[第2分科会 基調報告]
地球環境政治における南北問題
関 寛治
1) 地球環境政治のパラダイム成立の歴史的条件について
2) 南北問題のパラダイム変化とは何を意味するか
3) 南北問題から見た地球的問題群の認識論・存在論的意義
4) 持続的成長・地球環境政治・地球的問題群
5) もう1つのパラダイムにおける南北問題の解決
1−0 地球環境政治のパラダイム成立の歴史的条件について
環境問題をめぐり地球規模での政治的争点が出現し展開されるようになったことは、人類の歴史で科学・技術の発展の影響が、地球規模のものになったことの象徴的結末にほかならなかった。最初の突出した問題は、ヒロシマとナガサキヘの核兵器の投下という1945年の戦争技術上の革命から始まる。次の突出した問題は、1950年代から開花して60年代後半にピークを迎えた石油化学工業の環境破壊によって象徴的になった重化学工業中心の経済発展から生まれた。
1−1 1972年6月の国連人間環境会議から92年6月の国連開発環境会議まで
1972年6月のストックホルムにおける国連人間環境会議は、ベトナム戦争のなお継続する中で、開催された。核抑止の政策のもとで米国は、ベトナムに枯葉剤を大量に散布する戦争を続けていた。ベトナム反戦運動もピークに達しようとしていた。米国政府は、反戦運動が、環境運動に切り替えられることを期待してストックホルムに代表派遣を決定した。しかし、ストックホルムでは、ベトナム戦争は、最大の環境破壊であると、断罪された。パルメ首相までそういう演説をおこなった。こうして、パルメ首相のスェーデンに対して米国は、外交関係を断絶することになった。これに比べると82年のリオ・サミットでは、地球環境問題が中心であり、第三世界と米国との対立も、もっぱら、炭酸ガス排出基準の達成にしぼられた。ポスト冷戦時代への劇的変化だといえよう。
1−2 安全保障パラダイムから地球環境パラダイムヘの変容を妨げる条件
安全保障パラダイムは、世界システムを国の集まりからなる単純システムと考えた上で、国の安全についての戦略的選択肢を検討するわけである。世界システムについて国の集まりとは別のシステムを考えていない。それだけではなく、地球環境とは完全に切り離された上での世界システムの構成の一部になっている。そもそも新しい安全保障概念など出てきようもないといえる。しかし核時代の進展のなかで旧来の核抑止戦略はMAD−NUTS論争を通して危機におちいった。それでも地球環境ぬきの世界システム論の転換はやって来なかった。
他方、世界システムを国の集まりとしてではなく、多国籍企業やNGOの集まりとしてみる単純システムのパラダイムからも、安全保障パラダイムヘの批判は行われた。しかし、単純システムのパラダイムのネットワーク内部の原理にもとづいた地球環境パラダイムヘの離散的な関心の表明がなされていたに過ぎない。このようなパラダイムからは、全体として安全保障パラダイムを地球環境パラダイムヘと転換させうるだけの統合的方向づけの能力は現われてこなかった。その理由の一つは、あきらかに、複合システムとしてこのような転換の条件が考えられていないことにあった。ポスト冷戦時代にはいるとほぼ同時に行われた湾岸戦争によってもそのことははっきりと示された。また朝鮮民主主義人民共和国の核開発疑惑にからんで日米韓の政策エリートの間で推進された共和国制裁論議と平行して、第二次朝鮮戦争のシミュレーションが安易に計画され、かつ実施されたごときは、いぜんとしてパラダイム転換への壁を乗り越えることが、如何に難しいかを示している。
1−3 安全保障パラダイムから地球環境パラダイムヘの変容を促進する条件
ローマ・クラブによる地球環境問題へのシステム・ダイナミックスによる解析は、環境問題が、エネルギー・資源問題、食料問題、人口問題などと密接にからみあった形で変動する地球的問題群の一つであることを前提条件にした解析であった。その解析の結果としては人類生存の危機を予測して成長の限界を見据えることによって、これまでの開発政策の根本的見直しが提案されることにあった。しかしこの解析方法には、人間が構成する社会関係が、システム・ダイナミックスの境界条件の外の与件としてしか設定されていないという限界があった。地球的規模で展開されてきた米ソ間での核軍拡競争が引き起こす危機については、当初は、まったく言及されなかったのである。人間と自然システムとの関係だけから成長の限界に言及されたにとどまり、社会システムと自然システムとが人間を媒介にして複合システム化している状況からの予測ではなかったからである。そうした批判の影響もあって、核戦争の結果が、地球に核の冬をもたらすというシミュレーションが行われるにいたった。
