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私の意見・私の提案



 第3日(3月21日)午後は、「私の意見・私の提案」として、参加者全員からの発言を求める趣旨の企画とした。この日正午までに38通の発言通告用紙が回収されたが、時間の関係上実行委員会で整理し、10人に壇上に上がって発言をしてもらった。それらは、「自然と人間・人間と人間」「豊かさの意味を問う」「SSと企業・経済システム」の3つに分類した。他はフロアからの発言にまわってもらった。それでも発言できた人の数はかぎられざるをえなかった。


  以下は雰囲気を伝えるために、すべて発言用紙の記述から、その発言趣旨を編集して残すことにしたものである。●は壇上に上がっての発言。○はフロアからの発言であることを示す。





[自然と人間・人間と人間]


●午前の「分科会からの発言」では、自然を弱者に見立て、その声なき主張を代弁するための体制をつくるべきだとの提案がなされていました。だが私は、美しい自然やすばらしい地球を守るのは人間自身のためだ、人間が死に絶えてしまわないために、「持続可能な社会」が求められているのだということを明確にしておく必要があると思います。人間は自然の声を代弁し、自然を守れるほど強くはなく、彼らは単に自然によって生かされている存在にすぎないからです。たしかに明日にでも崩壊しそうな社会をつくってしまったのは、人間の自己中心の考え方です。こんな状況から脱出するために、技術の発展も必要でしょうが、何よりも価値観の転換が、人間にとって「本当に必要なこと」が何であるのかを見極めることが大事だと思います。そして人間が地球の一部である以上、人間にとって「本当に必要なこと」は、地球にとっても悪いものではないはずです。こんな自然と人間の関係を乗り越えて、かよわい人間が自然の代弁をできるなどと考えるのは、人間の思い上がりではないかと思うのですが。(三橋玄太郎・学生)


●SSの建設は、単なる技術の改良にとどまらず、「人間と人間の関係(社会のありよう)」「人間と自然の関係」の全般にわたる変革である。SSづくりが、「環境問題」への対処だけに矮小化されてはならない。現代文明は「環境」だけではなく、「ヒトの内なる自然」をも破壊し、人間性の発達を阻害している。こういう状況に立ち向かうためには、「人間と自然の共生」に加え、「人間と人間の共生」を回復させる努力が必要だ。世にあふれる「特定目的追求型の組織」ではなくて、「地域」(特定の目的をもたない人間集団)の創造・発展が必要であり、これを個人的視点でとらえれば、「仕事人間」から「生活人間」への生まれ変わりが必要だとうことになるだろう。(荒井成彦・自由業)



[豊かさ]


●私たちはいま、豊かなのだろうか。たしかにGNPはこの30年間に10倍になった。だがそれで10倍豊かになったと言えるのだろうか。「豊かさ感」「幸せ感」は、どうやら他との比較で生まれるものであるらしい。そんな相対的な豊かさは追求すればきりがない。私たちが現状で満足できず、さらに物質的な豊かさを追い求めるのであれば、とてもまともな途上国援助などはできないだろう。私たちはいま生活の価値の転換を求められている。バフグナさんやオリンドウさんがしきりに強調したように、「足るを知ること」の重要さを訴えたい。(松吉徹也・設計技師)


● 安いから買う。「気のあるもの」はついつい買ってしまう。子供のおもちゃ、CDプレイヤー、本、パソコン・・・。でも買ったものを使いきることはできない。使うための時間が足りるものではないからだ。といってもせっかく買ったものを捨てるわけにもいかない。そんなことをすると罪悪感にかられる。だから家の中は倉庫のような状態になる。倉庫の中で、ものに埋まって生きていくことが私の業なのか? しかし一方で、私にはスーツは2着、ネクタイは数本、靴は1足ではきつぶすまではく、鍋は大小2つ・・・という生活。つまり「気のないもの」は最小限の数で何とかやっているではないか。おそらくこれが私の取るべき本来の姿であろう。提案;「自分の家の中に複数あるものをリストアップしてみよう。なぜそれが一つではないのか。本当の必要数はいくつなのか?」(青山一朗・教師)


