資源・環境保全型の経済開発を行うことである。

 先進国が経済援助をする際には、その援助が環境破壊に用いられたり、受け入れ国の一部の人達の利益に用いられてはいけない。



6 どのように実現するのか


 「持続可能な発展・社会」は必然である。それが実現できなければ、人類は存続することができなくなるか、あるいは存在しえても、人口の大幅減、生活悪化(環境汚染、生活水準の低下)という犠牲は不可避であるからである。人類の存続を前提するならば、「持続可能な発展・社会」は必然である。

 事態の重要性、環境問題の重要性を埋解することが大切である。「いずれ環境問題は無視できなくなるだろう、しかし、まだまだ大丈夫。私・わが社ぐらいがどんなことをしたって大丈夫」という考えが、環境を徹底的に破壊し、とりかしのつかないことにしてしまう。環境の不可逆性を直視する必要がある。みんなが環境を重視するようになれば、環境問題を解決する展望が切り開かれるのである。

 みんなが環境問題をまだ十分に重視していない段階では、足元からできることから運動を積み上げていく以外にない。環境保全の運動は地球規模の運動だけではなく、地域運動であるから、そして、それが生活と密着した運動であるから、多くの人々の共感と共鳴をえることができるであろう。新しい街づくりや福祉づくりの運動と連携しながら輪を広げていかなければならない。そして、環境保全の運動は、一部の人のエリート的な運動であったり、独善的であったり、非民主的な運動であってはならない。人間を大事にする運動でなければ広がらないのである。

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