しかし、社会システムからの入力については、米ソ間で核戦争が起こり、それぞれの核兵器の十分の一が使われるという条件を設定するだけにとどまっていた。要するに社会システムからの簡単な入力が地球環境にどう影響するかというレベルの分析であり、複合システムのダイナミックスの解析にはなっていないのである。その意味でのみ核の冬のシミュレーションは、安全保障パラダイムを地球環境パラダイムヘと転換させるきっかけを創りだしたといえようか。ゴルバチョフはペレストロイカによって核の冬のシミュレーションの結末から学んだが、経済改革には失敗した。これは、複合システムの理解の欠如との結合によって起こりえた象徴的な歴史的事例として記録されることになろう。
1−4 世界システムの新しいダイナミック・パラダイム成立の歴史的基盤
地球的諸問題の間に明白な相互影響環境を認知出来るとき、それら諸問題は、ランダム集合ではなく群を構成するといってよい。地球的問題群の相互連関のもとでの時間的変動の諸条件は、どのような方法で明らかにすることが出来るようになったのか。地球的問題群間の相互変動関係を解析するシステム・ダイナミックス法(SD法)が、コンピュータの利用で明示的な結果をグラフの上に描いたことが、その出発点となった。この方法は、単純性の故に成功したが、理論なき単純性としての批判を理論経済学者から受けることにもなった。しかし1960年代の経済の高度成長のなかで先進国にもたらされた地域的な公害を地球的規模に拡張するイマジネーションによって成立したパラダイムとして旧来の自然および社会諸科学に新しい研究のフロンティアを切り開いた歴史的功績は大きい。それと同時にその後のグローバル・システムのシミュレーション研究の出発点となった功績も特記されるべきであろう。
2−0 南北問題のパラダイム変化とは何を意味するか
SD法が自然システムとの関係だけを抽出した解析に焦点をあてていたことへの批判は、とくに環境破壊問題での先進国と発展途上国との間での環境基準についての歴史的差別感覚の意識が、途上国側から出されることによって火をふくまでにいたった。南北間の争点の移動もまた歴史的に展開されて行くが、その過程で南北問題のパラダイムも大きく変化してゆく。
2−1 72年ローマ・クラブ報告への批判
SD法による地球環境の未来への警告にもとづき、エネルギー消費を一様に制限するという政策提案は、途上国から見れば、過去から現在に至るまで、ずっと環境破壊の元凶であった先進国の責任を一様に途上国にまで課そうとするものであった。こうして、72年ローマ・クラブ報告は、これから先進国なみの経済成長を達成しようという途上国に対して貧困状態を押し付けることで、先進国の豊かさを維持する政策を地球イデオロギー的な普遍主義で展開しようとしているのではないかといった種類の批判が、さまざま出されるきっかけになった。
2−2 冷戦再開と核戦争の危機
南北問題の対立激化を、もっぱらソ連による南の貧しい国の政治的利用に帰した米国は、ソ連のアブカニスタン侵攻を契機にして冷戦再開へと軌道修正をおこなった。この軌道修正は、ヨーロッパヘの中距離核弾頭(INF)の展開と重なりあって、MAD対NUTSの核戦略をめぐる論争を激化させるにいたった。こういった中でローマ・クラブ報告の延長線の上に立つ核の冬のシミュレーションが行われて、南北問題パラダイムをも転換させる次の段階がはじまったのである。
2−3 79年ブラント報告から82年パルメ報告まで