● 人間は欲望があるのに「耐乏」生活をするなどということはできない。人間同士の連帯の実感から、「豊かさ」を実感し、必要以上にモノを欲しいと思わなくなるようにならなければ、真の解決はないだろう。私たちが長い歴史のなかでかちとってきた共通の価値、人権・自由や民主主義といったものをベースとしつつ、地球や宇宙との一体感を保持していた先住民の知恵から、多くのものを学んでいく必要があるのではないか。この集会における「ふれ太鼓」や「祈りの舞」はそういう意味でよい配置ではあったが、さらに進めて参加者全員が手をつないで、「地球の痛みを分かち合うメディテーション」をしたり、「希望の未来」をイメージする祈りの儀式があってもよかったのではないか。(金坂慶三・地方公務員)


● 生き物は本来サステイナブル、でなければ今日まで進化してこなかったはずだ。それなのにどうして近年の人間がサステイナブルからはずれるのか? この集会に参加しているうちに、「物的鎖国」という言葉が頭にひらめいた。人間によって移動させられる「物」が、地球に本来備わっているサステイナビリティをこわしているのではないか。
  日本、明治の開国とともに「物」が流入し、たちまち人口が増加した。いま経済大国になったものの、西洋文明はその自然を食いつぶし、日本人は「心の豊かさ」を失ってしまった。見かけ幸せそうな彼らは、国外からの「物」の流れの中で、むりやり働かされている。開発途上国、豊富な資源に目をつけられ、そこから「物」がもちだされてゆく。一方で、異質な文化と「物」がもちこまれる。「堕落した人々」が、「飼われている」状態さえ出現する。1日で歩ける範囲以上には「物」を移動させず、自然に密着して暮らしていれば、サステイナブルはおのずから達成されるはずだ。「物的鎖国」、SS実現のキーポイントの一つは、これではないか。(大谷剛・地方公務員)


●生協から派遣されてリオ会議に参加し、南北問題を実感した。そして「北」の社会のライフスタイルの転換の必要性を痛感した。だがバフグナさんやオリンドウさんの「消費の削減を!」という呼びかけを、倫理の問題として受けとめ、達成した豊かさをそぎ落とされるのではないかととらえることは、おそらく適切ではないだろう。私たちは冷静に「便利で快適」になることのデメリットを自覚すべきではないか。いままでは自分の身体でやってきたことを、次第に電気製品や機械に委ねるようになった結果、体力は落ち、心もまた外界に対する真の認識から遠ざかる。「子供たちが危ない!」と言われ始めたのは70年代の終わりころのことであった。エアコンの普及で、私たちの自然適応能力は低下している。生きている実感が希薄になり、他者への共感能力や、生命力がうすれ、ストレスの蓄積に悩まされることが多い。物質的な豊かさ・快適さは、生物の一種としての人間の心身を弱めてしまっていることは確かだ。そういう状態からの脱却を、バフグナさんたちは勧めてくれているのだと私は思う。(中村正子・フリーライター)



[企業・経済システム]


● いま日本社会は、かつて経験したことがないといわれる経済不況に悩まされている。その引き金になった数年前の「バブルの崩壊」は、避けられない「自然災害」だったのではない。明らかに「人災」である。銀行や大企業が、さらなる大もうけを企み、巨大な利潤を、値上げを見込んで必要でもないところにつぎこんだ。需要がないのにむやみにつくったのだから、適正な価格は壊れ、経済の歯車は狂い、ついに「バブル」が崩壊した。そのうえ国の予算までもうけに利用しようとして、数々の政治腐敗まで引き起こした。「バブル崩壊」は単なる経済現象ではなく、資本主義社会の行きつく必然的な結果である。SS社会においては循環型経済システムが機能しなければならない。銀行・大企業の横暴を押さえ、「バブル」再現を防ぐためにも、海外の経済まで撹乱させることを防ぐ意味でも、大企業の生産原価の公表と、「もうけすぎ」をやめさせることがいま極めて重要になっていると思う。(鹿島 勝・会社員)


● いま企業はかつてない変革期にある。何のためにその事業をするのかが問われているのだ。生活者からの支持が得られなくなったらその企業に未来はない。数年前に市民権を得た「企業の社会的貢献活動」は、いまこそその真価が問われているのである。社会の動きを直接の事業分野以外からとらえ、その社会に自社の考えを伝えていくこと。そしてSS実現のためには、企業にとって時には自己否定さえともなう理念改革が必要だと思う。それなしには、生活者にも企業にも、明るい未来はありえない。どうか市民団体の皆さん、従来の対決の構図を乗り越えて、企業とさまざまなレベルでつきあっていただきたい。(平山健次郎・企業の研究員)