南北問題が世界政治の次元で大きな争点として登場した70年代には、おそまきながら世界銀行総裁のマクナマラの示唆で1977年、ブラント委員会が設けられ、79年の国連総会でその発表がおこなわれた。報告文書は80年3月、「北と南〜生き残りのためのプログラム(略称ブラント報告)」として公表された。ここでは環境問題とからみあって突出して浮上してきた争点が北の先進国に受け入れられざるをえなくなった。(1)最貧国のニーズの優先(2)飢餓の廃絶(3)一次産品と工業製品(4)超国家企業・技術・鉱産物開発(5)国際通貨制度の改革の五点にわたって北の先進国へのきびしい提案がかかげられることになった。実際的には貿易・武器輸出・観光などへの国際的課税による開発資金調達などの外、途上国への大規模な資金移転、国際エネルギー戦略、世界食料計画、国際経済体制の改革といった80年代前半期の「緊急プログラム」も提示された。しかし80年代前半の冷戦再開によって、これら提案の実現は大きく妨げられることになった。82年のパルメ報告は、このような状況をふまえて、日本に75年にできた国際連合大学もかむことで「共通の安全保障」の刊行を行うことにより、軍縮の達成に知的刺激を与えようとした。もちろん、冷戦継続に利益を見出す軍産複合体からの強い抵抗をうけたが、ゴルバチョフのペレストロイカがこの提案を受け入れて冷戦終結も可能になった。SD法の延長線上で行われた「核の冬のシミュレーション」も大きくこれに貢献したことが特記されるべきであろう。
2−4 リオ会議における南北問題が意味するもの
92年6月3日から14日間にわたってブラジルのリオデジャネイロでは72年のストックホルムでの「国連人間環境会議」の20周年を期して「国連環境開発会議(地球サミット)」が開催された。ポスト冷戦ということで175カ国が集まる人類史上最大の会議となった。会議では、リオ宣言、アジェンダ21、森林原則声明が採択され、具体的には、地球温暖化防止のための「気候変動枠組み条約」、動植物の種を絶滅から守る「生物の多様性保全条約」が成立した。「持続可能な開発」の意味を具体化したアジェンダ21では、ストックホルム会議での行動計画が機能しなかったことの反省の上にたち、審査機関としての「持続可能な開発委員会」の設立も合意された。リオ宣言では、「われわれの家・地球」というパラダイムの中で各国政府と国民をその家族と位置づけ、人類と自然の共生や相互依存の認識、国際協調の重要性がうたわれた。
しかし、アジェンダ21では、途上国側からの主張で、地球環境の破壊が先進国の責任であるから、途上国への支援は援助ではなく保障であるとの趣旨が原則的にみとめられ、先進国のODAをGNPの0.7%にまで増額するという目標が合意された。具体的レベルの交渉では、米国に代表される社会システムの構造的側面を無視して自然環境だけを主張する流れと、平等の原理にもとづき開発の権利を主張する途上国側からの社会システムのリエンジニアリング要求の流れとの対立があって、問題の先送りされた例が多い。たとえば、途上国が森林の法的規制に反対したり、米国が生物多様性条約でバイオテクノロジーの知的所有権の扱いを不満として調印を拒否したり、炭酸ガス廃出量を2000年までに1990年のレベルまで減らす目標についても米国からの異論が出て、目標の明示がなされなかったりという事例をあげることができる。
3−0 南北問題から見た地球的問題群の認識論的・存在論的意義
これまで、人類の自然環境への関わり合いの変化を中心にして地球環境問題が突出した争点になってきたことを、核軍拡競争とその他の地球的問題群とのからみあいを通して見てきた。現実の戦後冷戦史の展開の中でそのからみあいが明示的にされてきたというのがいつわらざる実情であろう。しかし、自然システムとの関連だけで問題の展開を明らかにする試みは、あらゆる面で限界に当面せざるをえない。その根本的理由は、自然システムは人間存在を中核においた複合社会システムとからみあって、より複雑な超複合システムを構成しているからである。特に国の集まりから成る世界システムの概念の登場と共に、我々の認識論的・存在論的パラダイムは複合性が一層こみいって難しくなる。
3−1 世界システムの三つのパラダイムと南北問題
西欧起源の国際関係のパラダイムでは、世界が主権国家の集まりから成ると考える第一のパラダイムが正統派として確立された。そのリベラルな変種として国家間の相互依存に焦点をあてる第二のパラダイムが現われた。これら二つのパラダイムは、いずれもモデル構築においては、水平面で複数の行為主体(国家あるいは、企業)が、平等に競争するものと考えている。しかし、その結末では、垂直に支配と従属の関係が生まれてくる。この結末から、モデル構築すれば、支配と従属に焦点をあてる第三の複合構造的パラダイムになる。南北問題の様々な形態での分析は、第三のパラダイムによってのみ行われうることになる。このパラダイムの中でなお問題なのは、自然システムとの関係が分析を行う境界内には現われてこないことである。
しかし第三のパラダイムの持つ複合性は、第一のパラダイムとの関係で垂直の支配と従属関係を位置づけるのか、それとも、第二のパラダイムとの関係でそれを位置づけるのかによって、覇権国的秩序と反覇権運動との対抗を見るのか、あるいは、資本主義的発展に対する社会主義的平等要求の対立を見るのかという二つの下位パラダイム内部でも行為主体のおかれる位相によって、対立する側のどちらにコミットした見方になるかが決定されるという、より根源的な複合性も生まれて来る。マルクス主義の階級性の概念は、第二の下位パラダイム内で行為主体の存在拘束性を最重要視した理論であった。この見地は、第一の下位パラダイム内でのナショナリズム運動への注目で、理論の複合性を増大させて解決の難しい論争を生みだした。このことは、20世紀後半にかけての共産主義運動史の生々しい現実でもあった。南北問題にはここで論じられたすべての争点が原理的に内包されているという超複合性を考慮した上でのみ適切な論議が行われうるのである。
3−2 ポスト冷戦時代の辺境地球環境政治の位相と民族紛争
冷戦とポスト冷戦とを通して第一のパラダイムは全面的に変化させられた。しかし、なおそのパラダイム内で古典的なパワー・ポリティックッスが復活してきているという見方があり、現状把握は混乱をきわめている。第三のパラダイムの超複合性に注目した上でポスト冷戦時代の辺境地球環境政治を位置づけることが可能になれば、辺境地球環境政治のポスト冷戦時代における構造的位相もはっきりと捉えることができるようになろう。たとえば、朝鮮半島は、近代日本が西欧国際政治の中に組み入れられた後、日本の安全保持の最前線にたつようになり、日本の生命線とまでいわれるようになった。このことは、朝鮮半島が地球政治の辺境に位置づけられていたことを示すものであった。
冷戦時代には、朝鮮半島は、米ソ冷戦のフロンティアとして、一時、1950〜53年には、熱戦まで戦われた国際緊張のもっとも大きい地域へと移行した。米国の対ソ核戦略の地政学(Geopolitics)的辺境としての意味を担うようになった点では、第二次大戦の前の生命線としての位置づけと連続線上にあるといってよい。しかし、ポスト冷戦を地球政治の中心部にもたらした上で劇的意味をもった環境政治の概念は、なお冷戦で分断された朝鮮半島には及んでいない。辺境の民族紛争地域も多かれ少なかれ似たような冷戦時代の遺産のため苦しみ続けている。
3−3 辺境地球環境政治を乗り越えるモデルとしての日本海時代を創出できるか
日本海は、冷戦の海であった。海の核軍拡政争が、激しく続いた日本海は、ヨーロッパでの冷戦終結後、しばらくこの流れにのれなかった為、いまだに北方領土問題がからんで環日本海のポスト冷戦的発展への軌道が敷かれていない。そのうえ冷戦時代に確立された朝鮮分断方式がアジアのナショナリズムと結合して朝鮮半島の紛争解決を袋小路にいれてしまった。ここには、地球政治の辺境牲が色濃く影を落とし続けている。当然のことながら環境政治展開以前の政治状況に近い。この辺境牲こそは、これを逆手にとって新しい発展と持続可能な開発の新モデルを日本海で創出しうる潜在的可能性なのである。これまでの辺境政治は、地球環境政治を創出するには、あまりにも共生の概念から遠いところにおかれていた。日本海時代は共生概念の創出とともに最初の第一歩を踏み出すことになろう。
3−4 米朝交渉の成り行きは地球環境パラダイム成立の試金石である