 以上壇上からの発言者のうち1名の方に関しては、発言用紙の記述が断片的で、発言全体の趣旨が読み取れないので省略した。ただしこの人の意見は分科会における報告の中にある。以下には、上記以外に提出された発言用紙の意見のうち、記述が判読でき、かつ意味の分かるものについて、その概要を記録する。ただし他のNGO活動の紹介にすぎないもの数通は省略した。ご了解をいただきたい。なおここに記録した意見が、第3日の会場でフロアから、実際に発言されたか否かは不明である。





○環境破壊を引き起こしている人類の行為も、もとはといえば自分たちの生活をよりよくしたいというところから始まったはず。だから人間の欲求を軽々しく否定してはいけない。ただ不適切な欲求、つまり不必要な欲求や環境への負担が大きい欲求などが、その中にあるのではないかということを検討すべきだ。環境保全の行動は、いままでの行動の否定の上にあるのではない。「幸せになる、より広く、より多くの人が、より長く」。この本来の目的に向かって、豊かさの追求と環境保全が、同じ方向にあることを忘れるべきではない。(黄 聡基・こう そうき・大学生)


○ ー臧悄⊆由業など、組織されていない人々への環境問題の啓蒙をどうすすめるか、それらの人々の参加(意思表明)や実践活動をどう保障していくか。∪農面、法整備の問題を含め、NGOの横のつながりと国際的なネットワークづくりをどう進めるか。それらについての議論が必要だと思う。(松尾一廣・大阪)


○ この集会を「犬の遠吠え」に終わらせないようにするために、政治運動を避けてはいけない。まず既存の政策批判だけではなく、代替的な政策提言をすること。つぎにこれが法案になるように、代議士を通じて働きかけること。さらにそれが法律になるように関係省庁と折衝し、さらには議会内の多数派工作まで、政治の全過程にコミットすべきである。それがNGOの存在意義であろう。(坂巻信弘・会社員)


○ 生ゴミを堆肥に変えるEM菌、この研究と普及をめざし、生活環境に自然の循環を回復しようという研究所の設立にかかわっています。愛知や神奈川では行政の協力もあり、運動に取り入れる生協もでてきていますが、関西では取り組みが少し遅れています。神戸や大阪や京都にもネットワークを広げたいと思います。(ワゲネット順子・ SHIMA研究所[設立中])


○ SSを脅かす最大の原因は人口爆発である。途上国のことだけではない。日本にも定員3000万人と考えられる国土に1億3000万人近くがいる。日本の山林から出るO2だけでは、日本人の呼吸量をまかなえないと言われている。だのに厚生省は人口増加をめざしている。日本人が多すぎるとクレイジーだ。人口問題の分科会がなかったのは不満である。
  議論しているだけで行動を起こさなければ何にもならない。兵庫で野生のツキノワグマを救う運動に成果を挙げた中学生たちを連れてきているので紹介したい。彼らははじめ、県庁に行っても環境庁まででかけても、取り合ってもらえなかった。ついに知事に直訴した。それが実り、人工林を切って、実がなる広葉樹を植える試みが県で始まった。経済的価値がないために荒れ放題だった里山の手入れも、野生動物たちのために始められている。「中学生に何ができる」とはじめ言われたが、いまは何でもあきらめずに、行動してみるものだと思う。この運動が日本の林業行政を変えるきっかけになるかもしれない。(森山まり子・中学校理科教師)


○現在の行政は、利潤優先で乱開発・自然破壊をやる大企業と一体である(ゼネコン問題がこれを象徴する)。それゆえ企業や行政に不利な情報を公開しない。日本には情報公開法もない。こんな行政の姿勢を変えるための突破口づくりの一つの提案。環境庁が開発しておきながら実用化せず廃棄した光化学大気汚染情報配信システム(PAPION)を復活させ、充実させる運動をする。槙村氏の指摘する地域の運動(午前の分科会からの提言)が自慰的にならないために、大気汚染の簡易測定法を活用し、自治体の測定をチェックし、速報値を公開させる運動をする。(天谷和夫・群馬大学講師)