ポスト冷戦時代の到来にも関わらずヨーロッパの周辺での民族紛争が増大している。また湾岸戦争にみられたように国連の名による環境破壊をともなう武力行使の危険性もなくなったわけではない。これらの動向は国際関係を捉える超複合的なパラダイムを通して解明される必要性が大きい。NPT体制のもつ矛盾を考えるとIAEAによる核査察をともなった米朝交渉の成り行きは、一方で湾岸戦争をはるかに上回る環境破壊を日本海にもたらす危険性の濃い朝鮮民主主義人民共和国に対する制裁措置(経済制裁も軍事制裁につながるおそれがある)が政策として論議されるような方向をも生みだした。しかしカーター訪朝に見られたような米朝問題の一括解決をめざした話し合いの動向も中国の政策や日本の世論などの影響で強化されてきている。カーター路線が一層強化されれば、環日本海時代の開幕による地球環境パラダイムの成立に向かっての第一歩が、現実にも始まることになろう。その意味で米朝交渉の成り行きは、地球環境パラダイム成立の試金石ともいえよう。
4−0 持続的成長・地球環境政治・地球的問題群
近代以降の西欧中心の世界的近代化の発展とその潮流とは、デカルト・ニュートン的パラダイムによる科学・技術の創造的展開によってその道が開かれた。その潮流の中でウエストファリア・システムの枠組み内の主権国家の数も増大し、かつ多様化してきたというのが、特に第二次大戦後の突出した変化であった。こういった状況下での世界の一部での経済の高成長が環境破壊やその他多くの地球的諸問題を生み出す源泉となったことは、すでによく知られた事実である。これら諸問題は、軍拡競争が生み出した諸問題と共に相互に密接な因果関係を持っている。この意味で地球的問題群と呼ばれる。持続的成長の概念はこの潮流を変化させ、地球環境政治の新しい次元を摸索する理論的試みにほかならない。地球的問題群の解決に向かっての一つの鍵概念として持続的成長の概念を位置づけることができるのではなかろうか。
4−1 時間的パラダイムの中の持続的成長の概念
成長が持続的であるためには、成長の生みだす果実の世代間での配分が減少して行くことがあってはならない。また成長にともなう環境破壊のつけが悪化して行くこともあってはならない。これらの減少または、悪化の程度が長期的に続けば人類のこれまでの文明の成果は失われてゆくことになろう。持続的成長の概念はこのような世代間の配分をとりあげるという点で時間的パラダイムの中での中核的位置におかれることになる。
4−2 空間的パラダイムの中の地球環境政治
成長の果実の配分についての論争は、もともと空間的パラダイムの中の自由対平等という部分パラダイム間の争点に関係して様々な局面で展開されてきた。資本主義と社会主義をめぐる論争もその代表的一例である。しかし環境破壊の結果の配分については、先進国と途上国との対立に関係した論争が最近のもっとも突出した地球規模での争点となっている。これらは、空間的パラダイムでの争点にとどまる限り、地球的問題群として解決しようという新しいパラダイムの創出にはいたらないであろう。
4−3 二つのパラダイムの統合の中での地球的問題群
時間と空間とを統合した公正な配分のパラダイムは、もしも、それが静学的に構成されれば、確かに、成長も環境破壊もないモデルになろう。もちろん、ここには、地球的問題群は、確かに顕在化していないかも知れないが、他方、死せる世界にとどまっているから、そこでは、公正な配分の意味もない。しかし、世界の近代化のこれまでの潮流は、高成長の反面で、環境破壊をも進行させてきている。そのうえ高成長の果実の配分も、環境破壊のつけの配分も、平等性を欠き、時間的経過と共にますますその格差が広がっているのではないかという認識が出てきた。それ自体が南北問題の大きな争点となりつつあるといってもよい状況である。ここでは、地球的問題群そのものの位相が、世界システムの三つのパラダイムと、時間的および空間的の二つのパラダイムとの複雑な統合の中で顕在化してくることになる。特に後の二つのパラダイムの統合の中で地球的問題群のダイナミズムが、はっきりしてきたともいえよう。
4−4 世界システムの脱構築による地球的問題群解決へのアプローチ
世界システムは、超複合システムである。地球的問題群の突出した突然の顕在化も、この超複合性の展開の中においてであった。より特定化していえば、世界は、国の集まりから成るという第一のパラダイムが、圧倒的に優越している状況下での地球的問題群の顕在化であった。したがって、これまでとは異なる超複合性の展開の形態変容によって地球的問題群の解決も可能なものになる。解決の局面で特定化していえば、どのような形態変容なのかが問われているわけである。世界システムの脱構築による地球的問題群解決へのアプローチとは、まさにこの問に解答するための方法論に外ならないといえよう。