○ 海外へ出る日本人、いま年間1200万、近い将来2000万と予測されている。その80%が観光目的である。彼らは日本の浪費社会を海外にもちだしている。だが旅行者の増加をくいとめることは困難であろう。アメリカで起こった「エコ(ロジカル)・ツーリズム」の思想が日本にも必要だ。海外へ出る日本人は、「エゴ・ツーリスト」から「エコ・ツーリスト」に変わらなければならない。大自然の中で自分を無にすることが大切だ。SSへの指向が、人間のごう慢になってはならない。エコロジカル・サスティナブル・ワールドをめざす思想にならなければならないだろう。(尾家建生・会社員[旅行業])


○ 尼崎のぜんそく患者の方の手記を読んで、まことにお気の毒に存じます。私は耳鼻科医です。私自身も若いころからぜんそくで、学会で教室員と同室で寝るときなど、発作のために迷惑をかけないかと、いろいろと苦労をしました。30年間八尾の市立病院に勤務し、のちに西淀川の公害地区の患者さんを診る機会もありました。(中略)苦しいその症状は、あなたが生命を保つための、自然の貴重な防衛反応であり、それはどんなに鋭敏な公害測定器械よりも敏感に、劣化した環境へのすぐれた警告を発しているのです。家族の人のたばこの煙にも注意してください。あなたが酸素吸入やせき止め薬から脱却できたことはすばらしいことです。(向井貞三・医師)


○ 今日この集会から帰ったら、できることを一つずつしてみましょう。はじめはちょっと我慢かもしれませんが、やってみると意外に楽しいことが多いものです。とくに夫さんは、ご自分でしてみてください。よく聞く話ですが、こういう集会から帰った夫が妻に、「これから米のとぎ汁を流しに捨てるな!」と指示する。そして彼は本を読む。これでは×(ダメ)です。自分でお米をといでみるといろんなことが分かります。一回ごとに水を流しに捨てる方がずっと簡単です。しかし植木にやってみると、植木はとてもよく育ちます。米の種類によってもとぎ汁の白さがちがいます。玄米だと2〜3回洗えば十分です。ぜひ、家事を発見してみてください。(乾 淑子・教員)


○ 私のSSの定義:「真理の探究と、それに基づいた実践の自由が保障されている社会」。観念からの言葉を乗り越えて、真実からの言葉に耳を傾けよう。先進国の住民は先住民の言葉に、学者は活動家の言葉に、経済の維持・発展よりはCO2の削減を、人間社会は自然の声に、人々はお金にこだわるよりは生命にこだわろう。SSに向かう活動は、国家の枠を超えなければならない。NGOの世界的ネットワークを広げ、「地球市民」を形成しよう。(黒田雅一・司法書士)


○(1)SSづくりに戦争と武器はいらない。不戦の誓いを立てた日本は、平和的紛争解決の道をこそ訴えつづけるべきだ。憲法前文と第9条の精神を、世界に広めなければならない。(2)SSにふさわしい経済システムは、「成長率がゼロでも成り立ちうるシステム、そして適正な利潤をもってよしとするシステム」である。現在の資本主義の経済システムを根本から変革することが必要だと思う。そしてこの変革を実現する力は、市民パワーしかないだろう。いま重要なこと、「購買力というパワー」を有効に使うこと、そして「法規制を要求していく民主主義」。(小林善樹・科学技術翻訳士)


○ 午前の問題提起に対する感想です。1.お話がむずかしすぎます。専門的なことを言うと一般の人は離れます。2.皆さん、この会に「出席している人」と「していない人たち」を区別しています。「私はエコロジスト」「私は〜会のメンバー」と言ったとたんに他の人との間に壁ができます。これらの2つがSSを妨げていることを認識すべきです。この「2分法」こそが現在の状況をつくっているのではないでしょうか。もっと簡単に考えましょう。「所有しないことによる利便性、所有することによる不便性」に焦点をあててみてはいかがでしょう。(立山裕二・会社員)


○ 地球環境を守る運動は私の健康法です。極力自分にとって不必要なことはやらないようにしています。車に乗らない。会社の帰りに居酒屋に寄らない。おかげで体重も少し減りました。いまの日本人は肥満が多すぎて異常です。自然とともに生活していれば肥満などないはずです。私たちの社会も、早く肥満のない社会にしましょう。(阿蘇紀夫・会社員)