5−0 もう一つのパラダイムによる南北問題の解決に向けて
世界システムの脱構築というとき、いままでの世界システム認識で完全に欠如していたか、あるいは、もっとも弱体であった局面を表現するパラダイムを突出させることに成功すれば、超複合性のあらたな展開となりえよう。この過程は、一つの創造に外ならないので、どうしても新たな学習ネットワークを創出することから始めなければならない。これまで悪化を続けてきた南北の格差を縮小することで南北問題の解決をはかろうとすれば、どうしても超複合性をこれまでとは、別の形態で作動させうるようなもう一つのパラダイムが展開されなければなるまい。
5−1 地球環境政治成立への学習ネットワーク
地球環境政治成立のためには、自然システムとの関係においても、南北間の格差縮小に向かっての新しい学習ネットワークが創出されなければならない。そこでは、経済成長の果実も、環境破壊のつけも、その双方が共に、地球的規模で格差を増大し続けるような潮流は、どうしても逆転されなければならない。そのような新たな学習が、北の見地からも、南の立場からも始まる必要がある。そうでなければ地球環境問題の解決には到底つながらないだろう。したがって、地球環境政治も真の意味では決して始まることはない。
5−2 共生概念のネットワークのダイナミックな再構成
果実とつけの双方が共にそれを帰属させる主体に対して相互間での格差を増大させて行く潮流には、どこかで逆転がはじまらなければならない。それには、ポスト冷戦をもたらした「共通の安全保障」概念をさらに「共生概念」にまで拡張する必要がある。しかも共生の学習ネットワークがひとたび創出されれば、それは、超複合性の展開過程でダイナミックに拡大し、かつ変容して行く必然性をも内包している。共生概念のネットワークがダイナミックな再構成を続けられる理由も、この超複合性の中にその根拠を発見できよう。
5−3 大学・シンクタンクのリエンジニアリング
世界システムの行為主体として、主権国家を置くにせよ、多国籍企業を置くにせよ、水平的な出発によるパラダイム構成であった。しかしその結末でもある垂直的な支配と従属から出発するパラダイム構成では、行為主体に複合性があることについてもはっきりしていた。この超複合性パラダイムで世界システムの脱構築パラダイムを創出しようとする時、知のネットワークにおける行為主体を設定できれば、今までとはまったく異なる創造的学習ネットワークを発展させることも出来よう。大学・シンクタンクこそがそういった行為主体の役割を果たすことが出来るというのが、われわれの理論構成の原点である。しかし、大学・シンクタンクといえども近代化しつつある国・企業のネットワークの中にとりこまれている。そこでリエンジニアリングがどうしても必要になる。1975年日本に設立された国際連合大学は、旧来の世界システムからの制約を乗り越えようとした。しかし、その課題を果たすことは、著しく難かしかった。したがって、国境を越える大学間ネットワークで、これまで国連大学でさえ果たせなかった課題を果たすようになるのが、大学・シンクタンクのリエンジニアリングの一つの重要な使命になろう。
5−4 もう一つのネットワークが南北問題解決のパラダイムを創る
大学・シンクタンクの新しい国境を超えるネットワークがリエンジニアリングの永続革命の道に進む限り、大学に学ぶ世界中の学生の供給源の中で進行する果実とつけの双方の同時的な格差増大の潮流をおしとどめる政策に関心をもたないわけにはいかない。このネットワークはダイナミックな発展を続ける学術複合体である。そこにおいてこそ学術複合体の相互学習による変容を通して南北問題解決に向けての新しいパラダイムの創出をも可能にするだろう。いうまでもなくそれは地球環境政治と共鳴現象で相互に結びあい、かつ相互に強めあうパラダイムであろう。
[第1分科会 基調報告] 「持続可能な社会」の経済構造について 菊本義治 |
1994集会 |
第3分科会 自然との共存の原則を探る 山岡寛人 |