○ 提案;研究交流集会をサステイナブルにするために。「サステイナブル・ソサエティ(永続可能な社会を求めて)」という組織を、市町村単位で全国につくる。それぞれの組織が集会の日時・場所・内容・参加費を公表し、関心をもつ個人は、自分の条件にあったところに参加する。でないと今回のような2泊3日の集会は、主婦にとってはきびしいものでした。でも参加してよかったと思いましたので。(寿賀泰子・主婦)


○ (1)環境に関心をもちはじめて半年、「聴くだけでなく実践を」と言われて私のしていることは、自動販売機で買わないこと、古紙100%のトイレットペーパーを使うこと、なるべく車を使わないことくらい。それも私がしているだけで、家族にさえ影響を及ぼしていない。家族でも他人でも、強引にこういう会に誘ってみるのがよいのかも。(2)建設労働者の兄は仕事がないと巨体をもてあましている。コツコツとたくわえる生活基盤のあった私はまさに中流の生活。身内のなかでさえ、南北問題を感じさせられる。さてそこで第1分科会(経済)ででた雇用問題について思いついた提案。失業者に環境事業の仕事につける場を提供しては? 森林の下草刈りとか、過疎地域農家への手伝いとか。もちろん出稼ぎではありません。身近なところに行くのです。公共投資は工事の仕事に対してするのではなく、環境を守る仕事に対してすることにしてはいかがでしょう。(安田由美子・公務員)


○SSづくりの目標は、協調的な自律分散型社会。それをつくるために、〇拉朷燭亮匆颪ら、協調する社会へ(人間の大脳は、他の臓器を支配しているのではない、他の臓器に協調しているのである)。 ∧流型社会から、基本的に衣食住の自給自足社会へ。真の科学技術によって開発がすすめられる社会へ。環境循環にのらない無機サイエンスの時代から、環境にやさしい有機サイエンスの時代へ。管理の時代から協同・協調の時代へ。スーパーコンピュータの時代から、ワークステーションの時代へ。(後藤隆雄・研究者)


○ 大学の研究室へNGOの派遣を!(中井明・会社員)


○ 国有林野事業は1993年度末には3兆円におよぶ累積債務をかかえることになる。林野庁はその返済のために、林地の切り売り、スキー場・ゴルフ場への貸与、さらに林業要員を2万人以下に切り下げる方針をとっている。これは国有林のもつ使命を全く破壊する。よってこの累積債務を棚上げして、国土保全に全力を尽くせるよう、国民的運動を起こす。サステイナブル・ソサエティのための国有林の再建を!(八木健三・北大名誉教授)


○ SSを実現するためには、ライフスタイル・価値観の転換が必要だといわれる。一市民としてそのことはよく分かるが、これをまわりに伝えるのがむずかしい。ぜいたくをやめようとか、自然を大切にしようとか、自動車は最小限になどと言ってみても、お説教のようになって、もうひとつ説得力がない。たとえば車を小型車に替えることによってどれだけSSづくりに貢献できるのかが一目で分かるような指標は考えられないか。食品の栄養価表、カロリー表のように、「SS貢献度表」がつくれたら、SSへの運動は広がるのだが。(飯井寅太郎・国際交流団体ボランティア)


○ 環境問題を突きつめると社会構造(経済システム)の問題につきあたる。その大変革に際して生活(雇用・収入など)はどうなるのか。誰しもがそんな素朴な疑問と不安を抱くであろう。そこでもし、SSの具体像を提示できれば、多くの人に、SSへの行動を起こさせるきっかけができるのではなかろうか。私のいうSSの具体像とは、トータル・バランスのとれた未来像である。\限峽蓮粉超)の限界を科学的に明らかにする → △修涼罎乃容できる人類社会の物質的・技術的限界を明らかにする → その中では、どんな社会構造・経済システムが考えられるのか、具体的な暮らしの姿とともに提示するという順序を踏んで、それは明らかにされていくことになろう。この作業のためには自然科学・社会科学の多くの分野の研究者の力を結集しなければならない。この集会はそんな動きを始める格好の機会だと思う。(畑 直之・団体職員)


○ 昨日分科会で討議されたテーマは、いずれも不可欠のものばかりだが、それらを総合して、テーマをもっと具体的にしぼり、とりあえずわれわれが何をなすべきかを、参加者各人が、自ら確認しておくことが大事だと思う。そしてそれから、まず始めよう。私の場合、「教育」をもう一度みなおし、そこから地道にやっていくことにしたい。(松本 照生・神戸商船大学院生)


(要約・編集責任、最終的文責  林 智)


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